2019年4月1日月曜日

新刊電子書籍『なぜ私はここに来たのか』配信スタートしました

すでにお知らせしましたが、アマゾンKindleから新刊電子書籍『なぜ私はここに来たのか——ドイツ演奏旅行記』をリリースしました。
以下、まえがきとしての「はしがき」を紹介します。

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 有効期限十年のパスポートがとっくに切れてしまっているくらいだったから、今回の旅行以前に海外に旅行したのははるか前――すくなくとも十年以上前のことだ。
 タイだったか、中国だったか。そのどちらかだったことはたしかだ。
 ヨーロッパとなると二十代前半のことだから、四十年近く前、ということになる。そのときはパリ、ジュネーブ、ロンドンをめぐる観光ツアーだった。
 私のまわりには、とくに非暴力コミュニケーション(NVC)にたずさわる人が多く、彼らはしょっちゅうアメリカ合衆国を中心に海外と日本を行き来している。しかし、私は経済的ないいわけを装って旅行のチャンスを作る意志を持たなかった。なにかがブロックになっていたんだろう。
 今回、ふとしたきっかけでドイツに行ってみようかということになり、調べてみるととても安価で行けることもわかった。とはいえ、航空運賃だけでなく、宿泊費や、その間私のようなフリーランスは収入が途絶えるわけだから、ハードルがまったく低いわけではなかった。
 思いきって行ってみようかなと思っているときに、フライブルク在住の音読トレーナー・なおみさんから「日本文化の日」イベントでのピアノ演奏の話をいただいた。一気にハードルがさがり、渡独が決まった。

 文中でも書いたが、実際に行ってみると、私のなかにあったさまざまなブロックやわだかまりや、概念的な思いこみがパタパタとはずれ、帰国したときにはとても身軽になっているのを感じた。
 本当は行ってみたいと思っているところに行けない、行かない状況がつづくと、自分のなかにある種の概念がふくらんでしこりのようになってしまう。実際に行動してみると、そんなものは概念であって存在しないことがわかる。
 今回の私の旅での最大の収穫は、
「なぜ私はここに来たのか」
 という原理的、根源的な問いに立ちかえれたことだろう。そしてその答えはとても明確になった。
 答えがえられたあとは、
「ここに来る必要すら本当はなかった」
 ということに気づけたのだが、結局来なければ気づけなかったという矛盾がそこにはある(笑)。
 ドイツに旅行することも、日本の自宅でただじっとしていることも、北京空港で走りまわっていることも、結局はただ一度きりの人生という大きな旅の一部分でしかなく、その瞬間瞬間を味わうことしかできないのだ。というより、味わうことの喜びが私にはあたえられているのだ、ということがいまはわかった。
 いまこの瞬間も、キーを打ちながら旅している身として、これを記す。
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