2015年5月8日金曜日

5月スタートの次世代作家養成コースが始まった(途中参加歓迎)

この月曜日・4日夜に、5月スタートの全10回「次世代作家養成コース」の第1回をおこなった。
通常は日曜夜の開催なのだが、この初回のみ月曜日(休日ではあったが)となったので、参加できない方が何人かいて、少人数での開催となった。
参加できなくても、音声記録をとってあるので、あとでゆっくり聞くことができる。
また、途中参加の方にも、逃した回の分の音声記録を配布することになっている。
なので、途中からでも興味があればどんどん参加してみてください。

さて、4日夜の初回の内容について、すこし紹介する。
次世代作家養成コースでは小説、詩歌、エッセイ、その他ブログ記事、メールやメッセージなど、文章(テキスト)を使って自分を相手に伝える、あるいは表現する、ということ全般を扱う。
なぜこんなに守備範囲が広いかというと、「テキスト表現」には原理があり、その核となっている技術について理解することで、各人がオリジナリティの高い「表現行為」とすることができる、という私のかんがえがあるからだ。

もっといえば、テキスト表現にかぎらず、表現行為には共通の原理がある、といういわば「統一理論」のようなものを私は提唱している。
現代朗読もそうだし、私が実際におこなっている即興ピアノ演奏でもそうだし、また私がこのように文章を書いたり、あるいは創作を「水色文庫」に発表する際も、表現の原理を発動している。

先日のコース初日では、まず「表現とはなにか」について、さまざまな表現行為を例に取りながら詳しく見てみた。
表現とはなにか、そこではどんなことがおこなわれるのか、についての共通理解があることで、その原理を理解しやすくなる。

「表現」と「発散」を取りちがえやすいこと、その違いはどこから生まれるのか。
純粋な表現を阻害する「社会性」という要因について、自分がおこなっていることを丁寧に見ていくことが必要であることなども、お伝えした。
例に出したのが「天才とはなにか」という話だった。

実際にテキストを書いてもらった。
「視点」の練習ということで、ある描写をしてもらうことで、自分の文章の癖や型に気づいてもらう。
それを知ることで、無意識に見過ごしてしまっている自分のオリジナリティの可能性や、自分自身の存在を文体に乗せていく方法、身体性がこめられた文章を書く方法などについて、ざっくりと解説する。

これらのことは、これから全10回を通じて、さまざまなエチュードをおこないながら、そして実際作品を書きながら進めていくことになる。
まだ初回が終わったばかりなので、2回め以降の途中参加も歓迎である。

途中参加の人には、講座の記録音声をお渡しするので、安心して参加してください。
詳細と申し込みはこちらから。