2009年9月18日金曜日

ライブで寝る人、泣く人

 朗読ライブというのは往々にして退屈なことが多く、眠ってしまう人がいる。私のライブにもいる。
 名古屋公演「Kenji」では、ほとんどいびきに近い寝息をたてて寝ている人の音が、ステージまで聞こえてきた。
 まあ、お疲れなんだろう。
 しかし、そういう人も、ある瞬間にパッと目をさまして、ちゃんと泣いたり笑ったりしている。
 観察していると、前後の脈絡など関係なしに、泣いたり笑ったりする。つまり、「記号」に「反応」して「反射的」に泣いたり笑ったりしているだけなのだ。
「泣く記号」というのは私たちのなかに刷りこまれていて、たとえば身近な人や愛する人の死、別離、といった「ストーリーの断片」とかその「イメージ」がそれにあたる。あざとい商業コンテンツ制作者は、それを利用して、「泣ける映画」だの「泣ける小説」といった商品を作る。

 私はパブロフの犬を大量生産するシステムに加担してはならないと思っている。パブロフの犬を、記号的な罠から救いだし、人間性を取りもどすための多様で新鮮なイメージを伝える努力を、たえずつづけていかなければならない。
 ライブで眠ってしまう人はいるが、その人が目をさましたとき、反射的に泣いたり笑ったりしてしまう記号を可能な限り排除し、「なんだろう、これは」とこちらとの対話に引きこみ、その人に謎を提示し、ともに考えられるものを作りつづけなければならないと思っている。