2015年12月11日、夜。
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のギャラリースペースでほぼ毎月おこなってきた「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演の最終回を開催した。
この一年間を通して、のべ10回になったろうか。
この10回を通して、私自身は毎回、かなりチャレンジングな内容だったし、そのことによる気づきや成長も大きなものがあったと感じている。
多くの人に興味を持ってもらえる内容のイベントではなかったかもしれないが、参加してくれた皆さんには心から感謝したい。
この経験をつぎにどうつないでいくかは、私のこれからの課題だ。
昨日はいつもよりさらに参加予約がすくなく、直前になってキャンセルが何人か出たりして、最後なのにちょっと寂しいな、などと思っていたのだが、行ってみたら思いがけない方が何人かいらしてくれて、大変うれしくありがたかった。
20時開演のところ、19時前に羽根木の家を出て、ひさしぶりに歩いて明大前に向かう。
このところいろいろと調子がよく、身体を動かすことがまったく苦ではないので、20分くらいの歩きだが、マインドフルの練習をかねて、それを選んでみた。
大げさだけど、このところ私ほどマインドフルネス、瞑想、フローを集中的に扱い、実践している者はいないんじゃないかと思うくらいだ。
昨夜は歩いているうちにいろいろと余計なものが抜け落ちていって、静かに流れる大河のような気分になった。
19時20分くらいに会場に着く。
早川くんと奥さんのKanaさん、工藤くんと雑談をかわしてから、ちょっとピアノを弾いてみる。
いつになく音がくっきりと身体を通っていく。
いい感じ。
参加者がやってきた。
知らない人がふたり、来た。
聞いてみると、フェイスブックを見て来てみたのだという。
こういうことはめずらしく、予約もなかったのでちょっとびっくりしたけれど、うれしいびっくりだ。
あとで野々宮の中高の同級生だということが判明して盛り上がった。
NVCの仲間の実穂さんが引きあわせてくれたどりちゃんが来た。
共通の友人がいて、初対面だったけれどそんな感じがしない。
そうするうちに、すごくなつかしい顔があらわれて、またもやびっくり。
アイ文庫の最初期にいっしょに朗読の勉強会をやり、オーディオブックやラジオを作っていた仲間の大関くんが、何年ぶりかに来てくれた。
これも予約がなかったのでびっくり・うれしい。
ゼミ生のてんちゃんやあけみさんが、仕事帰りにも関わらず駆け付けてくれた。
みぞれちゃんも、翌日に自分のライブを控えているというのに、わざわざ駆け付けてくれた(かわいいピアノの鉛筆削りをプレゼントしてくれた、ありがとう)。
本当にありがたく、うれしい。
ホールの工藤くんやKanaさんも聴いてくれているなか、20時ちょうどにスタート。
前半は沈黙の朗読のパート。
テキストは私の新作「暗く長い夜、私たちは身を寄せあって朝を待つ」で、みつばちの話だ。
野々宮が完全に集中した身体性から発せられる声で、自在に動いていく。
彼女もまた深いマインドフルネスとフローのなかにいるのだろう。
私もはじまった瞬間にフローにはいり、あとは完全に思考を手放した感覚体として即興演奏で朗読とコミュニケートしていく。
彼女自身はこのところ、朗読に行き詰まりを感じているといっていたが、行き詰まっているのではなく、クオリティが高まってきたのでこれまでのようなやればやるだけ成長する変化が見える、という状況ではなくなってきただけのことだろうと思っていた。
クオリティが一定レベル以上に達すると、自分の成長はほとんど止まったように見え、ほんの薄皮一枚はぐだけでも大変な集中を要するようになる。
だからといって、日頃の努力をおこたると、すぐにずるずると後退してしまう。
もどかしく大変だけれど、薄皮一枚をはぎつづける努力は必要なのだ。
それが昨夜、一枚も二枚もぺろっとはがれたようだ。
その瞬間に立ちあえたのは、共演者の醍醐味であり、役得でもある。
後半は音楽瞑想のパート。
前半、後半という区切りの意識はなく、ひとつながりの流れのなかでピアノの即興演奏を感覚のおもむくままに展開していく。
参加者がそこにいることを感じてはいるが、それを気にしてはいない。
それをいうなら、自分自身のことも気にしていない。
ただ音を聴き、それに導かれるままにつぎの音をつむぎ、それらが感覚体としての私自身の体内を流れていくのを感じ、外来のすべての情報もまた同時に流れこんで大きな潮流を作っていくのを楽しんでいた。
たぶん、一番楽しんでいたのは私だろう。
もっとも気持ちよかったのは私だと思う。
ちょうど1時間でパフォーマンスを終え、持ってきたワインとつまみを出してみなさんと歓談。
これもまた楽しい時間だった。
定期開催はなくなったが、沈黙の朗読も、元はディープリスニングといっていた音楽瞑想も、ここ10年以上ずっと私自身のテーマとしてつづけてきたことだ。
この先もやらないということではない。
近いうちに、イベント形態は多少変わるかもしれないが、なんらかの形であらたに開催することになると思う。
そのときは、これまで参加できなかった方も、参加してくれた方も、会場でお会いしましょう。