ホルヘは羽根木の家に滞在していて、私は毎日顔を合わせているのだが、なかなかワークショップに参加するチャンスがなくて、今日の午後、ようやく時間が取れたので顔を出してきた。
ホルヘは私がNVCから落ちこぼれそうになっていたとき、献ちゃん(安納献)が「きっと水城さんなら彼を気にいる」と招聘してくれた(もちろん私だけのためではないけれど)トレーナーで、そのとおり、ホルヘに会い、彼のワークショップに出て、私はNVCの本質を一発で体感できたような気がした。
NVCへのアプローチはさまざまにあって、トレーナーもいろんなタイプがいる。
一度だけワークに出て、自分には合わないとあきらめてしまう人がいるが、とてももったいないと思う。
いろいろなワークショップや勉強会に出てみることをおすすめする。
トレーナーとの相性も、これはたしかにあると思う。
私はホルヘにズキュンとして、以来、自分でも勉強会を積極的に主催できるようになった。
それについてはいまでも多少のためらいはあるが、そのたびにホルヘの存在にはげまされているような気がする。
今日は午後から、それも遅れての参加だったが、大きな学びを得ることができた。
これについては勉強会でみなさんにもシェアしたいと思っているが、いま簡単に書いておくことにする。
標題にあるように、私たちはなにか自分にうれしいことをしてくれた人にたいして、感謝をのべると同時に、ポジティブな評価のことばを伝えようとしてしまう。
たとえば、仕事を手伝ってくれた人にたいして、
「あなたはなんて協力的な人なんだ」
「いい人ですね」
といった言葉だ。
その表現を、ホルヘは「とてつもなく暴力的だ」という。
「みなさん、すばらしいよ」
「あなた、ハンサムだね」
「才能ありますね」
「優しいですね」
一般的にポジティブとされ、一見相手を尊重するようなことばも、それはお互いのつながりを断ってしまう、とても暴力的な表現だというのだ。
いわれてみればたしかに、私もひと前でピアノを弾いたときに、
「すばらしい演奏でした」
「ピアノが上手ですね」
などといわれて、とても居心地が悪い気分になることが多い。
それは相手からの「ジャッジ(評価)」であり、静的な(動きがない)表現なので、こちらとのつながりをもたらさないのだ。
では、どうすればつながりをもたらす表現になるのか。
「あなたの演奏を聞いて、私はとても心を動かされました。なぜなら、私は華美に走らない、自分を飾らない誠実で正直な表現を大切にしていて、あなたの演奏からはそのような感じを受けたからです」
たとえば、ね。
ここにはNVCでいうところの「フィーリング(感情)」と「ニーズ(価値/大切にしていること)」を表現することばがある。
私たちはえてして、相手をほめたたえる表現(それは一種のジャッジなのだが)を、相手とのつながりを保持する気持ちのあらわれとして安易に使ってしまうことがある。
その習慣的表現を、ほんとうに相手につながるための、心からの正直で誠実なことばに置きかえていくことができれば、どれだけ人との関係性に豊かなものが生まれるだろうか、と思う。
◎親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(12.28)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を12月28日(月)夜におこないます。