羽根木の家に長期滞在中のNVC国際公認トレーナー、ホルヘ・ルビオと今日はたくさん遊んで楽しかった。
彼がいうところのヴィヴェンシア(命のイキイキさ/活力)に満ちあふれた一日だった。
ホルヘは日本に来てからずっと早起きで、日本茶が大好きなので、起きたらまず自分でたてて一服いただく、という日課を通している。
今日も(いつものように私も早起きして)台所に行ったら、ホルヘが煎茶をいれて飲んでいる。
私にも一杯サービスしてくれた。
日本茶だけでなく、彼は中国茶にも興味をしめしていて、昨日はどりちゃんもいっしょに四川料理の店に行って中国茶を何種類か飲んだりした。
なぜなら、彼は明日、横浜でNVCのワークショップをやることになっていて、それが終わってから中華街の中国茶専門店に行くことをとても楽しみにしているからだ。
羽根木の家には中国通で何度も中国に渡り、そのたびに高級茶を買いこんでくる野々宮卯妙の妹さんのお土産の中国茶がけっこうキープされていて、せっかくだからホルヘに飲んでもらうことになった。
東方美人というなかなかよい烏龍茶があったので、それをいれてみる。
これはなかなかおいしかった。
そこから漢字の話題になり、日本では子どもが学校で墨をすって筆で書き取りをやるというではないか、本当か、と聞かれた。
そうだ、と答えると、おまえはできるのか、というので、もちろんできる、といばってみた。
ふと思いだして、ここに墨と筆もあるぞ、といったら、おれに教えてもらえるか、というので、全然オッケーだ、いまからレッスンするか、というと、とても喜んだ。
本格的な墨と硯を出して、しかし筆がどうしても見つからなかったので絵を描く用の水筆を出してきて、スケッチ用紙で書き方のレッスン。
一番最初に彼が書きたいといったのは「フグ」という字。
なぜなら、彼は自分のオリジナルで、NVCでいうところの自己共感のスキルとして「フグになる」という方法をとてもユーモラスに教えていて、私たちの多くがそのファンであり、みんながフグ仲間になったり、過去の来日でホルヘが帰るときにフグの帽子をプレゼントしたり、といった思い出があって、フグにはとても思い入れがあるからだ。
フグは「河豚」とも「鰒」とも書くけれど、最初のほうの字を「river pig」と説明したら、ものすごくウケた。
これはしかし難しい字なので、後回しにして、ほかに書きたい字はあるか、と聞いたら、なぜか「house」という。
これもちょっと難しいけれど、「家」という字をいっしょに書いてみる。
そのあと、「一」「二」「三」「四」「五」「六」と書いたり、象形文字から変化する「鳥」「魚」「目」「口」などを書いたりしておもしろがっていた。
昼に献ちゃんが来て、いっしょに近所の〈香家〉で中華ランチを食べたのだが、店内に甲骨文字のカーテンがかかっていて、私も今日まで気づかなかったのだが、おもしろがって写真を撮っていた。
私たちは香家の売りの担々麺を食べたのだが、ホルヘは角煮定食みたいなのを食べて、今度は豚の角煮にものすごく感動していた。
夕方、私は明日のげろきょ忘年会(ロードクパーリー)のための買い出しに行こうとして、献ちゃんから、ホルヘが豚の角煮を食いたいといっていて、たぶんスーパーマーケットに豚の角煮のレトルトパックがあるからそれを買ってきて、といわれた。
そういうものがあるとは私は知らなかったのだが、行ってみて、店員に訊いてみたら、確かにあった。
買って帰って、それをホルヘといっしょに湯通しして、食べてみたら、たしかにかなりうまかった(伊藤ハム製)。
というような、最後はホルヘは「グレート角煮デー」といいながら自室にもどっていったのだが、私は楽しかったと同時に、じわじわとホルヘにたいする感謝の気持ちがわいてきている。
前にも書いたように、NVCの学びから落ちこぼれかけていた私に、献ちゃんがホルヘを引きあわせてくれて、そして一気に私もNVCをベースにした共感的コミュニケーションを人に伝えるようになったり、本を書いたりするようになった。
それだけホルヘショックは(いい意味で)大きかった。
その後もIITや今回の来日でのワークにも参加して、NVCそのものの学びも大きいが、なによりおなじ屋根の下でともにすごす時間があることが私にとってはありがたい。
いっしょに暮らしてみるとわかるのだが、一見「がはは」で幼稚園児みたいにわがままな彼も、じつはとても繊細で、こまやかな気配りがあって、弱く、優しい人があることがわかる。
彼が羽根木の家にやってきたとき、家猫のムイが警戒して寄りつかなかったのだが、そのことを気づかって「猫はだいじょうぶか」ときいてくれたり、ムイの前ではそっとゆっくり動こうとしたり。
台所の洗い物も、自分の分以上にやってくれたり、私が彼の分をやってしまったりするととても感謝したり。
大勢の人が出入りすることで出る大量の生ゴミを私がひとりで出していると、声をかけてくれたり。
コロンビア人の彼には古民家はとても寒いだろうに、ホットカーペットやガスヒーターをこまめに消して節約に協力してくれたり。
私が自分の部屋で仕事してたり、和室でワークショップをしているときには、けっして声をかけないばかりか、とても静かにしていてくれたり。
それでいて、顔を合わせると、愉快で、ユーモアたっぷりで、楽しくて。
そうそう、今日ちょっと驚いたことがある。
書き方のレッスンを終え、こたつでお茶を飲んでいたとき、彼は自分が子ども時代のボゴタの話をしてくれた。
海より川が好きで、子どものころはよく泳いでいたらしいが、いまやコンクリートでかためられ、水も汚れてしまって、泳げない。
それは私が生れ育った九頭竜川も同じだ。
九頭竜川を漢字で書いてみせた(見たいといったので)。
とても興味を持ってくれた。
これは余談。
ボゴタは高地にあって、森も川も山も空気も、尾根すじを渡っていく鹿の姿も美しかったのに、夕日もすばらしかったのに、いまは大気汚染が進み、見る影もない。
そのことを話すとき、ホルヘの目に涙が浮かんでいるのを見た。
肉やラーメンばっかり食って、不健康で、浪費家で、わがままなホルヘ、というその奥にある本当の彼は、とても繊細で優しく、ナイーブな姿なのだ。
お金を持っているとすぐに全部使ってしまうと思っていたのに、今回は長期滞在だから節約したいといって、自分の好きなラーメンがスーパーで安売りしているのを見てさっと買いこんで、それに野菜やゆで玉子を加えて、工夫して朝食にしている。
それにしても、たくさん英語で話した。
これほどまとまった分量の英語の会話を、いままでしたことはなかったかもしれない。
ホルヘがこちらを気づかってゆっくり話してくれるということもあるのかもしれないが、なんだか英語で話すことのハードルがどんどんなくなっていく。
そしてもちろん、NVCをその存在そのもので体現している彼とずっといっしょにいられるということも、ありがたい。
風邪がうつるように、体臭が混ざるように、私にもホルヘの共感体質がしみこんでくるような気がしている。
ホルヘには、さまざまなことに感謝したい。
この感謝をどのように表現すればいいのか、それをかんがえることに、いま私はわくわくしている。