2015年12月28日月曜日

私たちの生命の最深部にあるニーズとコア

今日も朝からホルヘにおいしいお茶をたててもらう。
そして一日、濃密で深いNVCの学び。

築80年の静かな羽根木の家で、ドラマチックなことがつぎつぎと予測不能のなかに起こりつづける。
私は掘りごたつに座ったまま、ホルヘがいうところのヴィヴェンシアがイキイキとするのを自分のなかに見ながら、さらにその奥には静かなコアのような場所があることを感じつづけていた。
そこにつながっているかぎり、自分のまわりになにが起きようと静かにすわっていられることが、今日はくっきりとわかった。

人間の存在の一番外側には、言葉や行為が表現としてあらわれ、その表現をもたらすのは感情であったりニーズであったりする。
表現をもたらすのは人の状態で、その身体の表面には感情があらわれる。
感情をあらわす表層の奥にはニーズがあり、ニーズは生命と直接つながっている。

感情とつながって(あるいはつながらずに)表現するか、ニーズとつながって(あるいはつながらずに)表現するかでは、だいぶちがうことが起きる。

ニーズは生命そのものであり、それは満たされていようが満たされていまいが、いずれにしてもイキイキと人のなかに息づいているものだ。
それが人の中心部分にあって、行動や感情をもたらしているのだというのが、マーシャル・ローゼンバーグの提唱しているNVCの原理だ。

私はその中心部分(コア)の生命存在もまた、さらに多層構造を持っていることを、自分のなかに最近発見した。
コアの表面はニーズが絶えず移りかわりイキイキと息づいているが、その中心部分にはなにか静かな、揺らがないものがある。
揺らがないといってもまったく不動というわけではなく、ゆったりと動いている。
ただ、形は大きく変化することなく、生命体が動的平衡をたもっているそのコントロールセンターのような、しかし虚空のような存在を、私はコアの中心部に感じている。

自分のニーズに深くつながったとき、自分のもっとも深奥部にそのような沈黙もしくは虚空のような静けさを感じ、自分が動じないでいつづける可能性に気づく。

これはごく最近気づいたことで、ひょっとしてホルヘがそれに気づかせてくれるきっかけになったのかもしれないし、本当はずっと前から気づいていたのに意識に顕在化していなかっただけかもしれない。
自分のなかにこれがあることに気づいたとき、私はどこか長い旅の終着点にたどりついたような気持ちがした。