2018年3月30日金曜日

映画:イエスマン “YES”は人生のパスワード

2008年公開の合衆国映画。
これ、なんと、ダニー・ウォレスというイギリス人作家が自身の体験にもとづいて書いた本を原作としているとのこと。
まじかい。

自分では絶対に観ないような映画なんだけど、最近よくバカ映画情報を交換しあっている友人の安納献に教えてもらって、まあ観てみるかひまだし、くらいの感じでまったく期待しないで観はじめたもの。

主演はジム・キャリー。
ジム・キャリーといえば、「マスク」で強烈な印象を受け、その後「トゥルーマン・ショー」でちょっと感心したことがあるが、とくに好きな俳優というわけではなかった。
助演女優がズーイー・デシャネルという人で、これがなかなかの好演。
変なバンドのボーカルをやったり(もちろん売れてない)、変な写真教室のインストラクターをやったりして、なんとか生活している女。

ジム・キャリー演じる主人公は銀行員なのだが、こちらもぱっとしない毎日を送っている。
それがひょんなことから「イエスマン」になってしまったことで、人生が大きく変わりはじめるという、荒唐無稽なコメディなのだが、実体験にもとづいた話だというから驚く。
まあそういうこともあるかもしれないし、人生なんてそんなもんだよね。
つまり、変化をおそれていてはなにもはじまらないし、変化しないように縮こまっていても変化は勝手にやってくるものだ。
ならばと積極的に変化させていくのもいいかも。
たぶん結果はどちらも似たようなものかもしれないけれど、自分が選んだ変化と、流されていく変化のどちらがいいんだろう、というのはそれぞれの人の選択の問題だろう。

ちなみに、ズーイー・デシャネルは「銀河ヒッチハイク・ガイド」にも出演しているらしい。
これは未見なのだが、観てみたくなった。
つぎはこれ見る。

風邪ひかないけどひいたけどすぐに治った

音読療法のおかげで風邪ひかない、なんて豪語してたけど、すみません、ひきました。
でも、寝こむことなく、すぐに回復した。

毎年2月から3月は体調が崩れることが多くて、2011年以前はこの時期にかぎらず年に何度かひどい風邪をひいて数日寝こんでしまうことがあったのだが、2011年以降はこの時期に体調を崩して風邪ぎみになっても、寝こむことはなく、1日か2日で完調にもどっていた。
2011年は音読療法を体系化し、音読療法協会を設立した年だ。

今年は2月、3月と好調のまま乗りきり、このままいくかと思っていた。
花粉症がひどく、くしゃみや鼻水に悩まされるのはこの時期の常態なのだが、今回もそれのちょっとひどいのかと思っていた。
が、身体がだるくて熱っぽくなってきたので、これは花粉症ではなく風邪だとわかった。

すぐに横になり、休んだが、イベントがあって人が来たり、料理をする予定があった。
夜は早めに休んだが、鼻が詰まって息が苦しく、寝苦しかった。
夜中にすこし汗をかいた。

翌朝はだいぶ回復していたが、まだ完調ではなく、人が来て打ち合わせをしたり、料理を作ったりしたが、今度は鼻水が止まらない。
いわゆる水っ鼻というやつで、ひっきりなしに鼻をかんだ。
くしゃみも連発する。

夕方にちょっと横になって休んだら、鼻水は止まらないが、身体の感じはだいぶ正常にもどってきた。
夜になって鼻水も止まってきた。

結局、今回も寝こむことなく、うまくやりすごせた。
我ながら、回復力というか、免疫力が昔より高まっているなと実感している。
まあしかし、人間なので、いつなんどき、どんなトラブルに見舞われるかわからない。


そのことは自覚して、謙虚に身体の声に耳を傾けながら毎日をすごしたいと思う。

2018年3月29日木曜日

「怒り」は感情ではない、とかんがえてみる

ちょっと極端ないいかたをしてみた(表題)。
大事なことなので、もう一度いう。
話をわかりやすくするためにちょっと極端ないいかたをしてみる。

人はどんなときに怒るのだろうか。
あるいは怒りを表現するのだろうか。

共感的コミュニケーションの練習を深めた人ならだれもが気づいていると思うが、
「怒り」という感情は単独では存在しないことが多い。
表面的には「怒り」一色に塗りかためられているように見えても、その奥には、さらに「悲しい」「寂しい」「つらい」といった感情が見え隠れしていることが多い。
怒りの感情をつぶさに見ていくと、たいていの場合は繊細な感情のレイヤーが見えてくる。

さて、人はどんなときに怒るのか。
私の観察による理解では、人はなにかを恐れているときに怒りを発動させる。
なにを恐れているときか。
自分を守ろう、あるいはなにかを守ろうとしているとき。

それは大事なものを失ったり、奪われたり、価値観を踏みにじられたり、自分の存在そのものが尊重されなかったしているときだ。

子どもがなにかしでかしたときにしかりつけることがある。
そのときの自分をよくよく観察してみる。
表面的には怒りがあるものの、その奥には子どもを守りたい、成長してほしい、というあせりやもどかしさがあったり、自分の貢献やサポートが足りないというつらさがあったり、いつもこれほどいっているのにわかってもらえない、理解してもらえないという悲しさや寂しさがあったりする。

いったん怒りを爆発させたあとには、かならず、そのような繊細な感情が表面化してくる。
ただし、怒りという感情を「通過」しないと、なかなかそこは認知しにくい。

怒りのやっかいなところは、それを相手にぶつけてしまうと、相手との関係性をいちじるしくそこない、つながりを断たれることが多いことだ。
相手にしてみれば、怒りをぶつけられたことで自分を攻撃されたように感じて、逃げたり、反撃しかえしたり、つながりを切ろうとしてしまう。
こちらはただ、なんらかの恐れがあって怒りを表面化させてしまっているだけなのに。

怒りは相手にぶつけるのではなく、自分のなかで処理する必要がある。
怒りが沸き起こったとき、「ああ、自分はなにかを恐れているんだな。なにが怖いんだろう」と自分自身への理解とつながりを深め、怒りの奥にある繊細な感情を観察する。
それができたとき、はじめて本当のニーズに気づける。
本当のニーズが明確になったら、そのニーズレベルから行動したり、相手に話をすることができる。

怒りという感情は、「自分自身との一時的な対立」だとかんがえることもできる。

◎3月31日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあう場。まるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地となる予定です。編み物ができない人ややりたくない人も歓迎。午後3時から8時まで、出入り自由。

2018年3月28日水曜日

寄付、ドネーション、お賽銭

国立春野亭のテーブルの上に、写真のような缶を置いている。

私はコーヒーが好きで、春野亭に来た人にもだいたいいつも「コーヒー飲む?」とおすすめしている。
とくに対価をいただいているわけではない。
私の趣味のようなものだ。

自分が飲む量と人にサービスする量は、ざっくり見積もって半々か、自分のほうが少ないかもしれない。
コーヒー豆はマンデリンの深煎りの、そこそこ質のいいものを使っている。
なので、缶に寄付をいれてくれると助かる。

以前は1杯100円と決めていたこともあるが、いまは決めていない。
入れてくれる人もいれば、入れない人もいる。
だからどうというわけでもない。

先日、ふと見たら、NVC仲間ののぞみさんが缶にお金を入れてくれていた。
だれも見ていなかったけれど、自発的に入れてくれた。
のぞみさんは春野亭でよく料理を作ったりして、むしろこちらがのぞみさんにドネーションしたいくらいなのだ。

自分のイベントをときどき、寄付方式でやることがある。
たいていは定額だが、ドネーション方式にすることもあって、私としては「こころよく出せる金額をいくらでも」と思っているのだが、なかなか出しにくいようだ。
出してくれても、小銭程度だったりする。
それはそれでいいのだが。
むしろ「講習費は3千円」などと決まっているほうが出しやすいみたいだ。

だれかがいっていたのだが、日本にはお賽銭文化がある。
寄付といえばお賽銭になってしまうのではないか。
キリスト教文化圏では、自分の収入の1割を協会に寄付するという習慣があったと聞いたこともある。

最近はドネーション方式のイベントには「基準額」というのをもうけるようにしている。
そうするとたいていの人はその基準額か、それよりやや安い金額をいれてくれる。
コーヒーも1杯100円と決めてしまうほうが、みなさんにとっては親切なのかもしれないね。

◎3月31日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあう場。まるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地となる予定です。編み物ができない人ややりたくない人も歓迎。午後3時から8時まで、出入り自由。

2018年3月27日火曜日

【RadioGiraffe】vol.1 『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』の監訳者・安納献に聞きました

NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)の創始者であるマーシャル・ローゼンバーグの著書『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』は長くNVCの学習者の教科書的存在として読まれていますが、このたび2018年にあらたな内容を増補した新版が出ました。
その監訳者である安納献に、NVCジャパンネットワークの栗山のぞみが聞きました。

映像はこちら。

ブラッド・メルドー「アフター・バッハ」

ひさしぶりにメルドーを聴いた。
10年ほども前の一時期、メルドーばかり聴いていたことがあった。
バンドでの演奏もすばらしいが、メルドーはソロがとくにすばらしいと思っている。
完全即興のソロパフォーマンスですばらしいのがたくさんある。

おなじような意味でキース・ジャレットもすばらしいが、ブラッド・メルドーはキースとは異なった方向の音楽性を持っていて、より前衛的、実験的、挑戦的といえる。

そして今回、バッハをテーマにしたアルバムが出た。
アルバム構成がおもしろい。
まず最初に「Before Bach: Benediction」という即興曲が置かれている。
バッハを弾く前の、バッハ的気分での即興という感じの曲。
かなり前衛的な感じだが、バッハに対する感謝の念をあらわしているのだろうと思う。

つづいてバッハの平均律クラヴィーア曲集から、プレリュードの第3曲。
楽譜通りに弾いている。
それを受けて「After Bach: Rondo」という即興演奏。
プレリュードのモチーフを使っているが、8分の5拍子という変拍子での演奏。
即興なのでモチーフからどんどん発展していって、大きな距離を移動する。

そのあとも基本的に、バッハの曲、それを受けての即興演奏とつづいて、全部で5組のバッハ曲と即興演奏が収められている。

最後に「Prayer for Healing」というスローテンポの、ヒーリング音楽のような即興で締めくくられる。

聴き慣れたバッハの曲と、まったく聴いたことのない前衛的なメルドーのパフォーマンスのバランスがおもしろい。
即興演奏部分だけだったらこのアルバムはどれだけの人に聴かれ、どれだけ理解されるのだろうと疑問に思うが、バッハをモチーフにしたことで多くの人が楽しんで聴けるものになっているのだろう。

ところでバッハは書き残された楽譜で愛されている音楽家だが、じつは即興のオルガン奏者としてのほうが当時は名をはせていたということは、意外に知られていないことなのではないだろうか。

2018年3月26日月曜日

料理:簡単手抜きチャーハン

以前紹介したとばかり思っていたのに、書いてなかったようなので、あらためて紹介。
電磁調理器でも作れる、簡単(手抜き)チャーハン。

【材料】一人前
・ごはん……あまりものでも炊きたてでも可
・玉子……1個
・玉ねぎ……小4分の1個
・人参……少し
・レタス……2〜3枚
・マヨネーズ、醤油、塩、胡椒、サラダ油

フライパンを火にかけ、サラダ油(大さじ2分の1)を熱する。
みじん切りにしておいた玉ねぎと人参をそのフライパンに投入し、玉ねぎがやや透き通った感じになるまで炒める。
ボウルに茶碗1杯のご飯をいれ、そこに炒めた玉ねぎと人参をいれる。
玉子を生のまま割って加える。
塩と胡椒を少々、醤油をひと回し、マヨネーズをひと回し加え、ヘラなどを使って全体をよく混ぜる。

ふたたびフライパンを火にかけ、サラダ油(大さじ2分の1)を熱する。
そこにボウルの中身を全部投入し、フライパン全体に均等に敷きつめる。
強火のままにしておくと、すぐに下のほうがこんがりとしてくるので、フライ返しやヘラを使って上下をひっくり返すように混ぜ返し、また均等に敷きつめる。
これを何度か繰り返し、全体に十分に火が通り、玉子がパラパラとからまった感じになったら、最後に手でこまかくちぎったレタスを加え、もう一度混ぜ返して、完成。

野菜はほかにも、ピーマンやチンゲン菜、ニラ、もやし、きゅうり、トマトなど、なんでも炒め加えることができる。
野菜以外にも、豚肉、鶏肉、ソーセージ、ベーコンなどを加えてもオーケー。
調味料に山椒を加えても、なおよし。

お金をテーマに自己共感の練習(NVC)

先日の共感カフェで「お金」をテーマにしてみた。
共感的コミュニケーションあるいはNVCの講座やワークショップでは、しばしば取りあげられるテーマだ。
つまり、さまざまな人がお金についての悩みや痛み、ブロック、躊躇など、さまざまな問題をかかえているということだろう。
そういう私もそうだ。

共感的コミュニケーションでは「お金」はニーズを満たすための「手段」ととらえる。
お金はニーズではなく、あくまでなにかを満たすための手段だ、ということだ。

お金を稼ぐことで自分はなんのニーズを満たそうとしているんだろう、とチェックしてみる。
これは比較的だれでもやれることで、やってみる価値もある。
共感カフェのような場でみんなでやってみると、自分でも気づいていなかったニーズに気づいたりすることもあるので、楽しい。

まず出てきたのは、基本的なニーズ。
安心、安全、ゆとり、平安、気楽さ、持続可能なこと。
多くの人がお金を得るための手段として、持続可能性を重視する。
会社や役所につとめる、アルバイトするといった、労働にたいしてその対価を得るという方法を取ることが多い。
それはそれで安心なのだが、今回の共感カフェに参加したメンバーたちには、さらにその先のニーズもあった。

有名な「マズローの欲求5段階説」というものがあるが、それを思いだしてもらえるとわかりやすいかもしれない。
この「欲求」の部分を「ニーズ」と読みかえると、そのままNVCの理解にもつながる。

お金を稼ぐこと、金銭的ゆとりを持つことで、さらに満たしたいニーズがある。
金銭的理由で制約されてしまうような選択肢から自由になること。
金銭的理由で楽しみを制約されないこと。
人に金銭的にも貢献できること。
チャレンジするための資金があること。
お金を稼ぐことに創造性を発揮できること。
金銭的理由でつながりを失わないこと。
影響力を持てること。
などなど。

このどれかのニーズ(あるいはいくつも、もしくは全部?)を満たすことに喜びをもって向かえるなら、お金を稼ぐ行動もいきいきと活気に満ちたものになるだろう。
またチームの場合、ニーズを共有し、ともに協力しあってがんばることができるだろう。

そんな話をしていたら、参加者と「こんなことしてみない?」というかなり具体的なアイディアが出てきた。
「これで稼げたら楽しいじゃん」
という計画。



ニーズにつながったらさまざまな手段が魔法のように飛びだしてくる、ということがNVCではよくいわれるのだが、それは本当なのだ。

心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会、4月の開催は7(土)14時/21(土)14時/23(月)11時、いずれも約3時間です。

2018年3月25日日曜日

NVCの日本語書籍が(とにかく)ない

私の本『共感的コミュニケーション2018』を読んだという人からこんなメッセージをいただいた。

「Kindle で共感的コミュニケーション2018読ませていただいてます。NVCを学んでる最中ですが、読みやすい本を探しててたどり着きました。だいぶ入ってきやすいです。人生の波を乗り切り、命を味わうって言葉いいですね」

うれしい。
私の本はKindle版と紙の書籍の両方が出ているが、日本の書籍流通ルートに乗っていないので、書店の書棚にならぶことはないし、図書館にも置かれていない。
Kindle版はアマゾンにアクセスして検索すれば、すぐに入手できる。
また紙の書籍も私のウェブサイトから直接購入できるようになっている(送料無料)。
しかし、一般的にはまったく知られていない。

上記のように、NVCを学びはじめた熱心な人が、あちこち検索でたどって、私の本にたどりつくケースはあるが、まれだ。
NVCを学ぶための日本語の本としては、いまのところ日本経済新聞社から出ている『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』が定番となっているが、それ以外のものはほとんど出ていない。

『「なんでわかってくれないの!」と思ったときに読む本』という翻訳ものがあって、これもNVCをベースに書かれたコミュニケーションの本だが、もともとは英語で書かれている。

つまり、最初から日本語で書かれたNVCの本がほとんどない。
いや、まったくないといっていいだろう。
私の本をのぞいて。
あと、本にまとめた以外にも、膨大なドキュメントが私のブログ「水の反映」に掲載されている。
NVCを学ぶためのテキストをとにかくたくさん読みたい、という人は、私の本とブログをおすすめしたい。



これは私の書いたものをもっと知ってもらいたいということもあるが、それ以上に多くのNVCを学ぶ人たちが学ぶためのテキスト探しに苦労しているのを見て、いつももどかしい気持ちになってしまうからだ。

2018年3月24日土曜日

映画:グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち

1997年公開のアメリカ映画。
監督はガス・ヴァン・サントという人。
写真集を出したり、小説を書いたり、ミュージックビデオをたくさん撮ったり、自分自身もミュージシャンとして活躍したりと、さまざまな活動をしている人らしい。
映画もたくさん撮っているが、私はあまり観ていない。
最近の「ミルク」「プロミスト・ランド」「追憶の森」なども未見で、これから観てみたい。

というのも、「グッド・ウィル・ハンティング」がすばらしい映画だったから。
マット・デイモンの「ほぼ」映画デビュー作といってもいいもので、しかも彼は脚本も書いている。
いっしょに書いているのがベン・アフレック。
彼もまた、デビュー作に近い。
ふたりはおさななじみとのことだ。

心に傷を負った、しかし天才的な頭脳を持つ若者と、老年にさしかかった心理学者で精神科医との交流が、映画の軸となっている。
世代を超えた友情の物語といっていいかもしれない。
精神科医をロビン・ウイリアムスが演じているのだが、これがまたすばらしい。

ロビンもマットも、映画中でかなりの長回しでの長ゼリフのシーンがある。
どちらも見応えがある。
この長回しに注目して観ていただきたい。
また、ベン・アフレックも抑制のきいた演技をしていて、ラストのほうでウィル・ハンティングの家をいつものように訪ねて行って彼が不在であることを知ったときの演技は、片頬だけで非常に豊かな表現をしていて、舌を巻かされる。

この3人に限らず、とにかく出演している役者たちがどれもすばらしい。
派手なシーンはないけれど、ストーリー、役者、演出、どれをとってもすばらしく、ひさしぶりに映画を観て泣いた。
私が観た映画ベスト10に入れてもいいと思うくらいだ。

2018年3月23日金曜日

知識ではなく経験をつたえたい

私自身の「限られたいのちのリソースを効果的に使いきりたい」というニーズにつながってあれこれ整理していたとき、あらためて気づいたことがある。
執筆や音楽、映像など、コンテンツ製作に力を注ぎたいという気持ちがある一方で、人とのつながりを大切にしてその場を育みたいというニーズもある。
この両方のバランスが大事だと感じているのだが、場を育むことについても、その内容というか方法について気づきがあった。

勉強会、講座、ワークショップ、いろいろないいかたがあるが、講師またはファシリテーターがいて受講者または参加者がいる形の「場」には、大きく分けてふた通りの方式があるような気がする。

ひとつは講師が学んだ知識やスキルについて学び、自分もそれを身につけたりできるようになりたいという目的の場。
もうひとつは、講師自身の経験や知見を教わり、それを自分なりに応用できるかどうかやってみる場。

私がやりたいのは、はっきりと、後者だ。

私が読んだり、だれかの講座やワークショップに参加して得られた知識やスキルを、そのまま伝えることはしたくない。
それらの経験を通して、私なりに感じたこと、応用できることを伝え、それがまたその人にとってどのように感じたり、応用できるのか、それをいっしょに検証してみる、そういう場を作りたい。

これまで数多くの勉強会を主催したりお世話してきたが、その観点がクリアになっていなかったこともあった。
クリアではなかったけれど、無意識にそのような指向性はどの勉強会にもかならずあったような気もする。

共感的コミュニケーション(NVC)についても、海外のトレーナーから教わったことや本で読んだことをそのまま人に伝えることには、なんとなく抵抗があった。
その理由が自分でもよくわからなかった。
はっきりわかったのは、教わったことを自分でも試してみて、その独自の経験を人に伝えたいのだ、ということだ。
どのようにすばらしいことでも、すべての人がうまくいくとは限らない。
すくなくとも私が個人的にトライしてみて、どのようにうまくいったか、あるいはうまくいかなかったかについて伝えることについては、まったく躊躇がない。

そもそも私は小説家であり、極私的な経験を昇華させて物語を書くことが仕事だ。
それがだれかの役に立つこともあるかもしれないし、まったく役に立たないかもしれない。
それをあらかじめ知ることはできない。
私にできるのは、ただ私自身の経験とその昇華した物語を、個人的に伝えるだけだ。
伝えられた人にも、それは個人的な体験として受け取られるだろう。
それがその人にとって役に立つか立たないかは私には予測できないが、ひょっとしてただ本に書いてあることをそのまま伝えられるよりは深い体験があるかもしれない。

そもそも、本に書いてあること、映像になっていること、ネットに情報として流れているようなことは、私が伝える必要はなく、そっちを直接あたってください、という話だ。

私が作る学びの場は、それぞれの個人的体験を交換しあう場だ。
それはまだどこにも書かれていないし、参照される形で発表もされていない。
そこからそれぞれが(私を含めて)オリジナルな学びを発展させ、成長し、自分自身を生かしきる道を見つけていければ、と願っている。

心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会、4月の開催は7(土)14時/21(土)14時/23(月)11時、いずれも約3時間です。

2018年3月22日木曜日

YouTube:朗読「ありがとう、理髪師さん」勝木雪子

中国の作家、林志明氏の短編集『天使在人間』(鄧晶音・訳/河出書房)から短編を朗読するシリーズ、第2弾です。
「ありがとう、理髪師さん」を、現代朗読のゼミ生・勝木雪子が朗読しました。

ハンセン病を扱った小説集である本書は、サブタイトルに「中国ハンセン病回復者の綴る17の短編小説」とあります。
ハンセン病について、そしてこの本についてすこしでも多くの人に知ってもらいたい、という思いがこめられた朗読です。

 朗読 :勝木雪子
 ピアノ:水城ゆう

映像はこちら。

自分のいのちのリソースを効果的に使いつくしたい

少人数だけど人が来てくれていっしょになにかやったり、かんがえたり、学んだり、そしてまたひとりになって書き物したり、音楽聴いたり、映画を見たり、そんなことをしているうちに、深く自分につながる時間がおとずれた。
私が私であること、私のここにある命がなにを求め、なにを必要としているのか。
武術の稽古とあいまってひろびろと身体が開かれる感じがしている。

なんとなく惰性でやっていること、習慣になってしまっていること、人との関係性のなかで義務的になってしまっていること、そういったことをいま一度かえりみて、命のリソースを集中していきたいと思う。

私のニーズの中心にあるのは、自分のいのちを大事に使うこと。
時間的にも物質的にも精神的にも有限であるいのちのリソースをうまく使いきること。
私がおさらばしていくこの世界を、私がいたことですこしでもよくすること。
私のいのちの継続として祝福できる存在である子どもたちや若い人たちに、すこしでも役に立てること。

私のいのちのリソースをもっとも効果的に使える方法はなんだろう、ということをずっとかんがえている。
それは私のニーズと、私の能力が一致した場面であろう。

表現すること、伝えること、貢献すること、喜んでもらうこと、そういったことが自分の喜びでもあること。
そうかんがえると、やはりまずだれもが手に取って利用できる「コンテンツ」を作りたい、という戦略(ニーズを満たす手段/strategy)がしっくりくる。
コンテンツとはテキスト/本であり、オーディオやムービーである。

人と直接つながることも、私にとってはかけがえのない時間だ。
ただコンピューターにむかってものを書いたり、音楽やビデオクリップを作ったりしていればいい、というものではない。
しかし、最近はそのバランスが崩れぎみだと感じることが多く、すこし気がかりがある。
ようするに簡単なことばでいえば、「手を広げすぎた」という感じなのだ。

ちょうど新年度がスタートするこの時期に、直接人とつながる場/イベントをすこし整理して、もうすこしコンテンツ製作に使える時間とゆとりを確保しようと思う。
(結果的に)少人数で開催している共感カフェなども、自分のリソースを生かしきるにはすこし窮屈な感じがする。
大切な場ではあるが、バランスが重要だ。

長くつながりつづけて人たちとつながりを切るということではなく、別の形でつながることを提案してみよう。
量より質ということも大切だし。

2018年3月21日水曜日

少人数の講習会は自分の穴を見つけやすい

毎月一回、駒井雅和中級教練をお招きして開催している国立・春野亭での韓氏意拳初級講習会(体験可)だが、今回は常連のかたがたが身内の不幸やらインフルエンザやらで参加できず、世話人の私ともうひとりの常連のかたという、贅沢な講習会となった。

韓氏意拳はときにわかりにくいとか、とっつきにくいと感じるかたがおられるようで、その強力な稽古体系のわりには会員数はすくない(と私は思う)。
しかし、しばらくつづけているとそのおもしろさはわかってくるし、自分でも心がけて稽古をしていくことがさらにおもしろさを増大させていく。

基本的にひとり稽古をした上で、教練が指導してくれる講習会に出るのがいいと思う。
教練の先生がたもさまざまな個性のかたがおられて、そこも韓氏意拳のおもしろいところだ。

春野亭に来ていただいている駒井雅和先生(中級教練)は指導歴もふるく、またご自身で韓氏意拳をわかりやすく、おもしろく(!)伝えるための工夫を日々されているので、毎回どのような指導があるのか楽しみな先生のひとりだ。

今回は参加者にあわせて、これまでの講習会で手薄になっていると感じている稽古を集中的におこなっていただいた。
とくに基礎歩法を丁寧に指導してもらった。

私も赶歩(箭歩)における形体訓練との関係や、重心転換との関係について、大きな気づきをもらった。
自分ができていないこと(穴)にもおおいに気づいて、ちょっと落ちこむけれど、稽古のしどころが明確になった。
また、歩法から基本拳法の劈拳との関連にも進んだ。

劈拳はむずかしかったが、すべての稽古体系がたがいに関連を持っているとわかってはいてもなかなか体感できなかったことが、実際に腑に落ちる体験ができた。

駒井先生の国立クラスは、3月27日(火)と4月16日(月)に養生功講習会を、4月9日(月)に初級講習会を、ともに午後に予定している。
また昭島市のご自宅のK-STUDIOでも講習会を開催されているので、韓氏意拳学会の公式ウェブサイトをご参照いただきたい。

振動メトロノーム「Soundbrenner Pulse」

即興ピアノ演奏にみがきをかけるべく、秘密兵器を練習に導入してみた。

そもそも即興演奏の練習ってどうやるんだろう、と思われるかたがいるかもしれない(いないかもしれない)。
知っているかどうか知らないけれど(たぶん知らない)、即興演奏の最大の敵は自分の「手くせ」だ。

私の場合、即興演奏をおこないとき、可能なかぎり自分の「たくらみ」を手放すことを心がけている。
たくらまず、どのように音を紡ぐかというと、

 1. からだに任せる
 2. 自分が弾いた音に導かれる

からだがこのような音がほしいと教えてくれる、あるいはいま弾いたばかりの音がつぎの音を導いてくれる。
抽象的なものいいだが、実際にそんな感じ。

その際、自由に遊ぼうとしている音をさまたげる最大の敵が、長年弾きこみつちかってきてしまった自分の「手くせ」なのだ。
それを徹底てきに解体しておきたい。
即興演奏の練習というのは、それをやることだ。

手くせからは出てこないパターン練習をする。
そのときメトロノームが大変役に立つ。

メトロノームといえば、たいていの人は木製の三角錐の、重りのついた金属の棒が左右にかっちんかっちんと振れる「あれ」を思い浮かべるんじゃないだろうか。
私も子どものころからあれを持っていて、ピアノの練習に使った。
最近では電子メトロノームがたくさん出回るようになっていて、拍速やリズムの設定も簡単だ。
たいていは、ピッピッピッ、などという電子音で拍を知らせるようになっている。
スマホ用のアプリもたくさん出ている。

私があらためて入手したメトロノームは、電子式・デジタル式ではあるが、音で知らせるのではなく、振動で知らせる方式だ。
意外になかった。
またこの「Soundbrenner Pulse」はデザインもよく、腕時計のように巻いたり、太ももなど脚に装着できるようになっている。
振動がかなり強いので、裸のままポケットに入れておいても使える。

パワーのオンオフや拍速の設定は指とダイヤルでできるようになっているのだが、スマホとブルートゥースで連動させればより細かい設定ができる。
また、これは私はまだ使ったことがないのだが、バンドで全身がこれを持ち、おなじリズムをシンクロさせて練習することもできる。
練習だけでなく本番でも使えるかもしれない(リズムに問題があるバンドの場合)。

このメトロノームを腕に装着して、一定のリズムや、3拍子や5拍子、場合によっては7拍子などという変拍子でパターン練習するのは、とてもよい訓練になる。
手癖や生理的ゆらぎがあぶり出されてくる。

2018年3月20日火曜日

YouTube:マインドフル手帳術参加者インタビュー

2018年3月18日。
ひさしぶりとなるマインドフル手帳術ワークショップを開催しました。
共感的コミュニケーション(NVC)の自己共感スキルをもちいて手帳を活用するライフハック術です。

オンラインも参加者もいましたが、現地・国立春野亭に来てくれたふたりに、ワークショップの前と後でそれぞれインタビューをさせていただきました。
その模様をかいつまんでご紹介します。

インタビューに応じてくれたのは、伊藤はるかさんとジーノ(梶野翔)くんです。
おふたりには感謝。

次回のマインドフル手帳術ワークショップは、国立およびオンラインでは4月7日(土)、名古屋天白では4月15日(日)に開催予定です。
詳細は水城ゆう公式ウェブサイトをご覧ください。

映像はこちら。

マインドフル手帳術ワークショップをおこなった

ひさしぶりとなるマインドフル手帳術ワークショップを開催した。
国立春野亭では初開催で、オンライン参加者もひとり。

ひさしぶりだったが、今回はこのワークショップのためにあらたに「ハンドブック」を準備した。
ちゃんと編集・製本して、48ページと薄くはあるが、ちゃんとした紙本だ。
それを使って進めた。

この模様は伊藤はるかと、参加者のジーノくんに、動画インタビューをしてあるので、近日中にYouTubeで公開予定だ。
どんな感じなのか知ってもらえたらと思う。

そして今回参加できなかったけれど、興味あり、べつの機会に参加したいというかたが多くいらしたので、4月7日(土)の午後にも開催することにした。
(名古屋天白の〈アロマファン〉でも4月15日(日)に開催します)
ご都合つくかた、ふるってご参加ください。

◎4月7日:マインドフル手帳術ワークショップ@国立春野亭
国立駅徒歩5分の会場で、午前11時からランチタイムをはさんで午後4時まで、共感的コミュニケーションの「自己共感」スキルをもちいた画期的な「マインドフル手帳術」の実践ワークショップをおこないます。ひさしぶりの開催となります。

2018年3月19日月曜日

テキストコミュニケーションにおける共感(NVC)

このたびおこなう「共感文章講座」は、私が提唱する共感の四つのモードのうちのひとつ「テキスト共感モード」について私の経験を伝え、また参加のみなさんといっしょに練習する勉強会である。

おさらいしておくが、四つの共感モードとは以下のとおり。

 1. 集中共感モード
 2. 表現共感モード
 3. テキスト共感モード
 4. 縁側(自然体)共感モード

くわしくはこちらの記事「共感的コミュニケーションにおける四つの共感モード」を参照していただきたい。
⇒ https://juicylab.blogspot.jp/2018/01/blog-post_30.html

すでに何度か開催してきたが、やるたびにわかってきたことがいくつかある。
まず、私たち現代人――とくにスマホが普及したここ数年――は日々、大量のテキストを処理し、書き、またそれでコミュニケートしているということ。
そしてこの場面でディスコミュニケーションに直面し、幾多のトラブルを抱えた経験のある人がとても多いこと(私もそのひとり)。
その経験からくる痛みが、テキストコミュニケーションにたいしての怖れをもたらし、メールやSNSでのやりとりを避けるようになったり、ブログで表現することを躊躇するようになった人がとても多いこと。
いずれも、とても残念な事態だ。

つぎに、テキストベースで共感的なやりとりをするのはとても困難で、対面でないと共感的なつながりは作りにくい、せめて電話やオンラインでのミーティングでなければ、と思っている人が多い。
私も正直、そう思っていたことがある。
が、講座をなんどか開催し、みなさんといっしょに検証していくうちに、テキストベースでも共感的なつながりを作ることは不可能ではない、ということに気づくようになってきた。

共感文章塾では、テキストにおいてもそこにあらわれ読みとることができる「感情」と「ニーズ」にフォーカスし、自分自身とのつながりと相手とのつながりを作る試みを練習する。
自分自身とのつながりが見えたとき、そこにはオリジナリティの高い、のびやかな文章があらわれてくる。
また相手とのつながりを試みたとき、それはお互いの価値観を大切にしあう思いやりに満ちたことばのやりとりが生まれる。

こういったことが、いまこの瞬間の私たちにこそ必要なのではないかと思っている。
まあなにより、私自身が必要で、役に立っているということなんだけどね。

◎3月21日:共感文章講座(自己共感を用いた文章表現)
3月21日(水/春分の日)午前11時から約6時間、共感文章講座を開催します。水城ゆう( mizuki-u.com )が長年つちかってきた文章術、指導法に加えて、共感的コミュニケーションにもとづいた共感のプロセスも取りいれたユニークな方法を練習します。オンライン参加も可。

熊谷守一「生きるよろこび」展

東京国立近代美術館で熊谷守一「生きるよろこび」展を観てきた。
熊谷守一という名前を知らなくても、絵を見ればだれもが「ああ、この人ね」とわかる、ポピュラーな絵をたくさん描いた人だ。
とくに97年という長い生涯の後半に描かれた、輪郭のくっきりした、版画とも思えるような明快な画面は、いまでも多くの人に愛されている。

私自身はといえば、正直、あまり興味を持っていなかったのだが、ふと気が向いて展覧会に行ってみることにした。
没後40年という節目に開催された、けっこう大きな回顧展で、来場者の年齢層はかなり高め。
私などはもっとも若い世代にはいるだろう。

展示はおおまかに製作年順になっていて、最初期から最晩年まで網羅されている。
それがおもしろかった。
とくに最初期から中期にかけて、まだクマガイモリカズスタイルが確立される前の、さまざまな試行錯誤や実験、挑戦がつづいていた時代の作品が、私にとっては刺激的だった。

それらを観たあとで、後半の確立したスタイルの画面を観ると、それが単純明快なようでいて、じつはかんがえ抜かれ、趣向をこらしたものであることが見えてくる。

一貫しているのは、光と陰、形と補色を追求していることだ。
最初期の、真っ暗といってもいいくらいの影の多い画面が、後半にはまるで影のない、あっけらかんと明るい作品になるのだが、よく見るとじつは後半のほうが影に満ちているという不思議がわかってくる。
明色が補色と対比され、どの作品も明るいのに陰影が大きく配置されている。
魔法のようだ。

とはいえ、スタイルが確立されたあとの作品群は、私にとっては退屈に思える。
そこに至るチャレンジの時代が刺激に満ちている。
自分は本当に変化やチャレンジが好きなのだなと、あらためて確認した。
そして初期から中期にかけての作品にも、本当に素敵な、心が洗われるようなものがいくつかあって、楽しかったな。

2018年3月18日日曜日

三本指スワイプができない

執筆やネットなどの作業用のメインマシンとして、MacBook Pro の13インチをヘビーに使っているが、マシンパワーがあるので常時複数の作業を並行しておこなっている。

同時にいくつものアプリを立ちあげている。
執筆用にEvernoteやScrivener、ネット用にSafariとChrome、ときにはForefoxも。
ほかにもTweetbotやiTunes、Logic、Final Cut も立ちあがることがある。

ひとつの画面では作業しづらいので、複数のデスクトップ画面を用意しておいて(4画面くらい)、3本指のスワイプ動作によって横スクロールで画面を切りかえている。
これが便利で、動作もスムースなので、外付けの拡張モニターのようなものは不要だ。

3本指というのは、人差し指と中指と薬指なのだが、今日、たまたま薬指の先にバンドエイドを貼っていて、タッチパッドがそれに反応しない。
これが意外に不便。
Ctrlキー+→キーでも画面を切り替えられるのだが、3本指スワイプが身体に染みついてしまっていて、ついやってしまう。
するとそれは2本指と認識されてしまい、別の動作が働いてしまう。

いまふと思いついて検索してみたら、タッチパッドも使える指サックがあるらしい。
試してみようかな。