2020年8月16日日曜日

出発式のお知らせ/8/13〜15のレポート

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本日18時半から水城ゆう出発式(告別式)をとりおこないます。

オンラインでご参列いただけます。時間になりましたら、現代朗読協会のFacebookページにあるイベント「水城ゆう旅立ちフェス」にお入りください。


また、出発式終了の19時半ごろから、水城ゆうを偲ぶオンラインミーティングをもちます。

水城に贈るパフォーマンス発表、そしてまた水城への想いをかたりあう場としたいと思っております。

ご参加には事前登録が必要です。参加希望の方はこちらからご登録ください


以下、栗山のぞみさんによる8/13〜15のレポート(Facebook):

8月13日午前

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3269542793093732&set=a.173937972654245&type=3


8月13日午後

https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3270715956309749


8月14日の記録

https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3273343612713650


8月15日の記録

https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3276610549053623

2020年8月15日土曜日

旅立ちフェス開催

 8月15日未明、水城ゆうがこの世を旅立ちました。


是非現代朗読協会のFacebookイベントページに、水城へのメッセージをお書きいただければ幸いです。

また、水城にゆかりあるみなさまにご自宅から見送りにご参加いただけるよう、「出発式」のオンライン中継、つづいてzoomにてみなさまのパフォーマンスや送る言葉などで水城の旅立ちを見送る会を催したく、お誘いいたします。

旅立ちフェス@8月16日(日)


【第1部:出発式 18時30分〜】

キリスト教式で水城を見送る式をとりおこない、Facebookライブで中継します。みなさまでお見守りください。

【第2部:水城旅立ちフェス 19時30分ごろ〜】

zoomルームにご参加いただき、みなさまそれぞれの水城への思いを表現し分かち合いましょう。
(出発式終了までは待機室でお待ちいただきます)

◉登録が必要です!

オンライン旅立ちフェスに参加される方は、こちらのリンクから必ずご登録ください。
折り返し、zoomルームへのアクセスURLおよびパスワードが届きます。

◉詳しくは「水城ゆう活動支援プロジェクト」をごらんください。


◎フェススタッフより

スペースの関係および時節柄もあり、春野亭への弔問はお控えいただき、それぞれの場所でぜひ、オンラインフェスにご参加ください!

2020年8月13日木曜日

これまでの状況(8/4〜12)

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水城見守りフェス、つづいています。

毎日4〜5人が春野亭に詰めてくれており、見守りやオムツ替え、ベッドを整えたり洗濯や掃除をしたり、出入りする人たちのために賄いをしたり買い出しをしたり……をしてくれるので、私はベッドそばで見守ることだけに徹することができ、仮眠もとることができています。

夕方から朝にかけてが変化が大きいので、泊まり込みや早朝から来てこうした作業をしてくださる常連メンバーもおられ、彼らのケアも大事です。

配慮とサポートをよろしくおねがいします。

力も強く、吸い込む力もあり、誤嚥もありませんが、本人のバイタルは徐々に低下していて、今朝の訪問看護においては、急変の可能性および週末はどうかという話題になってきています。

その時がくるまで、フェスは楽しく明るくつづける所存です。


以下、栗山のぞみさんによる8/4〜12のレポート(Facebook):

8月4日〜8日までの記録
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3254177874630224

8日から9日朝 
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3256011444446867

9日の記録
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3257975110917167

9日から10日朝
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3259252580789420

10日の記録
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3260571730657505

10日夜〜11日朝
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3262456457135699

11日の記録
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3265178393530172


12日の記録
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3268532579861420


2020年8月8日土曜日

本日朝までの状況〜大変だけどすばらしい

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5日の午後、ふたりの青年がやってきてくれた際、朗読に反応してピアノを弾いた。奇跡。

そのあとは椅子から動けないまま、訪問看護あり。麻薬の量を95%にする。痛みよりクリアな時間を、という願いからだったが、かなわず。看護師のすすめで、夕方からおむつにする。その後はもう意識も朦朧としてきて、吐いたりしながらもなんとかその夜は眠った。

6日、のぞみさんが明け方5時頃帰宅した後、私ひとりだけの6時すぎに急変。早い呼吸で、動こうとして倒れる繰り返し。意識は飛んでいる。白目をむいて何か話すのだが聞き取れず。これはもうだめかと思い、身近でサポートしてくれる友人たちに「だれかきて」とメッセージを送る。

その後はあまりにも怒涛の時間で、もう記憶が飛んでます。


絶対にわたしがひとりにならないようにしてほしい、と友人たちにおねがいしたら、絶対にしない、と毎日誰かがつめてくれている(また、何人もが水城だけでなく私のケアにもきてくれる)。

水城は数時間おきに嘔吐して黒色の吐瀉物を出す。最初は数百mlほどの大量を日に2〜3回だったが、徐々に減っていき、色も黒から深緑になっていった。昨日の夜あたりからは、ついに液体ではなく粘度の高い痰になった。また洟水がつづいてもいる。なんとか液体が口に入れば、それだけの量がまた吐瀉物として出てくるのだが。

おむつ替えは3人がかり。本人まだ体力がある、痩せてはいるがそれなりに体も重い、しかも自分の意思(?)で多少は体を動かそうとする。これを御すのは慣れない女3人ではかなりきつい。

(たまに本人が立ち上がろうとするので、それにあわせてやると、しばらくワナワナしながらしがみついて立っていてくれ、その隙におむつをはずしたり尿取りパッドを取り替えたりシーツを替えたりその他もろもろカバー類をどどどと取り替えられる。こうした連携プレーは、手際とアイディアと経験をもつ女性たちがいてくれることで、大変な作業が「すごい!」「やった!」とバレーボールの試合で点数が決まった時に皆が喜び合うような光景が生まれて充実感もある)

人手があるので、昼夜を問わず洗濯機をまわし、夜でも干す。梅雨が明けたのはありがたい。

毎日本人の状態が変わるので、その都度対応も変わり、必要なアイディアも変わる。マインドフルでいなくてはとても無理だ。

今はなんとなく元気な気がする。意識はほとんど(今皆で共有していると思っている世界には)ないようだが、掛け声のような声が出たり、ベッドから足を下ろしたり、お尻をずらしたり、といった運動をおこなう。目に意識が戻り、しっかりとこちらの顔を見ることができる瞬間もある。意味のある文章が口から出ることもある。
もっとも、昼は比較的おだやかで安定していることが多い。
夜遅くから明け方にかけて不穏になりがちで、頻繁に嘔吐や汚れ騒ぎや大きな動きが起こっている。泊まり込みができる人は限られているが、私を含めて3人は必要だ。そんな状況ができるだけ続いてほしいというのだから、介護というのはやはり無理ゲーだ。でも、汚物の容器はいつのまにか消毒されて戻され、濡れタオルや汚れ拭きが必要なときにさっと差し出され、お腹が空いたら食べ物が出てくる。そんなふうに影に日向にはたらき助けてくれる人たちがいて、介護はさながらフェスになる。
水城見守りフェスには、休み時間はない。
水城が声を出したといえば、今はなんと言ったのだろうと皆が集中し、なにが必要だろう、いまどんなきもちだろうと寄ってたかって推測され、バカ話に水城が苦笑しているだのうるさがっているだの言っては数分間みんな静かになるが、すぐにひそひそ声が再開し、また笑い声がおこる。
ふだんなら絶対見せることのない股間も大公開で清拭されて。
無防備でありのままをさらしながら、いま、水城は生きている。
水城さんはなんてしあわせなんだろうね、と皆が言う。
本当に、なんてしあわせなんだろう。
と思っていたら、水城から
「すばらしい、すばらしい」
という声が出た。なにに対してかわからないけれど、「おお〜〜」とみんなからお祝いの声があがった。

2020年8月6日木曜日

今朝の状況について

明け方、かなり危険な状態になりました。

今はなんとか落ち着きましたが、意識がもはや保てない状態です。
傍から動けません。

お見舞いのご予定をいただいている方は、お迎えできませんので勝手にお上がりいただき、顔を見るだけでお帰り願います、失礼をあらかじめお詫びいたします。
これからのおつもりだった方は、しばらくご連絡できませんのでお待ち下さいますよう。

友人たちが家のことなどやってくれながら隣室に控えていてくれています。

風が気持ちいいね、と話しかけると、時々首を動かしたり、目を見開いたりします。

ひろしまに思いを馳せながら。

2020年8月5日水曜日

essay 20200803 白鳥の歌



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これが最後なのか、こんどが最後になるのか、とひとつひとつの行為に思いながらの日々。

この3日間ほどは昼夜を分かたずトイレに頻繁に立つ。
支えると倒れやすくなるようなので、椅子や壁を支えに自力で動いてもらう。
ケアのありようが問われる。
浮腫んでパンパンに膨らんだ両脚をあげるのも自分で、とおねがいする。
ひょいとあげられるときもあれば、手でもちあげないとあげられないときもある。
せめてもの浮腫対策にと、たっぷり時間をかけて両脚のマッサージ(圧)。足の指の下に私の足の指を入れてリズミカルに持ち上げては落としてやると「気持ちいい」といって喜ぶ。こんなのが気持ちいいんだ……という発見。
他人にはそのくらいしかできないし、しないでいいのだろう。

夕方、ふたたび黒い液体を大量に吐く。
「遺言書を書く」と言って書く。遺言書は書き間違えるとだめらしいからもういいよ、と何度か止めたが、「絶対書く」と机にしがみつくので、書き終えるまで見届ける。黒く塗り潰したあとがいくつも残る遺言書。使えないかもだが本人の思いとして。

ものを食べなくなって数日。それが昨夜、いただいたメロンを「食べる?」と聞くと「食べる」と言うので少し出したら、「もっと」と言うので驚き喜び、さらに数切れ出したら平らげた。どんなに美味しかっただろうか!

明け方、みたび黒い液体を大量に吐く。
トイレの場所を何度か見失う。
水分がどんどん失われていく。入れるより出すほうがだんぜん多い。
枯れはじめたということか。

夜が明ける。
「体の中、どうなってる?」と聞くので、「あなたにしかわからないかなあ。ピアノ弾く?」と聞くと「うん」と言う。
でも動かない。

2020年8月4日火曜日

essay 20200802b 美しいおと



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aに続いてすぐ弾き始めた曲。
とても美しくて、しかも後半は同じ音の繰り返しになるのに、ずっと聞いていたい、もっと鍵盤を押してほしいと思った。一音一音がしぼりだすようにだされているからだろうか。音が出ているあいだはたしかに生きているからだろうか。

essay 20200802a やってみる



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水城がパソコンを操作できないので、私が代わりにやることに。
電子ピアノからオーディオインターフェースを経由してMacbookにつなげ、Logic Proで収録する。
音を編集することは無理だが、とりあえず音をいじらずにwavファイルにバウンス、それをYoutubeにアップする。
そんな些細なことの方法もわからなくて、友人に泣きついて教えてもらう。
やれ音が出ない、やれカットがわからない、やれミックスができない……
収録作業はこれまですべて水城がやってきた。
オーディオブックを収録するために何度か収録作業の講座もやってもらったが、ついぞ私が覚えることはなかった。

やらないからできない。やってみればそのうちできるようになる。
そんなことを人に言ったり言われたりして、ようやく事ほど左様に単純だと納得するまで何年かかっただろう。
ただやればいいだけなのに。
やらない理由をさがすのは未来への恐れといいつつ、それは未来でもなんでもない、過去の痛みが“ストーリーお化け”になって後ろ髪を引っ張っているだけだ。
同時に「責任の回避」をやっている。悪の凡庸さ……

なんてことはさておき、8月2日のこの演奏、bと2曲つづけて弾いていて、その切れ目はほとんどなかったので全体で長い一曲だと思っていたのに、あとで2曲であること、曲の切れ目はここ、との明確な指摘があり、音への意識はかなりクリアだなとおどろいた。

3回、トイレの行き来の際に倒れた。うち2回は力が入らず崩れ落ちるように座り込んでしまった。
85歳の認知症の舅を介護していた頃の記憶がリアルに蘇る。こんなふうに痩せてごつごつして骨の重さがこたえた。180センチ超えの舅と比べれば、水城はまだ抱えられるけれど。そして浮腫。低反発枕はもう使わないだろう。

2020年8月3日月曜日

essay 20200728 神は跳ねる



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この演奏は、仲間たちとともにオーガナイズした2017年NVC国際集中合宿(IIT)の、初日=マーシャル・ローゼンバーグの誕生日に生まれたちせちゃん(2歳)の曲をといって即興で弾いたもので、あとで「神は跳ねる」というタイトルを水城がつけた。
2歳の活発な女の子が、猫をおいかけたり、散歩で見つけたセミのぬけがらを見せに来たり、唇をすぼめながら手作りジンジャーエールを飲んだりしているようすを思い浮かべてみてください。
2歳児は神、というよりきっと神は2歳児みたいなのではないか、無防備で正直でやりたいことしかやらないで、そこに「在る」。

この翌日、7月29日水曜日、待望のMacbook Proが到着。「届いたよ!」とすぐに開けて渡したときの満面の笑み。
(記名支援者の方にお送りした報告メールには写真を掲載させていただいた)
しかし……同じ29日、麻薬の量が2割増量された。
痛みは緩和されたが、譫妄が甚だしくなった。体力もがくんと落ちた。麻薬のせいなのか、それとも他の要因があるのか。
水城は29、30日と新Macの設定に余念がなかったが、「うまくいかない」という。設定途中でうとうとしてしまったり、画面の文字が読めなかったりしたようだ。新しいオーディオインターフェースをつなげようとするが、何をどうすればいいのかわからない。急遽私が音楽家の友人にヘルプを出して画面をみせながら二時間かけてなんとか設定完了。さっそく試し録りを、とやってみるが、「わからない」といってギブアップ。
「新しいMacのことを考えるとめっちゃワクワクする」と待ちきれないほどだったのに、理解が追いつかなくなっていた。
痛みの緩和と創作のためのクリアな理解力と、どちらをとるのか。迷わず後者で、そう伝えていたはずだったのだが、医療の常識は前者だったようだ。ぎりぎり痛みとのバランスをとりながらクリアでいたい、というのは無茶なのぞみだったのか。
いま、文章は書けない。
それでも、なんとかピアノだけは、「わからない」と言いながらもピアノの前に座ってしばらく静かに話していると、「弾く」といって弾き始めた。昨日(8月2日)のことだ。今日もなんとか弾けた。
「『わからない』ならとにかくやってみればいいんだよ」とピアノの前に連れていった。からだがきっとおしえてくれると信じて。からだは応じてくれた。
いつまで応じてくれるだろうか。

2020年7月28日火曜日

essay 20200727 耳を澄まして

ふと思いついて、ピアノの即興演奏収録の後に、別の音をかぶせてみたくなった。
ピアノの生収録と、実験的にいろいろな音源を作って試してみるのとは、同じマシン(MacBook Pro)を使っている。
生演奏の上に別の音源を生演奏でかぶせるのはそれほど難しいことではない。
ただし、そこにあるのはもともとは生演奏なので、楽譜もないし、リズムのガイドのようなものもない。
収録されたものに耳を澄まし、あたかもそこに一緒に演奏している人間がいるように感じながら音を合わせていく。

その逆をやることもある。

昨日はまずまず上手くいった。
自分対自分のセッションだ。
うまくいけばとても楽しい。




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痛みに耐え続ける毎日がつづく。
ただただ生き延びるだけでせいいっぱい。
ピアノの前までたどりついても、何もできずただはぁはぁと息をして、ベッドに戻る。
それでもまだなんとか自力で動けるのが、なによりのお祝い。

昨日は訪問看護師さんに久々に洗髪してもらった。
風呂場に行けないので二階の洗面所で洗ってもらうため、お湯を用意し、水で薄めて温度調整しながら、蓋に穴をあけて簡易シャワーにしたペットボトルを使う。
体温調節がもとから苦手だったが、いまはわずかな温度差に敏感で、洗髪用のお湯も、たぶん40度を超えるくらいでもう「熱い」と声をあげ、38度ぐらいで「冷たい」と言う。
最近の東京は暑すぎることもないがそれでも蒸し暑さはあるのに、「寒い」といってフリースを着る。
汗もほとんどかかない。
そういえば、がんになってから体臭がとても薄くなった。
清浄になっていくのだろうか……


2020年7月26日日曜日

essay 20200726 増えるレスキュー

がんの慢性的な痛みをおさえるために、上腕上部に常時皮下注射を入れてある。
そこからは痛み止めの医療用麻薬(モルヒネ)が注入されているのだが、その作用がときどき追いつかなくなることがある。
どうしても痛みが強くなったとき、レスキューとよばれる、追加の麻薬を丸いカプセルのボタンを指で押して手動で注入する。
一時間ぶんぐらいを余分に先行して打つことになるわけだが、体も次第に慣れてきて、最初は一日数回だったのが、4〜5時間に一回、3〜4時間に一回、2時間に一回、と次第に間隔が狭まっていく。そうするとレスキューの意味がなくなるので、ベースの量を増やすことになる。
私が注入している量はどのくらいかよくわからないが、相当な分量を体に入れることになると、体を動かすのもしんどいし、頭の働きも鈍くなっていく。
頭がクリアで、体もあるていどキレが良く、という具合になるといいのだが、なかなかそうはいかない。
今日も痛みのために歯を食いしばって起きながら、ベッドの中でこれを書いている。
ピアノと、それにつけるエッセイは、なんとしても私の表現活動の先端として確保していきたい。




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「書いている」とは、今日の場合は口述筆記を指す。
しばらく音声入力が主だったが、ファイルが行方不明になったりするので、最近は口述筆記の頻度が上がってきた。
かな入力でバチバチ高速で打ちまくっていた水城が。

ピアノは昨日、五歩、いや、今や十歩の距離をたどりついて、数分間息をととのえて、ようやく弾けたもの。
先日、人が来たときに、「ふつう爪先で踏むペダルを、浮腫がひどくて踏めないので、かかとで踏む。
鍵盤に手を置いても左右に自由に動かせないので、置いたところで弾く」のだと言っていた。

そのままを発表するのではなく、いったんLogic Proでの編集を通す。
音を整えている部分も多少ある。だからおちついて聞こえているかもしれない。
生で弾いているようすは、もうすこし大変そうだ。

2020年7月25日土曜日

絵画「非暴力の世界」


今日も雨。
今年初採りのみずみずしいゴーヤを、畑からちぎって持ってきてくれた。
その炒めたものをいただいたが、サクサクと歯応えが良くて、まぁおいしいこと。

朝からわだかまっている腹部の痛みと付き合い続けている。
ひと呼吸ごとに痛みを観察する。
呼吸からの返事はない。



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体調が悪い日が続いている。
昨日は嘔吐の量と色にかなり驚き、医師と看護師、薬剤師が駆けつけ……という事態になってそれなりの覚悟をした。
今日は朝からお通じもあり、だいぶようすは良い。しかしレスキューの量が倍増しているせいか、ぼんやりして過ごしている時間が多い。
ゴーヤをくれた友人と周辺の飲食店の話題になり、水城と三月はあそこで焼肉食べた、四月もあそこで量少なめでもフルコース食べた、というのを思い出して、隔世の感があった。
退院後は一度も一階には下りていない。

絵画「眼鏡」


ホスピスで描いた葉書くらいのサイズの水彩画です。
古い老眼鏡で、蔓に熱でビニールコーティングしてありますが、所々ハゲかけてちぎれかかっています。
その古い感じがなんとなく味を出しているのです。

送り先は既に決まっています。



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この絵もある方へハガキとして出したものだが、誤字が増えてきた。
もともと誤字脱字はある人だが、どんな誤字かで状態が推し量れる気がする。

2020年7月24日金曜日

essay 20200724 お調子もの

友が見舞いに訪ねてきて、おいしいものやらお花をくれたり、マッサージをしてくれる。
私は調子に乗って、限度を越えて喜び勇んでパクパク。
翌日は調子を崩して動けなくなる。

今日は大変だった。
朝起きた時から指一本あげられないほど辛くて、医者を呼んでもらった。
その前に嘔吐感がこみ上げてきて、胃の中のものを全部戻してしまった。
便秘もひどくて、ここ何日間かお通じもない。
手当てしてもらってもうまくいかない。
安静にしてなんとか回復を図るのだが、いても立ってもいられないような苦痛に苛まれていた。それでもなんとかこうやってピアノを演奏して、みなさんにお届けすることができた。
体調の限界の中でなにができるのか、今後の課題になっていくかもしれない。




From editor


痛みの受容体が増えているので麻薬を増やそう……とのこと。早くも。
医療用麻薬には上限がないそうだが、それは(増えていく)受容体とくっつくからで、気持ちよくなったりまでは行かない(から増えても大丈夫?とのこと)。
夜中にトイレに立ってころんだ。
昨日は過呼吸が頻繁におこった。話しかけたりお経朗読をしてもらったりして落ち着かせる。いつなるかわからないのでちょっとでも離れるのが不安だ。
今朝の嘔吐はかなりの量で、色もどす黒い緑色。
レスキュー(麻薬の追加)の頻度を増やすように医師に言われた。
生き生きと活動するとすぐそのしっぺ返しがくる。
毎日アップダウン激しすぎ……と思いかけて、アップ?とハタと立ち止まる。
一歩進んで二歩下がる。
衰えは日々少しずつ進み、ときどきガクンと階段の段差のように落ちる。
一歩でも進めれば……と思うようになる。
まだ大丈夫、まだ大丈夫、と思う。

ひんやりとした風が肌にたどりついて毛穴をそばだたせる。

絵画「絵の具」


病室で何か絵を書こうと思って、実に楽しい色合いのものを探していたら、水彩のパレットそのものがカラフルで楽しそうに見えてきた。そりゃそうだね。

この絵も行き先が決まっています。
喜んでもらってくれると嬉しいな。



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この数日でどんどん画調が変わっている。
最近は抽象なのか幻想なのか、不思議な絵になってきて、このような具象はすでになつかしい。
水城のなかで、なにが起こっているのだろうか。

2020年7月23日木曜日

essay 20200723 「カメレオンの目」2

女が甜茶を運んできた。
その仕草にかいがいしさはなく、むしろ気だるさに満ちた、見ようによっては億劫そうなものだった。
彼女がなぜそこまで自分の面倒を見てくれるのか、彼は知らなかった。

北からの戦線が迫ってきている。
耳障りなシーリングファンの音が、彼を苛立たせる。

女の目的が金ではないことだけは確かだった。
国からの送金はもう数か月途絶えている。

ひと抱え以上ある巨大な金魚鉢の向こうに、極楽鳥花の花が上をむいて咲いている。
女はこの花が好きらしい。
自分は少なくとも、女にとってこの極楽鳥花以上の存在理由を持っているのだろうか。




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「カメレオンの目」で本当に編集者としての役割を負うことになった。
こんなふうに作者にべったりはりついて、文章チェックや提案や質問や校閲にかかわる話ができるのは理想的なのか、地獄的(?)なのか。とはいえ私も覚悟を決めることにして、1を編集者モードで読み直して修正。

まさかこんなふうにこんな小説が始まるとは思ってもみなかった。とても楽しみだ。
時代はいずれ明らかになるだろうが、私が1を読んで想像していたのとは違ったので、いきなり予想を裏切る設定にちょっと興奮する。

「実はこういう小説を読みたかったのだ」(水城デビュー作の帯に筒井康隆氏が書いた評より)


▼水城ゆうの支援サイト、応援よろしくおねがいします

絵画「花」

新しくアクリル水彩と言う画材を試してみたら、自分では絶対に描かないような画調の絵ができてしまった。
まあ、これはこれで私の命のかけらに違いない。

どなたにあげることも決まってないので、欲しい方がいらしたら差し上げます。


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「夜釣り」もそうだが、これまで彼が描いたなかでは見たことのないような画風の絵が出てくるのがおもしろい。
新しい画材にはしゃいでいるかんじ(実際には静かなものですが)、何にかわからないけどありがたいきもち。

(追記)この絵の行先は決まりました。

2020年7月22日水曜日

絵画「夜釣り」


ミニキャンバスに水彩鉛筆というちょっと変わった組み合わせの画材で描きました。
タイトルは「夜釣り」。

そういえば長らく釣りに行ってないなぁ。
これは既に差し上げる方が決まっています。


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昨日も小さなカンヴァスが次々と届いて、階段往復で私にとってはじゅうぶんな運動になった。
届いたばかりのカンヴァスで初めて描いた絵。
描いてからしばらく置いておいたら、どんどん発色が変わると言う。
これはなんだろうねえ……と眺めていたら、「夜釣り」という語が出た。
そう言われると、釣り人が水面を前に暗い中で座っているように見えてきた。

essay 20200722 「カメレオンの目」1

天井のノイズが耳に障る。
奥の部屋から漂ってくる香《こう》のにおいは、女が器用に素手のままで火を消して回っているので、やがて薄れて消えていくことだろう。

女がこちらにやってきて、ベトナムなまりの強い中国語で、
「お粥食べるか」
と聞く。
食欲はまったくない。
「少し」
と彼は答える。

この女の世話がなければ、自分の命がいくらもないことを彼は知っている。
嘘と不誠実にかこまれた人生のどん詰まりを、彼は漂っている。





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今日の演奏は文章とリンクしているそうです(これまではまったく無関係です(笑)、念のため)。

水城は絵を描きピアノを弾き音声入力で短文を書く、と三面六臂の活躍ぶりに見えるが、それ以外はずっと頭を垂れて折れ曲がった状態で座っている。痛みで体が伸ばせずこの姿勢をもう半年以上続けているのだ、寝ても覚めても。
まるで落ち込んで固まっている人のようだ。
本人はその姿勢がいちばん痛みをやりすごせるそうなのだが、呼吸は制限されるだろうし、いくら「良い姿勢」はないといっても、健康な人がこの姿勢でいると勝手にうつうつとしてくるのではないかと思える姿勢なのだから、心配になる。
でも、なにか言ったりしない。待つ。

2020年7月21日火曜日

essay 20200721 やりたかったこと

かなり落ちこんでしまった。
昨夜、介護ベッドの置いてある二階の部屋に、1階からピアノを運んでセッティングしてもらった。
弾くのは何日ぶりだろう。
退院した日だから、5日ぶりだろうか。

衰えるのは早く、回復するのは時間がかかると聞いた。
確かにその通りだと思った。
まったく思ったように指が動かないのだ。

しかし、ふと思い出した。
思ったように自在に演奏するのではなく、自分の内側から出てくる音を触りながらまだ聞いたことのない自分のことを発見していく作業をやりたいのだった、と。
いずれ肉体は衰えていく。
これまでできたことが、いつかできなくなってしまう日が訪れる。
私の場合、それはおそらく思ったより近い日だろう。

あと何日ピアノを演奏できるだろうか。
許されるなら、その日が来るまでただただ無心にピアノを弾き続ける、それが私の最も喜びとするところだ。




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書こうと思いついたことはたくさんあるのに、日々スリリングで流れていってしまう。

ベッドの向きを変えた。ベッドがさえぎっていた窓からの光が奥まで届くようになり、ピアノを入れたにもかかわらず部屋は広く感じられる。
窓にむいて絵を描き、五歩ほどでピアノにたどりついて弾ける環境をつくった。
この環境ができるだけ長く生かされますように。

今日は本当に久々におだやかな一日。痛みは絶えないが、こうして演奏もアップできた。絵も描いた。小さな小さなオムレツも食べられた。アロマオイルで足をマッサージされて安心した。絵筆を洗おうとして洗面所へたどりついたらなぜか過呼吸になって焦ったけど音読療法で立ち直れた、いただいて大喜びしたマイクロ胡蝶蘭が三日目にして早くも折れてしまってすごくがっかりしたけど「ドライフラワーにするとかわいいんだ、ドライフラワー用のシリカゲルを買わなきゃ」、嘆きは命を慈しむお祝いになった。

  * * *

こんなふうに、とてもとてもささやかなことを喜び慈しんで日を送っている。
とはいえ、ほんのわずかなショックも大きく響き、自分の無防備さのゲージが下がっている(不信や警戒心が上がっている)のに気づく。
どうやら体が常時緊張しているようで、ものすごく疲れる。きっと視野も狭いだろう。
それでも外に出れば、道をまるで初めて見るかのように歩くことができ、かすかな風に肌を喜ばせることができる。どうにかこうにかここまで来た、人より歩みはものすごく遅いだろうけれど、そのぶんしっかり味わえた。できることは本当に少なく、それをただやるだけ。