2018年7月12日木曜日

二か月ぶりの天白〈アロマファン〉はディープに

ほぼ毎月開催していた名古屋天白〈アロマファン〉でのイベントだが、先月は主催の水野生惠さんと私のスケジュールが合わなくて、開催が流れた。
なので、2か月ぶりのアロマファンとなった。
今回は午前中が現代朗読のワークショップ、午後が共感カフェというふたコマ。

別々に参加してもらってもかまわないが、通して参加してもらえるとちょっとした相乗効果を体験できるはず。
すでに何度かこの形で開催してきたが、今回は参加人数がやや少なかったので、自然とディープな内容にシフトした。

午前中の朗読の部は、生惠さんも含めて演劇や朗読をやっている人、映画作りをやっている人、初めての人などが参加して、ちょっとした「哲学カフェ」のような問いからスタート。
「表現とはなにか」
「朗読とはなにか」
について、本質的な考察を試みてみる。
その上で、現代朗読がめざしていること、上手/下手とか、こうやるべき/こうしてはならない、の世界ではなく、いかにオリジナルで多様な世界をめざせるのか、絶えず移り変わりつづける自分という現象といかに深く付き合えるのか、といったことを試みるための稽古を、みんなでやってみる。

とはいえ、やることはシンプルだ。
ただ読む。
意味をなるべくかんがえずに読む。
文章を読むことに注意を向けるのではなく、文章を読んでいる自分に注意を向ける、すなわち自分自身を読む。

現象としての自分自身の変化に目を向け、マインドフルに集中しつづけている人と、そうでない人とでは、表現の質はまるで違う。
このことは表現行為にかぎらない。
日常生活においてもおなじことがいえる。
コミュニケーションにおいてもおなじことだ。

なので、午後の共感の部へとつづく、が有効であったりする。

午後は「そもそもだれかに共感的なことばを向けることが日常のなかで通用しないし、相手を警戒させるよね」という前提から勉強がスタートした。
ではどうすればいいのか。
共感を向けていることを相手に気づかれないこと。
自分から決してはみ出すことなく共感すること。
共感的身体から発せられたことばであるのかどうか、ということ。

かなり実践的で応用的なものをふくむディープな内容になったのではないかと思う。

来月も朗読と共感の2コマ開催する予定。
8月5日(日)を予定しているので、興味のあるかたはどうぞお越しを。

8月5日:朗読と共感のコラボWS@名古屋天白アロマファン
朗読と共感的コミュニケーションを両方体験し、実践を深めることができるワークショップを、午前と午後にそれぞれ、名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉で開催します。