2016年10月1日土曜日

暴力は人間の本質なのか

標題のテーマはこれまでさまざまに議論され、研究され、解釈されてきたものだけれど、結論は多岐にわたって「これ」というものはいまだありません。
しかし、私のなかでは「これかな」という「腑に落ちる」感覚があったので、それを書いておきます。
おことわりしておきますが、あくまでも私の「身体感覚」としての解釈です。

腑に落ちる感じを得られたのは、共感的コミュニケーション(NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション))を10年近くにわたって学んだり実践したりしつづけたことに加えて、四年前から韓氏意拳という中国武術を私にしてはかなりまじめに取り組むようになってからです。

武術というと、暴力をイメージする方が多いかもしれません。
実際に多くの武術が殴ったり蹴ったり、ときには失神したり大怪我をするほどの試合をおこないます(試合ではルールにのっとっているとはいえ、死にいたる事故もあります)。

ここで暴力という言葉の定義をしておかなければなりません。
暴力とは、なんらかの力を行使して相手に死をふくむ損傷をあたえること、というのが私の定義です。
なんらかの力には素手や蹴りなどの武技もあるでしょうが、刃物や銃などの道具を使ったものも「力」といっていいでしょう。
その力の強大なものとして、爆弾やミサイル、はては核兵器などというものもあります。
これは国家や武力集団が行使する強大な「力=暴力」です。

「ことばの暴力」という表現もあります。
ことばは相手に物理的な損傷をあたえませんが、ときには相手を死(自死ですが)にいたらしめることもありまし、精神的損傷をあたえることはしばしばあります。
私はこれも広い意味での暴力といっていいと思います。
武術家はこの点にも注意を払う必要があるでしょう(私見ですよ)。

いずれにしても、人間は他人にたいして暴力をふるうことが多々あります。
さて、他人を傷つけたい、損傷したい、ときには殺したい、そのような衝動を人間はもともと生まれつき持っているものなのでしょうか。

人はどんなときに暴力を行使するのでしょう。

武術をやっているとわかるのですが、自分がある程度できるようになったとき、武術の心得のない人間をただやみくもに痛めつけたくはなりません。
むしろ逆で、むやみに暴力を行使することに歯止めがかかります。
自分が暴力を行使することで確実に相手が傷つく、自分が相手より力を持っていることが自明であるとき、戦わずして問題を解決する方法をさぐります。
それでもやむなく武技を行使しなければならないとしたら、自分もしくはだれか――あるいはなんらかの状況を守らなければならない事態が生じ、それが暴力をもってしか対処できないとわかったときです。

人は生命や生存を確保するためにのみ、暴力を行使するのです。
それは他の動物ともおなじことです。
ライオンは自分の力が強大だから暴力を駆使して草食動物をあやめるのではありません。
自分や一族の生存のために、ぎりぎり必要な暴力を使うにすぎません。
不必要な暴力は決して発揮しません。
もし彼らに十分な肉があたえられたとしたら、彼らは狩りをおこなわないでしょう。

人も本来、自分の生命や生存のために狩りをおこなっていたことでしょう。
また、そのための争いもあったことでしょう。
そのなかで自分たちを守るために敵を殺したこともあったでしょう。

人が暴力を行使するのは、自分の生命や生存をおびやかされたときです。
そしてもうひとつ、重要なことは、人には過大な想像力があり、自分の生命や生存が「おびやかされるのではないか」と想像したときにも、暴力を行使したくなるということです(それが妄想である場合が多々あることが、人のやっかいなところです)。

現在、世の中にあふれている暴力のほとんどは、テロや戦争も含め、自分の安全をおびやかされることに対する恐怖におびえきった人々が、ヒステリックに引き起こしているものだといっていいでしょう。
人は自分の安全や安心が保証されているとき、だれかにむやみに暴力をふるいたくなったりはしません。

しかし、たしかに、思春期のときなど、むやみにものを壊したくなったり、だれかに喧嘩を売ったりしたくなったことがあるかもしれません。
私もそうでした。
それはしかし、別のニーズがあったと解釈できるでしょう。
たとえば性衝動であったり、成長のニーズであったり、それが暴力衝動という形で「表出」したとかんがえたほうがいいでしょう。

暴力は生命活動の本質ではありますが、それはとても限定的な形でしか発動されないものであり、本来人はおもいやりをもっておたがいをいたわりあう社会的つながりの動物であろう、というのが、私のこのところの身体感覚です。
逆説的ですが、そのことは本来人をあやめるための技術である武術を学んでいくことで、腑に落ちてくるのです。

カフェ・オハナ(三軒茶屋)で共感的コミュニケーション(10.4)
10月4日(火)夜7時半から、恒例の三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉での共感的コミュニケーション・ワークショップを開催。朗読と音楽のミニライブ付き。参加費1,000円+ワンオーダー。