2015年12月16日水曜日

泳ぐ生活、水のある日々

今月にはいってから「泳ぐ生活」を再開している。
朝起きて、ひと仕事してから、早いうちにプールに行って泳ぐ。
いまのところ、週のうち3回くらいのペースをたもてている。

ひさしぶりに行ってみてびっくりしたのは、人間の身体というのはおどろくほど衰退するのが早く、確実である、ということだ。
よくおぼえているのだが、ちょうど30歳になったときに近所のプールに通うようになって、以来、50歳になるまで、多かれすくなかれだいたいプールに通う習慣をつづけていた。

それがここ何年か、いろいろ理由はあるのだが、まったく泳がなくなっていた。
もっとも、その間にまったく運動しなかったわけではない。

ここ数年は中国拳法(韓氏意拳)もやっている。
しかし、「泳ぐ身体」にかんしてはびっくりするほど「失って」しまったようだ。
泳ぐのに必要な筋肉群がごっそり消失したような感じがする。

かつては1,000メートルを日常的にかるく泳いでいたのに、ひさしぶりに行ったら、200メートルで息と腕があがらなくなって、それ以上泳げなかった。
けっしてがっつり泳いだわけでなく、かるく流す程度のペースだったのに。
これはかなりショックだった。

2日めは、しばらく泳いでみたら、身体がもう「泳ぐ身体」への立て直しをはじめているのがわかった。
250メートル泳いで、それほどつらくなかった。
しかし、それ以上は泳がず、そこでやめた。

以後、毎回、50メートルずつ増やしていって、昨日はちょうど500メートルまで距離をのばした。
1,000メートルになったらタイムアタックに切り替えていこう。

プールを再開したのには理由があって、先日突然、私には「水のニーズがある」と確信したからだ。
それについてはこちらのブログ記事に書いた。
⇒ http://juicylab.blogspot.jp/2015/11/blog-post_24.html

べつに泳がなくてもいいのだが、水のある生活が私にはのぞましい。
海のそばに暮らせたら一番いいのだろうが、いまは近くに海がないのでプールで代用している。
ついでに運動もできるので、泳ぐ。

海の近くに暮らせたら、どんな日常になるだろうか。
夢想してみる。
よい浜があれば、いまさらながらだけど、一度サーフィンというものをやってみたいかもしれない。
磯だったら、釣りやダイビングかな。
港があれば、廃船寸前の漁船とかでもいいから、入手して、船遊びをしたい。
私は一級小型船舶の免許を持っているのだ。

というようなありもしない想像は置いておくとして、泳ぐ生活はとにかく、身体の調子がととのって大変よろしい。
私に合ってるんだろうな、泳ぐ生活、というか、水のある生活が。