私は朗読演出として朗読表現を追求しているが、一方で商業コンテンツとしてのオーディオブックも作っている。
しかし、オーディオブックマーケットも、日本の場合、ガラパゴス的事情があって、それだけで「食う」ことは難しい。むしろ営利目的と考えることはやめ、社会貢献、文化事業、ソーシャルビジネスと割り切ったほうが気持ちは楽になる。
アイ文庫主催で「次世代オーディオブックリーダー養成講座」というものをやっているが、ここでは「朗読」コンテンツを「収録」するためのノウハウがみっちりと詰まっている。
参加費は安くない。丸一日で33,000円。しかし、これは「商業的等価交換基準」から見れば、安いのではないかと思っている。
商業的等価交換基準にはふたとおりあって、ひとつは、投入した金額と同等、もしくはそれ以上の収益を回収できるかどうか、ということ。もうひとつは、投入した金額に見合うだけの「技術」もしくは「情報」など、金額に換算するのは難しいけれど本人が「損した」と思わないだけの満足を得られるかどうか。オーディオブックにおいては前者は難しい。
幸いにして、これまでの養成講座では、受講された方から「金返せ」といわれたことは一度もない。ラジオ局などのディレクターや音声コンテンツ業界の専門家からは、「むしろ安い」といわれることもある。
ここに参加する皆さんの動機は、まず、
「自分もオーディオブックを収録できる/読めるようになりたい」
というものだ。それははっきりしている。が、そのさらに奥にあるニーズが問題なのだ。「オーディオブックを読むことで収入を得たい」のか「自分の作品としてオーディオブックを残したい」のか。
前者のニーズはわかりやすくて、番組やCMにナレーションを入れることで生計を立てている声優やナレーターと同一線上にある考え方だ。
多くの人が、
「自分は人と関わるのが苦手なので、ひとりでブースにこもってできるオーディオブックの仕事は向いているはず。それで食べていけるといい」
という漠然とした希望を抱いてやってくる。しかし、それは現状では無理、というしかない。朗読者が何人も食っていけるだけの市場規模はないし、それにちゃんとしたオーディオブックを作ろうとしたら、ディレクターや制作会社の人たちと綿密な関わりを持たないわけにはいかないからだ。
しかし、生計を立てるのは難しいとしても、ある程度の収入は得られることもある。アイ文庫ではあまりないケースだが(まったくないとはいわない)、いくつかの会社は読み手に本とお金を渡して、効率的にオーディオブックを制作している。
新書判だったら一日か二日で読みあげてしまい、そのギャランティーとして数万円を受け取る、というシステムだ。「仕事」として朗読をしたいという人は、そういう会社に行けばいいし、アイ文庫の講座出身者でそういう仕事をしている人は何人もいる。
念のために書いておくが、そういう仕事や制作方法を否定しているわけではない。人にはさまざまなニーズがある。
もうひとつは、漠然と「朗読」や「表現」に興味を持っていて、しかしそれの実現方法としてなんとなく「形ある/目に見えるコンテンツとしてのオーディオブック」を作ってみたいという、とりあえずのニーズを目の前にぶらさげて来る人。
けっこう多くの人がこのタイプである。とくに最近はこのタイプの人が増えているように思う。
アイ文庫だけかもしれないが。こういう人たちと話を詰めていくと、最終的には「お金を得る」ことが目的ではなく、それは副次的なものであることがわかってくる。
「なにか残したい」とくに自分の表現の産物としてのコンテンツを残したい、もっといえば「自分を表現してみたい」「表現者になってみたい」というところまで行きつくことがとても多い。
そういう人にとって、アイ文庫や現代朗読協会という場はうってつけだろうと思うのだ。現代朗読協会では表現としての朗読を追求しているし、アイ文庫はその表現追求の産物としての「作品」としてのオーディオブックを世に出している。
アイ文庫のコンテンツを聴いた業界関係者は、だれもが、
「ここまでの手間ひまはかけられん」
という。オーディオブックの制作会社も放送局の人も、皆そういう。
それはそうだろう。経済効率からいえばまったく割に合わない作り方をしている。
しかし、先にも書いたが、アイ文庫はもはや商業コンテンツを作っているという意識はない。
漠然とオーディオブックを作ってみたいと思っている方は、自分の本当のニーズがどこにあるのか、一度じっくり考えてみるといいのではないかと思う。