執筆や音楽、映像など、コンテンツ製作に力を注ぎたいという気持ちがある一方で、人とのつながりを大切にしてその場を育みたいというニーズもある。
この両方のバランスが大事だと感じているのだが、場を育むことについても、その内容というか方法について気づきがあった。
勉強会、講座、ワークショップ、いろいろないいかたがあるが、講師またはファシリテーターがいて受講者または参加者がいる形の「場」には、大きく分けてふた通りの方式があるような気がする。
ひとつは講師が学んだ知識やスキルについて学び、自分もそれを身につけたりできるようになりたいという目的の場。
もうひとつは、講師自身の経験や知見を教わり、それを自分なりに応用できるかどうかやってみる場。
私がやりたいのは、はっきりと、後者だ。
私が読んだり、だれかの講座やワークショップに参加して得られた知識やスキルを、そのまま伝えることはしたくない。
それらの経験を通して、私なりに感じたこと、応用できることを伝え、それがまたその人にとってどのように感じたり、応用できるのか、それをいっしょに検証してみる、そういう場を作りたい。
これまで数多くの勉強会を主催したりお世話してきたが、その観点がクリアになっていなかったこともあった。
クリアではなかったけれど、無意識にそのような指向性はどの勉強会にもかならずあったような気もする。
共感的コミュニケーション(NVC)についても、海外のトレーナーから教わったことや本で読んだことをそのまま人に伝えることには、なんとなく抵抗があった。
その理由が自分でもよくわからなかった。
はっきりわかったのは、教わったことを自分でも試してみて、その独自の経験を人に伝えたいのだ、ということだ。
どのようにすばらしいことでも、すべての人がうまくいくとは限らない。
すくなくとも私が個人的にトライしてみて、どのようにうまくいったか、あるいはうまくいかなかったかについて伝えることについては、まったく躊躇がない。
そもそも私は小説家であり、極私的な経験を昇華させて物語を書くことが仕事だ。
それがだれかの役に立つこともあるかもしれないし、まったく役に立たないかもしれない。
それをあらかじめ知ることはできない。
私にできるのは、ただ私自身の経験とその昇華した物語を、個人的に伝えるだけだ。
伝えられた人にも、それは個人的な体験として受け取られるだろう。
それがその人にとって役に立つか立たないかは私には予測できないが、ひょっとしてただ本に書いてあることをそのまま伝えられるよりは深い体験があるかもしれない。
そもそも、本に書いてあること、映像になっていること、ネットに情報として流れているようなことは、私が伝える必要はなく、そっちを直接あたってください、という話だ。
私が作る学びの場は、それぞれの個人的体験を交換しあう場だ。
それはまだどこにも書かれていないし、参照される形で発表もされていない。
そこからそれぞれが(私を含めて)オリジナルな学びを発展させ、成長し、自分自身を生かしきる道を見つけていければ、と願っている。
心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会、4月の開催は7(土)14時/21(土)14時/23(月)11時、いずれも約3時間です。