2011年8月11日木曜日

現代朗読協会は「怪しい」ように見えるらしい

いつもいわれることだが、我がNPO法人・現代朗読協会はなんとなく怪しい感じがして、知らない人は来るのをためらうらしい。
朗読をやりたいと思ってネットで検索して、現代朗読協会のウェブサイトを見つける。こちらには怪しく作っているつもりはまったくないのだが、怪しい感じがするらしいのだ。
怪しいと思った人は多くがそれきりになってしまうのだろう。それを乗りこえて、なんとかやってきてくれた人から、どんなふうに怪しく感じたのか話を聞いてみた。
多くの人はまず映像でびっくりするのだという。多くの人は朗読というと、着物を着た上品な初老の女性が、行儀よく椅子に腰をかけて文学作品を美しく静かに読む、というイメージがあるらしい。が、現代朗読協会ではそのような朗読はまったくといっていいほどおこなっていない。
実際にライブを観てもらえれば、現代朗読の楽しさ、斬新さ、おもしろさ、奥深さはただちにわかるのだが、映像記録として切り取ったものだけ平面的に見ると、なんとなく宗教儀式めいていたり、アングラめいて見えたりするようだ。

怪しいハードルを越えて実際にげろきょにやってくる人は、説明文や私のブログをけっこうじっくりと読んでくれたケースが多い。私はこのようなメッセージをたえず継続的に発信しつづけていて、それが自分の役目だと思っている。
私が書くような冗長なメッセージは届きにくい時代だと思うが、それでも熱心に読んでくれる人がいる。最終的にげろきょに来てくれた人のなかには、何人か、何か月も何年もためらい、文章を読みこんでから、意を決して飛びこんでくれた人が何人かいる。

最近けっこう多いのが、他の朗読講座や養成所を経験してから、あらためて現代朗読を体験しに来る人だ。
まずは体験講座に来てくれる。そしてそのままゼミ生になったり、ライブワークショップや基礎講座に継続的に来てくれる人が多い。
とにかく、体験やライブに来てくれさえすれば、現代朗読の魅力はすぐにわかってもらえるのだ。一目瞭然なのだ。そこには無限に広がっている朗読の魅力と自己発見の楽しさが見つかる。
見学でもなんでもいい、とにかくこの場に来てほしい。ここには評価や義務や強制は一切ない。共感のなかでお互いにまだ見ぬ自己の可能性を伸ばしていく場がここにある。
次回体験講座は今週末です。詳細はこちら