2016年1月24日日曜日

無反応、あるいは話をそらす相手とどうつながるか

共感的コミュニケーションの勉強会で、
「こちらがつながりたい、共感したいと思っていて、そのように声をかけているのに、反応がない、無視する、あるいは話をむにゃむにゃとそらしてしまう相手とつながることはできますか?」
という質問があった。

もちろんできる。
というか、すくなくとも可能性はある。

こちらから共感しようとしているのに、反応しない、無視する、話をそらす、というような態度をとっている相手は、つまりそういうメッセージを発しているわけだ。
「いまきみのことばには反応したくない」
「いまきみのことばを無視したい」
「いまきみのことばを受け取りたくない」
という明確なメッセージを発していると受け取ることができる。
そのメッセージの奥にあるニーズを、こちらは推測できる。
相手にたいするこちらの判断や思考を捨て、純粋にそのメッセージを受け取り、共感の推測を向けられるかどうか。
それがあなたに試されていることだ。

純粋に相手に興味を持ち、共感の推測を向けるとき、たとえまだことばを発していなくても、あなたは共感的身体性をすでに表現しているだろう。
それはひょっとして、相手にも伝わっているかもしれない。

つながりを拒否している相手は、安全やスペースを必要としている。
どう反応しても、なにをいっても、あなたに受け入れられるという安心感と、この場にいても大丈夫という安全が保障されている必要がある。
それが感じられないとき、相手は表現することがむずかしい。
あなたは相手にたいして、ここが安全な場であり、安心して表現できるのだ、私にはその準備がととのっていますよ、ということを相手に受け取ってもらう必要がある。

あなたが共感的な受け取り手であると相手が信頼できたとき、相手はようやくあなたとつながれる準備ができる。
あなたの声が相手にもとどくようになるし、必要なこと・大切なことをあなたに伝えることができる。

さらに共感的身体性をもってことばをかけることもできる。
「きっといまはなにか安全や安心が感じられなかったり、スペースがなかったりして、私と話したくない気持ちなんだね。でも、私はきみの話を聞きたいし、私の話も聞いてもらいたいので、もし落ちついて準備ができたらそう知らせてくれないかな」
とお願いしておくのもいいだろう。
そのときはまだつながれなくても、すくなくともこちらが共感的に受けとる準備があるということは相手に伝わるだろう。

あなたを受け入れる容れ物として私がここにいますよ、ということを伝えておくことで、拒否している相手とのつながりの可能性を保持しておける。
あなたがそれを望んでいるなら、という話だが。


1月の羽根木の家での共感カフェは、1月29日(金)19〜21時です。