2016年1月13日水曜日

「過去形」を使わない修行

「あのときこうしてほしかった」
「なんであんなこといったのよ」
「あんなことしなければよかった」
だれかが過去形を使ってものをいったり、自分自身が過去形で振り返ったりするとき、そこには怒りや悲しみ、無念がかならずある。

いっている本人も無意識下では気づいているはずなのだが、過去の事象に言及してもそれはもはやけっし変えることはできない。
起きてしまったことはもう取りかえしはつかないのだ。
だれもがそれをわかっていながら、言及せざるをえないのは、自分がそのことについて怒りや痛みを持っていることをただわかってもらいたい、だれかに知ってもらいたい、というニーズがあるだけだ。

しかし、そのニーズが見えないまま表向きのことばだけ受け取ってしまったとき、それはこちらにとって非常に聴きづらいものとなる。
「なんであんなことしたの?」
といわれたとき、額面どおりに受け取ってしまうと、
「あなたがあんなことしたせいでこんなことになってしまった」
という責任追及/攻撃のことばに聞こえてしまう。
こちらは反射的に防衛あるいは反撃の姿勢を取ることになる。
典型的な対立の構図となる。

対立したくなかったらどうすればいいだろう。
相手が過去形でものをいいだしたら、そこにはなんらかの痛みがあるのだろうと推測できる。
相手のことばを「攻撃」ではなく、こちらになにか「お願い」をしているのではないかと受けとる必要がある。

相手にはどういう痛みがあるのか。
怒りや悲しさ、悔しさが見えるかもしれない。
それをまずこちらが受けとる必要がある。

そこにはどんなニーズの欠如があるのか。
推測してみる。
そしてこちらは「過去形」を使わず、「現在形」で相手にたずねる。

「きみがそのことを思い出すとき、とっても悲しいんだね?」
「きみが悲しいのは、サポートが必要だったと思うからかな?」

逆にこちらが相手になにかを伝えたいと思ったとき、まず自分のなかにある痛みや満たされなかったニーズに共感した上で、
「あのときのことを思いだすととってもつらいんだ。なぜなら、あのときぼくにはサポートが必要だったことがわかっているから」

現在形で話すとき、それは「取り返しのつかないこと」について話しているのではなく、「いまこの瞬間の自分の動いている、変化しつつある、そしてまだ可能性のあること」について話しているというこしとが、相手にも伝わる。
もちろん自分のなかにも可能性が動きつづけている。

過去のいわば「死んだ事象」について話すのではなく、いま現在のいきいきしているニーズにつながりながら話すことで、対立ではなく可能性のある未来が生きはじめる。


共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を1月22日(金)夜におこないます。

1月の羽根木の家での共感カフェは、1月29日(金)19〜21時です。