放射線治療の副作用なのか、あるいはたんに体調の波が底だったせいなのかわからないが、とにかくだるくて、なにも手につかなかった。
もともと、大人になってからは朝型の人間で、集中力が必要な重要な仕事はなるべく午前中に片付けるようにしているし、午後はイベントや人に会う仕事するようにしている。
日中のうちに仕事や用事のほとんどを終え、夜は動画を見たり、音楽を聴いたり作ったり、ブログのようなかるめのテキストを書いたりすることが多い。
が、昨日は午後からしんどくなり、人と会うのも気もそぞろで大変。
夜になってなにか書き物をしようにもまったく集中量がなくてぼんやりしてしまった。
やむをえず、仕事はあきらめて、音楽や動画を楽しむこともあきらめて、夜の8時すぎにさっさとベッドにもぐりこんで、寝てしまった。
夜中に何度か目がさめたが、断続的な夢を見ながらそれで朝方までしっかりと眠った。
起きたのは今日の7時過ぎで、たっぷりと11時間くらいねむったことになる。
ずっと寝ていたせいで腰は痛かったが、身体全体にエネルギーが回っている感じがした。
そんなわけで昨夜の残りのお好み焼きをレンジで温め直して食べたあと、上り坂を1人であるいて多摩総合医療センターまで20分歩いて行った。
途中にたまらん坂という国分寺崖線という多摩川が河岸段丘を形成したときに作った段差のスジがあって、そこにいくつもの坂を通してある。
たまらん坂もそのひとつで、おおげさな名前の割りには短い坂なのだが、それでも今日の私にはそこそこきつい。
途中で足がなえて、息切れする。
無事に坂をあがり、根岸病院と東京都立武蔵台学園、東京都立小児総合医療センター、東京都立多摩医療センターが隣接している敷地にはいりこみ、治療棟に向かう。
9月6日、金曜日。午前10時。
5回めの放射線治療。
胸のところに描いた皮膚マーカーがだいぶ薄れてきていて、ほとんど消えかかっている部分もあるけれど、治療的にはあまり問題はないらしい。
どうやら、重要なマークのみ、今回補強して描きなおしたらしい。
「だいぶ消えているんだけど大丈夫でしょうか」
と訊いてみると、
「大丈夫ですよ。気にしなくていいです」
と軽いノリで答えてくれた。
サーフィンのウェットスーツで消えないかと随分心配したけれど、それも大丈夫だろうとのこと。
看護師さんからは「消えないように生活してください」とかなり厳しくいわれたのに、医師や技師はだいぶ気楽な感じだ(ありがたい)。
私も気楽にやることにする。
消えたらまた描いてもらえばいいだろうし。
治療中の生活についても、もらったプリントや看護師からの説明では、いろいろと「こうしろ」「こうしてはいけない」「これをおすすめする」みたいなこまごまとした項目が羅列してあったのだが、あくまでガイドラインということで、あまりにいいかげんな態度の患者をいましめるものなのだろう。
私もいいかげんなところがないとはいえないが、なにより生活にストレスがないことが治療のダメージを回復させるのにもっとも重要だと考えているので、気楽にいくことにした。
好きなものを食べ、好きなことをやり、無理なく生活する、それが治療効果をあげるもっとも有効なことだろう。
人からいろいろすすめられる治療補助的なものもあるけれど、情報に振り回されて右往左往するほうがよほどストレスフルな気がする。
*
6月にはいってから、多摩総合医療センターでの精密検査がはじまった。
まず6月3日に胃カメラの検査を受けた。
これがかなり苦しかったのだ。
胃カメラは鼻から挿入する方式ではなく、通常の口から挿入するもので、検査は食道全体から胃、十二指腸までおよんだ。
また検体を採取することもおこなわれ、40分くらいかかった。
何度も嘔吐感がこみあげてきて、呼吸が苦しく、私はたぶん生まれてはじめて過呼吸をともなったパニック症状に近いものを経験した。
6月5日には武蔵村山病院まで行ってPET検査を受けた。
6月7日にはふたたび多摩総合医療センターで、造影剤を血管に入れてのCT検査をおこなった。
6月18日には食道バリウム検査をおこなった。
ほかにもその間に血液検査、心肺機能検査、尿検査、レントゲン検査など、ありとあらゆる検査を受けた。
費用もばかにならず、身体的にも精神的にも負担が大きかった。
それらの検査結果を踏まえて、ようやく6月20日に担当医による診察と検査結果の告知を受けることになった。