2019年9月23日月曜日

ガン患者自身が意志を揺らぎなく持ちつづけることの難しさ(末期ガンをサーフする(13))

9月19日、木曜日。午前10時。
13回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

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病気の治療は自分の身体をすべて人任せにすることではないと私は考えている。
専門医や専門病院はたしかに、その病気にたいしての専門的知識や経験を持っているが、そのことと「自分がどのように病と向かい合いたいか」は別問題である。

専門医や、あるいは民間の治療家は、自分の職掌と職業倫理という構造のなかにいて、そこには自分の専門知識・知見・経験をもって可能なかぎり病気を治したい、健康な状態に近づけたい、命を長らえさせたい、という強力なベクトルがある。
患者は彼らの職業的構造のなかにどこまで自分を関わらせるかについて、みずから選択し、ときには強力に働くベクトルをしりぞける必要がある。

患者の側にも「よりよく生きたい(あるいはよりよく死にたい)」という構造がある。
やっかいなのは、この構造は柔らかく、たえず変化しているということだ。
影響を受けやすい。
専門医の構造も変化しないわけではないが、患者のそれに比べるとはるかに強固である。
ふたつがぶつかったとき、患者側が呑みこまれそうになってしまうのは無理もない。

患者周辺にもさまざまな構造が存在している。
家族や友人の「長生きしてもらいたい」「健康になってもらいたい」という、ともすれば専門医とよくシンクロしがちな構造であり、それもまた患者側の構造をおびやかす。

患者がみずから「どう生きたいか」「どう治療したいか」「どう死にたいか」について、みずからの意志をもって選びとることは、至難の業といってもいいだろう。
実際に経験してみるとよくわかる。

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7月3日に初めてがん研有明病院に行った時点で、私は自分がどうしたいのかについてかなり明確な意志を持てていた。
その明確さのなかには、検査や治療を受けるにしても、現時点での自分の「存在のクオリティ」をできるだけ低下させない方法を選ぶ、というものがあった。

古い医者や家族、友人にいわせれば、
「クオリティなんていってる場合じゃない、とにかく生きのびることが先決」
ということになるのだろう。
一見、その言質は正道であり、説得力がある。
しかし、ことはそう簡単な話ではない。

生きのびたとしても寝たきりになって、食事も取れず、胃瘻で命をつなぎ、衰弱していくばかりの残りの時間をすごすことになる可能性はある。
また、生きのびるための治療が、その時々の、本来ならいきいきと活動できていた時間をすべて奪い取り、やりたかったことが治療のために犠牲になるということもありうる。

ようするに、「私はいまどう生きたいのか」という話なのだ。

「どう死にたいのか」という話ではない。
それは観念であり、まだありもしない予想の話でしかない。

がん研有明病院でまず、転院しての最初の検査——内視鏡検査を受けることになった。
内視鏡検査は多摩総合医療センターで相当つらいめにあったので、
「そういう目にあうのはいやだ」
と私ははっきりと意志表示をした。
意志表示ができた、というべきかもしれない。
すると医者はあっさりと、
「ではつらくないように麻酔を使いましょう」
といった。

最初の内視鏡検査は、組織のサンプルを何か所か取る必要もあって、40分くらいかかったのだが、ほとんどつらい思いはせずにすんだ。
私はその日、晴れやかな気持ちで帰路につき、帰ってからいつものようにものを書いたりピアノを弾いたりできたのだ。
つらくない検査を工夫してくれた医師と技師には、いまも感謝している。