今回の探訪が決まったとき、せっかくなのでNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)のワークもやってほしい、という要望があった。
そしてアズワンのジョイメンバーの方たちに案内を流してくれた。
ジョイメンバーは70人くらいらしいのだが、そのうち25人くらいが平日の夜にもかかわらず集まってくれた。
これまで書いてきたように、アズワンにはNVCがめざす世界がすでに実践され、いわばその実証実験の場といってもいいようなものだ。
いまさらNVCをみなさんに伝えるというのもどうなんだろう、いったいなにをやればいいんだろう、という疑問が私たちのなかにあった。
結局、おなじ世界をめざす仲間として、その方法と言語がことなるNVCを紹介できるのはおもしろいことなのではないか、ということになった。
だから、とくにアズワンの人たちだから、ということではなく、いつものようにワークをやってみることになった。
とはいえ、やはりみなさんを前にすると、準備していたことより全然別のことをやりたくなる。
最初のパートは春野さんがリードして始めたのだが、NVCのプロセスや用語について解説するやりかたを、とっさにニーズカードを使った遊びのような方法でスタートすることになった。
うまくいくかどうか、こういう場合はいつも賭けになるのだが、アズワンのみなさんは反応がよく、また非常に注意深く自分自身とまわりをよく見ているので、NVCの本質部分へとすぐにアプローチできている感じがあった。
感想を求めても、とっても深い自己共感をともなったことばが帰ってきて、びっくりした。
予定にはなかったが、ホールにピアノがあったことで、途中に音楽瞑想をはさむことを春野さんから提案され、私もよろこんでやってみることにした。
音楽瞑想によって、とかく「ことばが多い」ととられがちなNVCを、より自分自身の身体性や感覚に注意をむけてもらって、深く感じてもらおうという意図だった。
いつもやっているよりごく短い時間だったが、アズワンのみなさんと音楽瞑想の時間を共有するのはたのしかった。
深く聴いてもらっている感じがひしひしと伝わってきた。
終わったら涙を流している方が何人かいらした。
おひとりは直接私に、
「とっても大事にしていることがあって、それが自分にとってどれだけ本当に大切なのか、よくわかりました」
と伝えてくれた。
そんな大事なことを伝えてくれて、ありがとうをいうのは私のほうだと思った。
終わってからみなさんに感想を求めたが、だれひとりことばを発する者がいなかった。
しかし、それは拒絶されているのではなく、逆に深く受け入れられていて、自分の感覚をとても大事に見ていてそれをうかつに言葉にすることをやめていたからだ。
そのような沈黙がお互いに受け入れあうことのできる関係にみなさんがいるということに、私はまたおどろいていた。
そして感想を沈黙でもって送ってくれたことに、深い感謝をおぼえた。
後半は野々宮がリードして、比較的オーソドックスなNVCのプロセスを体験してもらった。
みなさん、全員が楽しんでおられて、時間がいくらあっても足りないような感じだった。
本当に名残惜しい時間がすぎていき、野々宮もかなり苦しかったかもしれない。
私も名残惜しかった。
もっといっしょにたくさんのことを経験したかった。
今回は3泊というごく短期間の滞在だったが、これを機にアズワンの人たちとはいろいろな形で関わりを持てればいいなと思っている。
私もまた行きたいし、あのピアノをまた弾きたい。
みなさんにまた会いたい。
私のこの文章を読んで興味を持った人がいたら、私にあれこれ聞くより、ぜひ一度アズワンの地に直接行ってみられることをおすすめする。
私が本を一冊書いて説明するより、そこに行ってみるほうが百倍もそのすばらしさ、貴重さがわかるだろう。
(おわり)