アズワンによる「やさしい社会」の中核部である(と私がかんがえている)ジョイとオフィスを訪れる。
ジョイは一見、八百屋というか雑貨屋というか、むかしは街の商店街にかならず一件はあった食料や日用品がなんでも手にはいる店だ。
いまはスーパーやコンビニに置きかわっているが。
一見そうなのだが、コンビニやスーパーとは決定的な違いがある。
それはここを利用するジョイメンバーなら利用するのにお金がいらない、ということだ。
つまり、ジョイにぶらっとはいっていって、ただ自分に必要なものをお金を払わずに取っていくことができる、ということだ。
と書いてもちょっとピンとこないかもしれません。
私も最初はピンとこなかった。
生活に必要なものを得るのにお金を払うということが、あまりに身体にしみついてしまっているせいだ。
ジョイにはいってしばらくあたりを見回し、
「ふんふん、けっこういろんなものが揃ってるな。便利そう」
などとかんがえているとき、ふと思いついた。
これら、ここにならんでいる商品というか品物は、すべて自由に持って帰っていいのだ、つまり私のものである、といってもいいのだ、と。
たとえば、スパゲティを作ろう、と思ったとする。
すると、ここへ来て、麺を必要なだけ取り、にんにくをひとかけ取り、オリーブオイルをすこしだけ小瓶に取り分け、といった具合に、必要なものを必要なだけ、お金を払うことなくここからもらって行けばいい。
私たちは通常、生活のなかで、麺なら麺を買いおきしている。
にんにくもひと玉買って、そこから必要な分を使い、残りはどこかに保存しておく(しばしば使いそびれて干からびさせてしまう)。
オリーブオイルもひと瓶保存して持っているし、ときにはスーパーの特売につられて何瓶かまとめて買ってあったりする。
そういうことが一切必要ない。
冷蔵庫だって必要ないかもしれない。
肉でも野菜でも、必要なものはその日にここに来てもらえばいいのだ。
特売日はいつだろう、とか、ティッシュペーパーの買い置きはまだあったっけ、とか、そういった買い物にかんするストレスから完全に解放される。
これってすごくない?
晩御飯を作るのが面倒な日には、ここに来てお弁当を人数分もらって帰ればいい。
そうやって解放された時間を、自分の好きなことをする時間にあてればいいのだ。
それにしても、いったいどんな仕組みになっているのだろう。
ジョイはジョイメンバーになると使えるようになる。
ジョイメンバーは家計をひとつの「大きな財布」として共有している。
自分の収入も支出も、この「ひとつの大きな財布」でまかなっているのだ。
収入があればそれはそのまま大きな財布に繰りいれられる。
必要な支出は大きな財布から払ってもらう。
家計についての心配からも解放される。
私たちはけっこう、日常的な金銭の管理にストレスを感じたり、時間を取られたりしているものだ。
「今月はカードの支払いが多めだから口座の残金は足りるだろうか」
「冬場でガス代がはねあがったので、その分を準備しておきなきゃ」
「健康保険や国民年金の引き落としは無事にできてるだろうか」
といった具合に。
また、買い物をするのにお金が必要なので、いつもいくらか自分の財布を持ちあるいている。
その管理もストレスがかかる。
ジョイメンバーはいっさいお金をもたずに生活できる。
外に出て買い物するときも、カードで買えば、その決済は大きな財布が自動的にやっといてくれる。
こうやって書くと、きっと、
「ん? それだと収入の多い人とか少ない人がいたり、無収入の人がいたりして、不公平にならない?」
という疑問がわくだろう。
さて、ここからが肝心だ。
アズワンの中核となる精神に触れていくことになる。
アズワンでは「収入の多い人がえらい」「収入がなかったり少ない人は肩身が狭い」といった価値観はない。
あったとしたら、厳しくそれを見て(しらべて)いる。
たとえば家族の場合、お母さんやおばあちゃんやこどもに収入がないからといって、ないがしろにされたら、その家はとても豊かな感じとはいえない。
収入があるお父さんだけが「みんなを食わせてやってる」といばっていたら、その家族のつながりはどうなんだろう。
みんなが安心して暮らせる家庭だといえるだろうか。
アズワンではひとしくみんなが大事にされる家族のような社会をめざしている。
なので、収入の多寡で人に優劣や差異をつけることはない。
げんにサイエンズ研究所の小野さんなんか、自分は一度も働いたことがない、といばっていた(笑)。
いばっているのは、無収入でもないがしろにされることなく、好きなことを好きなだけやれる社会が実現しているのだよ、ということを自慢しているからだろう。
とはいえ、大きなお財布に十分な資金がなければ、うまく回らないことも事実だ。
なので、稼げる人はたくさん稼いでいるし、またアズワンが経営する会社も業績をあげる努力をしている。
また、自分の財産をすべて大きな財布にあずけてしまっている人もいる。
逆に、そこまではしたくないという人もいて、それはそれで尊重される。
びっくりするほど柔軟でこまやかな仕組みが、この大きな財布をめぐって用意されている。
大きな財布を世話している人もいて、それは経済や人の暮らしについてこまやかな配慮ができたり、それが得意だったりする人だ。
どの家庭がどういう日用品や食料が必要で、どんな好みがあるかまで把握していて、それはジョイの仕入れに生かされている。
営業が得意な人は営業を、働くことが楽しい人は働いて、しかしいつでも休める、働きたくない人は働かなくても責められない、起業が好きな人はどんどん起業を、アートが好きな人はアートを、人に教えるのが好きな人は教えることを、病気の人は存分に療養を、すべての人がその人本来のありようを尊重され、そのようにあることが許される社会。
ジョイというお金のいらない店から、そんなことがリアルに実感されてきた。
(つづく)