NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)を体系化したマーシャル・ローゼンバーグは、NVCの目的を「人生をすばらしいものにする」とよく述べていた。
「人生」も「すばらしい」も、これらの言葉は日本人の私にはなんだか翻訳調で、ちょっとこそばゆくて使いにくいように感じるときがあったのだが、たぶんこの記事の標題とおなじことを表現したいんだと思う。
NVCでいうところのニーズ(ひとりひとりが持っている価値、大切にしていること、必要なこと)のなかに「命の祝福(celebration of life)」というのがあって、なんのこっちゃと思っていたんだけど、あるときコアメンバーの女性たちが「もったいないというのは命の祝福のニーズだよねー」と話しあっているのを聞いて、自分にも腑に落ちるものがあった。
私にも「もったいない」という気持ちがあって、それはせっかくこうやって世に生まれてきたんだから、自分自身の生命を生かしきりたい、自分の楽しみはもちろんのこと、人の役にも立ちたい、社会のつながりのなかで自分自身がいきいきと輝ききりたい、そして最後はまばゆく燃えつきていきたい、というようなニーズが自分にあることがわかったのだ。
それに共感してくれる人はすくなくない。
いまの私のなかには「命の祝福」のニーズが強くあって、しかもそれは満たされていない感じがある。
たしかにいきいきとあるのだが、自分で祝福できていない。
私が50代をすぎて体系化してきた現代朗読にしても音読療法にしても、また音楽瞑想やあたらしい表現への挑戦にしても、まだまだやりきれていない。
この「やりきれてない感」をかかえたまま老いていき、この世からおさらばするのは、それこと「もったいない」と感じる。
人々に貢献したい、という気持ちは、べつのいいかたをすれば、みなさんに自分を使いきってもらいたい、利用しつくしてほしい、ということでもある。
いまの私は、もっともっと知ってもらって、使いつくしてほしい、利用しきってほしいという切望でいっぱいだ。
おなじような気持ちを持っている人たちとつながっていけたらうれしい。
みなさん、どんどん声がけしてね。