パラパラとめくっていたら、年譜に私が脚本を提供した事実も記載されている。
『エロイヒムの声』
なるほど、あれは1987年のことだったんだ。
ご存知の方はご存知だと思うが、クセックという劇団は徹頭徹尾、身体(肉体)に向かい合う。
これはあまりご存知の方は多くないだろうと思うが、劇団の基礎訓練というと、えんえん声を発しながらすり足を繰り返したり、足踏みしたり、つまり声と身体——とくに下半身から声を作ることを徹底的に訓練する。
それはもう壮絶な訓練で、こういう劇団にだれも入団したいとは思わないだろう(汗)。
『エロイヒムの声』上演時には私はすでに職業作家になっていて(30歳)、あまりに身体を使わない生活になってしまったものだから、危機感をおぼえて近所のプールに通いはじめたばかりだった。
危機感をおぼえたのは、重いものを運ぼうとしてぎっくり腰になったからだ。
しかし、もともと、身体を使うことは嫌いじゃない。
というか、いつも意識することなく、身体を使うことをやっていた。
それは、昭和32年という文明がまだ勃興する前の(笑)、しかも田舎の山間部という辺境の地で生まれ育ったということも関係するかもしれない。
文明がまだなかったので、遊びといえば外遊び。
野山や川で泥だらけになったり、虫を追いかけたり、マムシやスズメバチやアブに噛まれたりして遊ぶ。
おもちゃといえば、竹鉄砲や草笛、笹舟、せいぜい空き缶。
そういうもので街灯もない屋外で真っ暗になるまで、年齢のまちまちな子どもたちが入り混じって遊ぶ。
夏は水遊び、冬はソリやスキーばかりやっていた。
中高生になって色気づいたころから、ブンガクだのエンゲキだのにはまっていったが、それでも公共交通機関のない田舎町で毎日、自分の足で走りまわっていたにはちがいない。
釣り好きだったし。
そんな田舎カラダニンゲンの私が、身体から遠ざかってしまったのは、30代以降、職業作家になってからだ。
せいぜいプールには通っていたが、意識としては「運動不足の解消」程度で、自分の「身体」に目をむけていたとはいえない。
ふたたび自分の身体に興味を持ちはじめたのは、50歳をすぎてから、朗読表現と向かい合ったり、即興演奏で朗読と共演するようになってからだった。
最初は自分の身体の使い方が気になった。
アレクサンダーテクニークによって、ピアノの音色がいきなり変わったのには驚いた。
また、朗読演出では、朗読者に身体の使い方を変えてもらったとき、その声や表現が劇的に変化するのもおもしろかった。
ヨガや合気道もかじってみた(職業作家時代にすこしだけ極真空手に入門したこともある)。
そのたびにすこしずつ気づきがあった。
が、もっとも大きな変化と気づきがやってきたのは、韓氏意拳に出会ってからだった。
これは万人に向いているかどうかとなると断定はできないが、すくなくとも私には向いていた。
それまで経験したボディワークや武道がすべて「雑」に感じた(たぶんそれは事実ではなく、自分の姿勢が雑だっただけだろうと思う)。
韓氏意拳では緻密に、非常に深く、念入りに、注意深く、自分の身体にアクセスしていく。
それまでまったく見えていなかったリアルな身体が見えてくる。
リアルな身体は、じつはまったく手ごたえがなく、空虚ですらある。
そこからなにが生じるのかは、自分自身にすらわからない。
それが真実であり、本当の身体なのであるということを、思い知ることになった。
自分が「こう」であり「こんな感じ」と思っているものとはまったく別のところに、本当の自分の身体があり、運動の生じるきっかけがある。
それを知ったのは大きかった。
なんについて大きかったかというと、私の表現行為にあたえる影響が大きかった、ということだ。
書くものも、演奏するものも、演出すなわちコミュニケーションにおいても、すべてが大きく変わった。
変わった、というより、それはそもそも私のなかにあるものだった。
見えなくなっていたそれが、ふたたびかすかに見えるようになってきている、といったほうがいいかもしれない。
北陸特有の重たいボタ雪が吹きすさぶ河川敷を、母親が編んでくれた毛糸の帽子を目深にかぶり、しもやけの手でストックを握りしめてスキーで滑りまわった感覚が、わずかずつながらやがて60に手が届こうという男の身体によみがえってくる。
これが「武術」だというんだから、おどろきだよね。
◎羽根木の家で韓氏意拳初級講習会(11.29)
内田秀樹準教練による韓氏意拳の体験&初級講習会@羽根木の家を11月29日(日)に開催します。自分の未知の身体に出会えるユニークで注目の武術です。どなたでもご参加いただけます。