2017年9月2日土曜日

宅録オーディオブック

オーディオブックの収録を再開している。
コンテンツは山田風太郎の『甲賀忍法帖』、朗読は野々宮卯妙。

アイ文庫オーディオブックの収録製作をスタートさせたのは2001年ごろ。
スタジオを借りるだけの財力はなかったので、当然宅録。
豪徳寺のワンルームマンションでハードディスクレコーダーとダイナミックマイクを使って、家内工業的に収録した。
そのコンテンツはいまでも流通していて、音質こそそこそこだが、オーディオブックとしては十分楽しめるクオリティだと思う。

その後、収録環境と機材は飛躍的に向上したが、オーディオブックマーケットは一向に伸びなかった。
本の内容を伝える情報コンテンツというより、読み手の朗読表現作品として手間ひまかけて製作していたアイ文庫の姿勢は、なかなか(そしていまだに)受け入れられることは少ない。
が、私はこの姿勢を変えるつもりはない。

先日、ちょっと長いドライブをする機会があった。
いつもはラジオか音楽を聴くのだが、ふと、過去に作ったオーディオブックを聴いてみようと思った。
水城ゼミのメンバーは私とアイ文庫が作ったすべてのオーディオブックコンテンツにアクセスできるように、順次作業しているところだが、すでに作業ずみのなかに太宰治の『富嶽百景』があった。
それを聴いてみようと思った。
朗読は名古屋の怪優・榊原忠美。

「富士には月見草がよく似合う」
というフレーズで有名な太宰の小説、というか随筆というか、日記のようなものだが、私はなぜだかこれが太宰の書いたもののなかでももっとも気にいっている。
なので、これまでにも何度か読んでいるし、このコンテンツの収録にも立ちあっている。
編集作業もおこなったし、なによりこのコンテンツのためにオリジナルの音楽も作ったりした。

あらためて聴いてみると懐かしい感じがしたが、ふと気がついたら、不覚にも泣きそうになっていた。
なんだろう、これは、いままでに味わったことのない感じだ。
運転しているという状況で、ほかに邪魔されることなく集中して聴いていたせいだろうか。
そのテキストがすっと、まるで太宰がそこにいて話しているかのように、素直にはいってくる。

あらためて、太宰という、一種情けないところのある作家の体温を感じる。
彼もわかっていたであろう自分自身の情けなさ、だらしなさ、かといって繊細すぎて深い傷を負ってしまう生き方、それをかっこつけて取りつくろおうとするそのこと自体をも明らかに書いてしまう露悪趣味に近い正直さと、無防備さ。
それが、榊原忠美という役者の声=身体をとおして、こちらの身体へとダイレクトに伝わってくる。

数時間のドライブだったが、よい体験だった。
オーディオブックを作りつづけてきて、一時はその世界から離れようと思ったこともあったけれど、いやいやこれは自分の仕事としてつづけられる限りつづけたいことなのだと、あらためて確認できた体験だった。

朗読や群読などの身体表現を用いていまこの瞬間の自分自身をのびやかに表現するための研究の場・水城ゼミ、9月の開催は9月2(土)/7(木)/9(土)/21(木)/23(土)/28(木)、いずれも10時半から約2時間。