話を聞いていくと、対応する大人の側にもいろいろなかんがえや立場があることがわかります。
不登校を自分たちの「恥」だと思っていて、なんとか学校へ行かせたいと思っている人。
子どもが不登校であることを受け入れ、子どもを守りたい、元気になってほしいと願っている人。
いずれにしても、子どもとどのようにコミュニケートすればいいのか、悩んでいる方が多いのです。
たとえば標題のように、子どもが、
「もう死にたい。ぼくなんかこの世にいないほうがいいんだ」
などと絶望を口にします。
「なにをやってもうまくいかない。やる気が出ない。ぼくはどうしようもない人間なんだ」
と愚痴をこぼす。
それを聞くと親も悲しくなります。
なんとか奮起させようと励ましたりします。
あるいはどうしたらいいのかいっしょにかんがえたり、提案したり、なにか有効な手段を探してそれをやらせようとしてみます。
なかにはただ話を聞き、受け入れ、つながり、安心させようとする人もいます。
しかし、どうやって話を聞き、深くつながることができるのかわからず、とほうに暮れてしまう人もいます。
せいいっぱい聞こうとするのに、子どもはおなじ話を何度も繰り返すばかりで、毎回堂々巡りのようになって疲れはててしまう、そういう人がいます。
そんなとき、どうすればいいんでしょう。
どうやったら子どもの話を深く聞き、受け止め、つながりあい、そしてこちらのことも子どもに伝え、受け取ってもらえるようになるんでしょうか。
この方法は、不登校の子どもばかりでなく、仕事に行けない大人や、やる気が出ないとか生きる希望がないという人にも応用できるかもしれません。
そのことについて、いまから書こうとして、コラムとして書くには内容的にボリュームが大きくなることに気づきました。
このテーマについては、いま発刊の準備をしている「共感ハンドブック」のシリーズでくわしく書くことにします。
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