最後にワーク内で書いた素敵なショートショートがくっついてます。
とても楽しませてもらったので、おすそわけ。
(書式などは変更してあります)。
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水城ゆうさん主催の「自分とつながるテキストライティング」のワークショップに参加した。
この講座に参加したのには訳がある。
まあ、なんにしたってワケはあるワケだけれども。
2017年がはじまるにあたって、軽~く「今年やりたいこと」のリストをつくった。
その中の一つに「書くことを再び楽しみたい」というのがある。
仕事だろうがなんだろうが文章表現をするときに、「楽しい」というか「できる!」というか「狙いを違わず撃っている」「真芯に当たっている」という感覚を長らく得ていない。
どこか嘘くさい。
「なんとなく……」そう、なんとなくスペースを埋めている。
いま書いていてもそんな感じだ。
それが気持ち悪い。
下手でも荒削りでも、書いているとお腹の底がくすぐったくなるような、はやるような、ときには嬉し恥ずかしだったり、「あ、これで行ける!」というような、そんな感覚がなにかしら以前はあったのに最近は、ほとんどない。
無感動、無感覚に近い。
ところが、年末にふと思い立って参加した自分につながるシリーズのテキストライティングが思いがけずおもしろかったのだ。
そのトレーニングに再び参加した。
水城さんの教えてくれることをひとことで言えば、「書くときにいかに他人を排して自分に徹するか」。
つまり「自分のからだに起こっていることに意識を向けてそれを捕まえて表現せよ」。
唯一無二の表現を生むには、自分の身体感覚を研ぎ澄ませて書く。
「他者」「社会」「現象」等々外側に起こっていることが、自分の核、身体に何を起こしているのか。
それを捕まえて書け、ということだ。
ワークショップでは、描写(解釈を挟まない観察)だけを書く、例えを使って書く、物語の冒頭、終わり、中途の数行を書く等々、5分、10分と時間を区切られて短い時間で100~200文字を書いていく。
課題ごとに参加者それぞれが書いたものをシェアするのだが、それも徐々に固有の感覚が現れてきて面白い。
最後には、与えられたテーマで1編を仕上げることを求められた。
それがこれ。
テーマは「ブローチ」。
なぬ???
だが、書いてみたらこんなものが出てきた。
ので、貼ってみました。
(ブローチ)
世の中は私の味方ではないと、たびたび自覚させられながら生きてきた。漢字の書き順にはじまり、急須、レードル、ドアノブ、そして自動改札のタッチパネル。全て私の寿命を短くしようと画策するヤツらだ。そして、こんどはこのブローチときた。薄いグリーンの木の葉のかたち、ガラスでできた繊細なデザイン、気に入っているのに、どうやっても、葉の先を上にしてちょうどいい向き、ちょうどいい位置に留めることができない。服を脱いで、留めて、それから着てみたらいいじゃないかって? とっくにやってます。でも、鏡の前に立つと、そこじゃないって思うのだ。脱いで、外して、つけて、やりなおし。もーぅ、イライラする。
そう、人間一人じゃ生きていかれない。こんなにたくさんの物に命を狙われているんですもの。そういうわけで失礼ですけれど、このブローチ、この位置に、ピンとつけてくださらない?
◎自分とつながるテキストライティングWS(4.8)
いまの時代こそ表現の根本である「ことば」が重要であり、私たちは自分自身を語ることばを獲得する必要があります。それを模索するワークショップを4月8日(土)に国立で6時間にわたって、じっくりとおこないます。