「せいせいとした日常」
これを取り戻したいのです。
日常がせいせいしているとは、どういうことかというと、毎日がすっきりしていて、ごちゃごちゃと複雑なことはなにもなく、クリアでクリーンでシンプルである、ということです。
逆にいえば、いまはそのような状態にないと感じているということでしょう。
毎日なにかしらやることがあって、それがクリアでシンプルでないと感じている。
複雑な人間関係のなかで突発的に飛びこんでくる用事があったり、複雑な都市での生活スタイルのためにやらなければならないことがたくさんあったりします。
大切な友人からなにかを誘われても――たとえば演奏会とか旅行とか――ほかの用事が複雑にからまりあっている日常のなかでその時間を捻出するのはなかなかむずかしいと感じてしまいます。
あるいは疲労がたまっていたり、疲労を恐れて、生産的でない(と自分が社会的基準にとらわれてジャッジしてしまう)ようなことにエネルギーをさけなかったりします。
子どもの時はどうだったでしょうか。
いまの子どもはどうなのかわかりませんが、私の子どものころは基本的に、子どもは「ひま」でした。
毎日なにかおもしろいことはないか、楽しいことはないか、ひまを持てあましていましたし、何時間でも釣りに没頭したり、友だちとあてどなくどこまでも自転車で冒険に出かけたりしました。
いま、私の友人が何人も、国外や、国内の遠方で生活しています。
そういうところにしばしば訪ねていきたくなります。
彼らがどのような生活をしているのか興味があるし、異国の地にも興味があるし、また誘われたりもします。
でも、さまざまな理由をつけて私はなかなか動けません。
時間、お金、ほかの用事、さまざまに余裕がないことをあげつらって、動けないのです。
本当は動けないのではなく、動かないだけなのかもしれません。
シンプルに自分自身につながり、生活を整え、すっきりさせ、本来自分自身にあたえられているはずの多くの時間を取りもどす。
いまこの瞬間の自分の手のなかにある時間こそが、すべての人に平等にあたえられた財産といってもいいでしょう。
その有効活用をたしかに私はおこたっています。
つまり、自分の人生を浪費しているのです。
もうそんなに時間が有り余っているというわけではないのに。
どうすればせいせいとした日常を取り戻すことができるのか。
そのことにこれから真剣に取りくんでみたいと思っています。
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