どこにいても、どんな状況にあっても、いつも自分自身につながっていきいきしていたり、落ち着いていたり、集中できたりするのは理想ですね。
私は韓氏意拳という武術をやっていますが、武術においてもこのようなことが厳しく要求されます。
とくに武術においては、いつどのような状況で危機に立ちむかうことになるのか想定できない、という仮定があるので、つねに自分自身につながって、自分のことに徹していられる必要があるのです。
そのことを稽古します。
日常のなかではそうそう生命の危機に遭遇するような場面はありませんから、武術ほど厳しく向かう必要はないかもしれませんが、日常においてもいつでも自分自身につながり、集中できたり、能力を発揮したり、落ち着いていられたりすることは、とても役に立ちます。
どこにいても自分につながれるようになったら、つぎは自分の居場所をどのように作るか、についてかんがえるのが楽しくなります。
いま、断捨離とかミニマリストとか、ものを持たない生活や、最小限の装備で移動生活することがたくさん提案されていますが、私は「自分の居場所」という観点からじっくり検証してみたいと思っています。
共感的コミュニケーション(NVC)には「スペース」というニーズがあります。
自分がひとりで落ち着ける場所――そこには自分の心地よさがあって、他人との距離があって、邪魔されない環境です。
そこがどんな場所で、最低限どんなものがあれば、ずっとそこに心地よくいられるでしょうか。
そういう場所をどこに行っても作ることができれば、外出や移動も苦にならなくなります。
自分の家が立派である必要もなくなります。
現代人は立派な家を確保するために、どれだけの時間と労力と資金を使うことでしょう。
もちろん資源も使います。
それが立派である必要がなくなったとき、自分のエネルギーをそれ以外のものに費やしたり、余裕が生まれたりするかもしれません。
「居場所」はいくつかの想定があります。
まず、自分の家(立派である必要はありません)。
一時的な外出先――たとえば会社とか電車のなかとかカフェとか。
移動先――たとえばみじかい旅行とか出張とか。
長期滞在の旅行など。
または生活や仕事の拠点をいくつか平行して持っていて、それらを移動しながら生活する他拠点生活。
それぞれの想定において、自分のニーズを確認し、そのニーズを満たす手段としての持ち物や環境について検証してみたいのです。
いま、そんな本を書いてみたいな、あるいはそんなワークショップをみなさんとやってみたいな、なんて思っています。