それももちろん大切なんですが、そのこと自体を目的としてしまうと、もっと大切なことが抜けおちてしまうことがあります。
だれかに共感する、というのは、結果ではなくその過程であり、態度/ありようが重要なのです。
「この人はなにを大切にしているのだろう?」
と相手に興味を向けるとき、あなたのその態度/ありよう/身体性が変化しています。
その変化しているあなた自身のようすのことを「共感的」というのです。
私たち人間は、想像以上に非言語的情報をたくさん交換しています。
朝、知り合いからなにげなく、
「おはよう」
と挨拶されたとき、こちら側は「おはよう」ということばの意味ではなく、そのことばがどのように発せられているのか、声のニュアンス、相手のようすなどを、無意識に、微細に見ています。
人はすぐれたセンサーのかたまりといっていいほどの生き物です。
全身がセンサーに包まれ、さらに視覚や聴覚といった鋭敏なセンサーも備えています。
それらを駆使して、相手の状態を敏感に受け取っています。
逆に相手にとってもおなじことがいえます。
相手はあなたのようすを鋭敏に受け取っています。
あなたが、
「この人はなにを大切にしているのだろう?」
と相手に興味を向けていることは、相手も無意識に受け取っています。
つまり、すでにあなたが共感的であることが伝わっているのです。
共感的であるあなたは、また、その身体性で発する声やことばもまた、自然に共感的になっていることでしょう。
そのこともまた相手に明確に伝わります。
すでにそこにはある種の「つながり」が生まれています。
ただしこれらのことは、まずこちら側が自分自身にすでにつながっていることが前提となっています。
自分自身が「活体」であることがなにより重要です。
◎4月開催:水城ゆうのオンライン共感カフェ(4.17)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、4月の開催は17(月)20時/25(火)20時です。