このところ、自分でもめずらしく、なんとなく鬱々とした気分がつづいていた。
予期しないことが起こったり、思ったとおりにものごとが運ばなかったり、やることがあまりに多すぎたり、人とのコミュニケーションがうまくいかなかったり。
たいていは音読療法(と共感的コミュニケーション)でうまくいくのだが、今回にかぎってなかなか自分のニーズにつながることができず、何日かやる気をなくしていた。
体調が低迷していたのもその要因のひとつかもしれない。
やる気が起きないとき、自分のニーズにつながれないときは、できればなにもしないで自分を待ってやるといい。
「そんなこといってもやらなきゃならないことがたくさんあって、休んでなんかいられない」
そんなふうにいう人がほとんどだろうし、実際私もそんな感じだった。
しかし、そんなふうにしてものごとをやってもあまりうまくいかないし、よい結果が生まれることは少ない。
そういうときは思いきって立ちどまってみることが必要だ。
私はいろいろ「やらなきゃ」と思っていることをちょっとわきに置いて、自分がいま一番やりたいことはなんだろう、とかんがえてみた。
気分が落ちているので、だれとも会いたくない。
ならば、部屋にこもってなにか好きなことをやろう。
ひとりで絵を描いたり、文字を書いたりするのが好きだった。
いまでももちろん好きだ。
そうだ、小説を書こう。
せっかくなので、ブログ連載していた『ストリーム』の最後の章を書きあげてしまおうか。
ちょっと楽しくなった。
昨日と今日の二日間で、長編小説『ストリーム』のラスト部分を書きあげた。
楽しかったなあ。
書きあげたので、近いうちに本にしようと思う。
そのために、ブログにアップした分は全部削除した。
ひさしぶりに小説を楽しんで書いてみて、自分のニーズにつながることができた。
小説を書きたいというのは、たぶん自分を表現したいというニーズだが、書きあげてみるとそのニーズはさらにその先へと開いていることに気づいた。
テキストを書いたら、それで私のニーズはいったん完結しているわけだが、次のニーズが立ちあらわれる。
そのテキストをさらに展開したい、本にしたい、朗読作品にしたい、ステージ・パフォーマンスにしたい、というニーズがある。
そして私もそこに参加していたい。
自分が書いたテキストを本にしたり、構成したシナリオをステージ・パフォーマンスにして、私も演奏で参加することで、出演者とのつながりを確認する。
そのことが私にとっては大事で、必要なことなのだ。
けっして書きあげて終わり、ではない。
私がなぜ、現代朗読協会という活動を大切に思い、丁寧に、熱心に運営してきたのか、ようやくはっきりわかったような気がする。