最終回・30回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。
9月2日にスタートした照射治療も、これでようやく終わり。
1日も遅刻することなく通った自分をまずねぎらおう。
技師や受付の人たちからも「おつかれさまでした」と挨拶してもらった。
抗ガン剤治療ほどではないとはいえ(たぶん)、思ったよりきつくて、途中でめげそうになった。
この最終週はとくに、病院に向かう足が重かった。
食欲の低下と倦怠感がつらかった。
後半は寝たり起きたりの時間が多い日々となった。
しかし、気がついてみると、食事のときのつかえ感はほとんどなくなっている。
放射線で荒れた粘膜がひりひりすることはあるが、食べ物がつかえて苦しいということはまずない。
痛みもほとんどなく、毎日、日に数回は飲んでいた痛み止めの薬も、いまは飲んでいない。
倦怠感は夜になると強まり、疲労感となってなにもできなくなることが多いが、日中はほぼこれまでどおり活動できている。
これがいつまでつづくのかわからないが、この状態で日々の活動ができていることがありがたく、なにより幸せだ。
ガンになってよかった、というと強がりのように聞こえるかもしれないが、心からそう思うときがある。
それは、いまこの瞬間を大切に、いとおしく感じながら、わがことに集中できるときだ。
また、朝目覚めて自分が生きて存在していることを確認するときだ。
もしガンになっていなかったら、いまも毎日、漫然と起きて、「やらねばならない」ことを義務感と脅迫感と罪悪感からせきたてられるようにこなしていただろう。
もちろん、ガンにならなくても、日々を大切に、マインドフルにすごしている人はたくさんいると思う。
私はだめだった。
思った以上に愚かで、鈍感な人間なのだった。
さて、このあとはどうなるか?
放射線によって食道ガンがどの程度縮小したのかは、一か月後のCT検査と内視鏡検査の結果を見なければわからない。
完全になくなるということはないだろう。
通常は30パーセントくらいまで縮小すれば治療は成功だという話だ。
その後、残ったガンがふたたび肥大化していくのか、転移が進むのか、あるいはしばらくは動かないのか、さらに縮小していくのかはわからない。
いずれにしても、放射線治療はもう受けることはできない。
ガンがふたたび肥大化していく、あるいはリンパ節への転移が進んであちこちにガン組織が増える、放射線による副作用として別のあらたなガンが生まれるなど、いろいろな可能性はある。
または身体の働きによってガンがしばらく沈静化することもまったくないわけではない。
いまの活力をもって動ける状態がどのくらいのつづくのか、私にどのくらいの時間が残されているのかはわからないが、いまこの瞬間、私の意識と身体は明瞭で活発であることはたしかだ。
これがすべてだと思う。
いまのこの瞬間に私をどう生かすのか、そのことをしっかりと味わうことができるのか。
この瞬間瞬間に同時にいろいろなことはやれないが、やりたいことはたくさんある。
そのつど、やりたいことのひとつにフォーカスして、全身的にマインドフルにそれに取りくむこと。
できれば私の生きている証がそこにあり、できればいくらかでもあなたとあなたの生きている世界に貢献し、できればよろこびをもってあなたと交流すること。
これが私の望みのすべてだ。
私の望みは私の生命現象であり、私は私の生命現象をまっとうすることに集中したいのだ。
(おわり)