そのために、というと逆説的ですが、それを解消するための多くの手段やサービスが生みだされ、提供されています。
鍼灸マッサージ、整体、ヨガ、さまざまなセラピーや心理療法、ボディワーク。
私がおこなっている音読療法や共感的コミュニケーションもそのひとつかもしれません。
それらの多くが、緊張とストレスを「ゆるめる」「開放する」という方向を持っています。
たしかに過緊張やオーバーストレスは、いったんそれをゆるめたり開放する必要があります。
そのままにしておくと人は壊れてしまいますし、実際に多くの人が壊れつつあったり、壊れてしまったりしています。
壊れかかったり、壊れてしまうと、あとは矛盾した表現ですが力技で無理やりゆるめるしかありません。
たとえば薬物治療のようなことです。
しかし、ゆるめたところからはふたたび「まとめて」いく必要があります。
ふたたび活気を取りもどし、いきいきと活動できるようになるためには、心身のまとまりが必要です。
私がここ4年くらい取りくんでいる武術の韓氏意拳では、この心身のまとまりのことを「状態」と呼んでます。
状態は意識できないほどうすいものもあれば、とても深くていつでも拳を発動できるようなものもあります。
たとえば歩いているときも、歩くという運動を継続するにちょうどいい「状態」があります。
技撃を発動するときにも、それにふさわしい状態が必要です。
このように、私たちは生活のなかで、あるいは仕事中に、それにちょうどいい状態をつかんでそこにとどまっていられることが必要なのです。
これが過度だったり、足りなかったりすると、いろいろ齟齬が生じるわけです。
自分がいつでも、どのくらいが「ちょうどよい」状態なのか、心身の緊張やまとまりがどの程度必要なのかは、自分自身に聞くしかありません。
自分の身体の声がそれを教えてくれるのです。
その声をどれだけ緻密に、丁寧に、注意深く聞くことができるか。
この練習に、武術はとても有効です。
なぜなら、武術は生き死にをかけた切迫した状況での自分の心身の使い方を稽古するものだからです。
自分の命がかかった状況で、いちばんちょうどよい状態で心身の働きを発揮させること。
これが自分を生きのびさせることになります。
もしこれがすこし足りなかったり、あるいは過度だったりすると、たちまち命を落とすわけです。
このような切迫した状況を想定したなかで、厳しく心身の声を聞いていく。
これが日常生活や共感的コミュニケーションなどにおいても、緻密さや注意深さをもたらしてくれると私は感じています。
自分をゆるめること、開放することと、自分をまとめること、緊迫感のなかへとはいっていくこと、この両方があってはじめて、のびやかに生命活動をおこなっていくことができるのです。
◎身体表現者のための韓氏意拳講習会@東松原(10.21)
「身体表現者のための」という切り口で、全身の連動や運動の緊密さ、身体のありように緻密にアクセスし、本来の自分のなかにある可能性に気づいていく武術講習会です。アート表現をおこなっている人や表現に興味がある人におすすめ。