2016年3月24日木曜日

純粋に相手に共感するために役立つ練習

最近、しばしば、共感カフェの参加者から、私がだれかに共感し話を聞いているその様子やありようそのものが学びになる、といわれる。
とてもうれしいことだが、どうすればそんなふうに純粋に相手に共感しつづけることができるんですか、練習法はありますか、と訊かれることがあったので、ちょっとかんがえてみた。

「練習法」と意識してやってはいなかったが、たしかに純粋な共感に役に立つことがあって、これは練習だったのかもしれないと思いあたるものがいくつかあったので、ふたつだけシェアしたい。
どちらも「マインドフルネス」という身体と意識の状態が関係している。

 1. 自分の経験を相手の経験に重ねない

だれかの話を聞くとき、私たちはほとんど無意識に、その話とおなじようなことを自分も経験したことがないかどうか、記憶をさぐりにいく。
似たような経験を引き合いに出して、ついて相手もおなじような気持ちにちがいないと決めつけてしまうのだが、そうではなく、自分はこうだったけれど、いま相手のなかにはどんな気持ちやニーズが息づいているのだろうと、新鮮な目を向けてみる必要がある。

そのための練習として、自分の好みではないこと、苦手だと思っていることにあらためて挑戦してみる、というのがある。
たとえば好きではない食べ物があったとする。
この食べ物は苦手だ、という体験記憶があなたのなかにあって、実際に食べてみるときもその体験記憶を重ねているので、苦手意識から逃れることができない。
記憶から自分を切りはなし、マインドフルにいまこの瞬間自分がなにを受け取っているのか、どんな感じがするのかに注目して食べてみる、味わってみる。
それでも苦手かもしれないが、ひょっとしていまこの瞬間のあらたな発見があるかもしれない。

 2. いまこの瞬間のニーズにつながって手放さない

共感を相手に向け、感情とニーズを聞きつづけていくとき、自分自身のニーズをついおろそかにしがちだ。
自分の側にもニーズがあり、そのために相手の話を聞きたくなっているわけだ。
こちら側のニーズは、たとえば相手の役に立ちたいとか、相手のなかにどんなニーズがあるのか知りたい、好奇心がある、といったものだ。
そこにつながってニーズを手放さず、ただ相手に純粋に共感しつづける。
それが相手にもニーズにつながる手助けになる。

いったんつながったニーズにつながりつづけて手放さないために、自分の身体に気づくという練習がある。
いつでもどこでもいいのだが、いまこの瞬間の自分自身に共感してニーズにつながったとき、そのときの自分の身体に目を向ける。
そのとき、身体はどんな感じになっているだろうか。
どこか緊張しているだろうか、それともなにかみなぎったような感じがあるだろうか、うずうずと動きたい感じがあるだろうか、それともどこかに痛みやこわばりを感じるだろうか。

繊細に自分の身体をとらえ、その感覚をできるだけながくホールドしてみる。
よけいな思考やジャッジを捨て、ただ自分の身体のようすや感覚に注目しつづけてみる。

この身体感覚のホールドの練習は、だれかに共感するときに自分のニーズを手放さないことの役に立つ。
自分がホールドしているのは身体感覚であるが、そこにはニーズが息づいており、その場所から相手に興味を向けて共感しつづけるのだ。


3月の羽根木の家での共感カフェは、3月25日(金)19〜21時です。