2016年3月13日日曜日

自分のニーズに深くつながる(自己共感する)と身体が変わる

共感的コミュニケーションの勉強会で、まったくの初心者や、まだあまり学習が進んでいない人から、
「どうやったらニーズにつながったということがわかるんですか?」
という質問を受けることがある。

ニーズというのは文字通り、その人がいま必要としていることだったり、大切にしている価値観だったり、いくつかの表現があるけれど、そこから行動や感情が生まれる人の根源的なモチベーションのようなものといえるかもしれない。
あるいは活力の燃料/原動力のようなものといってもいい。

これにつながったとき、つまり「自分にはいまこのニーズがある」と実感したとき、人はいきいきと活動をはじめることができる。

どうやったら自分がニーズにつながったとわかるのか。
答えは、
「ただわかる」

ニーズにつながる経験を一度すると、それははっきりとそうわかるのだ、ということが体験としてわかるだろう。
ニーズにつながったとき、多く人がはっきりと身体のありようの変化があらわれる。

緊張が解けたり、あるいは逆に脱力していた身体に活力がみなぎってきたり、ハッとなったり。
昔の人はなにかを深く理解することを「腑に落ちる」と表現した。
まさにそのようなことがニーズにつながったときにも起こる。
「腑」というのははらわた/内臓であり、自分の身体の内のことだ。
そこにものごとの理解が文字通り「落ちる」のだ。
すとんと身体になにかが落ちてくるような感覚、これはだれしも経験があるだろう。
ニーズにつながったときも、そのようなことが起きる。

自分自身がニーズにつながったときも身体の変化としてそれがわかるが、他人がそうなったときにもそれは視覚的変化としてくっきりとわかる。
「あ、この人、いま、ニーズにつながったな」
というのが、見ていてわかる。
逆に見ていてわからないようなら、言葉でいくら「つながった」といっていても実際にはつながっていないかもしれないと疑ったほうがいい。

問題がひとつあって、我々現代人は非常に利便性の高い現代生活のなかで、自分自身の身体や他人の身体をとらえたり観察する「目」を失ってしまっていることが多い、ということだ。
自分の身体をわかっているつもりでいて、それはたんなる「脳内イメージ」にすぎなかったりする。
実体として、実際の感覚として、実感として、自分の身体の「いまここ」のありようをマインドフルにとらえられるかどうか。

ニーズに深くつながるためには、自分の身体をどれだけ実体として見ているかが重要になってくる。
幸い、そのために有効な練習法はたくさんあって、ワークや勉強会でおこなわれている。


共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を3月20日(日/春分の日)夜におこないます。