2014年1月14日火曜日

板倉克行さんのこと

先週金曜日、1月10日の朝、敬愛するピアニストの板倉克行さんがこの世を去られた。
去年の3月に転倒して頭を強打し、以来昏睡状態から意識の回復しない状況がつづいていた。
一時はこちらの呼びかけや文字、映像、音楽などにも反応し、回復のきざしがあるように思えたこともあったのだが、とうとう帰らぬ人となってしまった。
残念で、悲しくてならない。

板倉さんと最初に知り合ったのはいつのことだったか。
中野の〈ピグノーズ〉というライブバーで「げろきょでないと」という定期ライブをやっていたころだから、いまから4、5年前のことだ。
ピグノーズは狭い店だがグランドピアノが置いてあり、ときには毎週、あるいは月に1、2回の割で、私のピアノと現代朗読のメンバーとで朗読と即興音楽のセッションライブを開催していた。

ある夜、板倉さんがふらっと店に立ちよったのだ。
ピグノーズのオーナーでバイオリンの瑞穂さんと知り合いで、フリージャズピアニストだと紹介された。
「遊ばせろ」ということで、ピアノを弾いてもらった。
そのときいた野々宮卯妙や照井数男の朗読とセッションをやったり、私も連弾で遊んだりした。
それが楽しかったのだ。
それ以来、板倉さんは私たちのライブにほとんど毎回顔を出してくれるようになった。
そして毎回遊んでくれた。
朗読といっしょにやるのが楽しいようだった。
板倉さん自身も不思議な詩を書いたり、文学作品にも独特の造詣の深さを持っておられるようだった。

ピグノーズだけでなく、板倉さんが出演するほかの店のライブにも野々宮や照井を誘ってくれるようになった。
新宿〈ピットイン〉でも何度か、フリージャズのメンバーに朗読をいれてくれたりした。
それがきっかけで、野々宮はさまざまなミュージシャンと知り合ったり、もともと知り合いだったミュージシャンと積極的にセッションをするようになり、現代朗読の活躍の場が広がったし、また表現の内容にも影響があったりした。
板倉さんは現代朗読のみんなを、とくに野々宮と照井をとてもかわいがってくれた。
板倉さんがいなければ、いまの現代朗読のありようは大きく違ったものになっていただろう。
そして、いまも板倉さんが元気だったら……と、ついかんがえてしまわざるをえない。
そのたびに悔しさがあふれてくる。

板倉さんは何度か羽根木の家に泊まったことがある。
いっしょに酒をのんでクダを巻いたり、音楽についての夢を語ったりもした。
いっしょにやろう、と約束していたこともあって、それが果たせないまま先立たれてしまったことが残念だ。
おなじピアニストなのに、板倉さんは私もかわいがってくれた。
そして私のピアノをとても評価し、尊重してくれていて、そのことがいまの私の誇りでもある。

あとに残った私は、自分に残された時間を、板倉さんがおもしろがってくれるような表現の活動に傾注していくことが、板倉さんへの恩返しになるかもしれないと思っている。
板倉さん、ほんとうにありがとう。
心から感謝しています。
どうぞ安らかに、ゆっくりとお休みください。
いつか私もそちらに行くときが来ると思います。
そのときはまたいっしょにお酒を飲みながら連弾しましょう。