2020年8月16日日曜日

出発式のお知らせ/8/13〜15のレポート

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本日18時半から水城ゆう出発式(告別式)をとりおこないます。

オンラインでご参列いただけます。時間になりましたら、現代朗読協会のFacebookページにあるイベント「水城ゆう旅立ちフェス」にお入りください。


また、出発式終了の19時半ごろから、水城ゆうを偲ぶオンラインミーティングをもちます。

水城に贈るパフォーマンス発表、そしてまた水城への想いをかたりあう場としたいと思っております。

ご参加には事前登録が必要です。参加希望の方はこちらからご登録ください


以下、栗山のぞみさんによる8/13〜15のレポート(Facebook):

8月13日午前

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3269542793093732&set=a.173937972654245&type=3


8月13日午後

https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3270715956309749


8月14日の記録

https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3273343612713650


8月15日の記録

https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3276610549053623

2020年8月15日土曜日

旅立ちフェス開催

 8月15日未明、水城ゆうがこの世を旅立ちました。


是非現代朗読協会のFacebookイベントページに、水城へのメッセージをお書きいただければ幸いです。

また、水城にゆかりあるみなさまにご自宅から見送りにご参加いただけるよう、「出発式」のオンライン中継、つづいてzoomにてみなさまのパフォーマンスや送る言葉などで水城の旅立ちを見送る会を催したく、お誘いいたします。

旅立ちフェス@8月16日(日)


【第1部:出発式 18時30分〜】

キリスト教式で水城を見送る式をとりおこない、Facebookライブで中継します。みなさまでお見守りください。

【第2部:水城旅立ちフェス 19時30分ごろ〜】

zoomルームにご参加いただき、みなさまそれぞれの水城への思いを表現し分かち合いましょう。
(出発式終了までは待機室でお待ちいただきます)

◉登録が必要です!

オンライン旅立ちフェスに参加される方は、こちらのリンクから必ずご登録ください。
折り返し、zoomルームへのアクセスURLおよびパスワードが届きます。

◉詳しくは「水城ゆう活動支援プロジェクト」をごらんください。


◎フェススタッフより

スペースの関係および時節柄もあり、春野亭への弔問はお控えいただき、それぞれの場所でぜひ、オンラインフェスにご参加ください!

2020年8月13日木曜日

これまでの状況(8/4〜12)

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水城見守りフェス、つづいています。

毎日4〜5人が春野亭に詰めてくれており、見守りやオムツ替え、ベッドを整えたり洗濯や掃除をしたり、出入りする人たちのために賄いをしたり買い出しをしたり……をしてくれるので、私はベッドそばで見守ることだけに徹することができ、仮眠もとることができています。

夕方から朝にかけてが変化が大きいので、泊まり込みや早朝から来てこうした作業をしてくださる常連メンバーもおられ、彼らのケアも大事です。

配慮とサポートをよろしくおねがいします。

力も強く、吸い込む力もあり、誤嚥もありませんが、本人のバイタルは徐々に低下していて、今朝の訪問看護においては、急変の可能性および週末はどうかという話題になってきています。

その時がくるまで、フェスは楽しく明るくつづける所存です。


以下、栗山のぞみさんによる8/4〜12のレポート(Facebook):

8月4日〜8日までの記録
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3254177874630224

8日から9日朝 
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3256011444446867

9日の記録
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3257975110917167

9日から10日朝
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3259252580789420

10日の記録
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3260571730657505

10日夜〜11日朝
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3262456457135699

11日の記録
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3265178393530172


12日の記録
https://www.facebook.com/nozomi.kuriyama1/posts/3268532579861420


2020年8月8日土曜日

本日朝までの状況〜大変だけどすばらしい

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5日の午後、ふたりの青年がやってきてくれた際、朗読に反応してピアノを弾いた。奇跡。

そのあとは椅子から動けないまま、訪問看護あり。麻薬の量を95%にする。痛みよりクリアな時間を、という願いからだったが、かなわず。看護師のすすめで、夕方からおむつにする。その後はもう意識も朦朧としてきて、吐いたりしながらもなんとかその夜は眠った。

6日、のぞみさんが明け方5時頃帰宅した後、私ひとりだけの6時すぎに急変。早い呼吸で、動こうとして倒れる繰り返し。意識は飛んでいる。白目をむいて何か話すのだが聞き取れず。これはもうだめかと思い、身近でサポートしてくれる友人たちに「だれかきて」とメッセージを送る。

その後はあまりにも怒涛の時間で、もう記憶が飛んでます。


絶対にわたしがひとりにならないようにしてほしい、と友人たちにおねがいしたら、絶対にしない、と毎日誰かがつめてくれている(また、何人もが水城だけでなく私のケアにもきてくれる)。

水城は数時間おきに嘔吐して黒色の吐瀉物を出す。最初は数百mlほどの大量を日に2〜3回だったが、徐々に減っていき、色も黒から深緑になっていった。昨日の夜あたりからは、ついに液体ではなく粘度の高い痰になった。また洟水がつづいてもいる。なんとか液体が口に入れば、それだけの量がまた吐瀉物として出てくるのだが。

おむつ替えは3人がかり。本人まだ体力がある、痩せてはいるがそれなりに体も重い、しかも自分の意思(?)で多少は体を動かそうとする。これを御すのは慣れない女3人ではかなりきつい。

(たまに本人が立ち上がろうとするので、それにあわせてやると、しばらくワナワナしながらしがみついて立っていてくれ、その隙におむつをはずしたり尿取りパッドを取り替えたりシーツを替えたりその他もろもろカバー類をどどどと取り替えられる。こうした連携プレーは、手際とアイディアと経験をもつ女性たちがいてくれることで、大変な作業が「すごい!」「やった!」とバレーボールの試合で点数が決まった時に皆が喜び合うような光景が生まれて充実感もある)

人手があるので、昼夜を問わず洗濯機をまわし、夜でも干す。梅雨が明けたのはありがたい。

毎日本人の状態が変わるので、その都度対応も変わり、必要なアイディアも変わる。マインドフルでいなくてはとても無理だ。

今はなんとなく元気な気がする。意識はほとんど(今皆で共有していると思っている世界には)ないようだが、掛け声のような声が出たり、ベッドから足を下ろしたり、お尻をずらしたり、といった運動をおこなう。目に意識が戻り、しっかりとこちらの顔を見ることができる瞬間もある。意味のある文章が口から出ることもある。
もっとも、昼は比較的おだやかで安定していることが多い。
夜遅くから明け方にかけて不穏になりがちで、頻繁に嘔吐や汚れ騒ぎや大きな動きが起こっている。泊まり込みができる人は限られているが、私を含めて3人は必要だ。そんな状況ができるだけ続いてほしいというのだから、介護というのはやはり無理ゲーだ。でも、汚物の容器はいつのまにか消毒されて戻され、濡れタオルや汚れ拭きが必要なときにさっと差し出され、お腹が空いたら食べ物が出てくる。そんなふうに影に日向にはたらき助けてくれる人たちがいて、介護はさながらフェスになる。
水城見守りフェスには、休み時間はない。
水城が声を出したといえば、今はなんと言ったのだろうと皆が集中し、なにが必要だろう、いまどんなきもちだろうと寄ってたかって推測され、バカ話に水城が苦笑しているだのうるさがっているだの言っては数分間みんな静かになるが、すぐにひそひそ声が再開し、また笑い声がおこる。
ふだんなら絶対見せることのない股間も大公開で清拭されて。
無防備でありのままをさらしながら、いま、水城は生きている。
水城さんはなんてしあわせなんだろうね、と皆が言う。
本当に、なんてしあわせなんだろう。
と思っていたら、水城から
「すばらしい、すばらしい」
という声が出た。なにに対してかわからないけれど、「おお〜〜」とみんなからお祝いの声があがった。

2020年8月6日木曜日

今朝の状況について

明け方、かなり危険な状態になりました。

今はなんとか落ち着きましたが、意識がもはや保てない状態です。
傍から動けません。

お見舞いのご予定をいただいている方は、お迎えできませんので勝手にお上がりいただき、顔を見るだけでお帰り願います、失礼をあらかじめお詫びいたします。
これからのおつもりだった方は、しばらくご連絡できませんのでお待ち下さいますよう。

友人たちが家のことなどやってくれながら隣室に控えていてくれています。

風が気持ちいいね、と話しかけると、時々首を動かしたり、目を見開いたりします。

ひろしまに思いを馳せながら。

2020年8月5日水曜日

essay 20200803 白鳥の歌



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これが最後なのか、こんどが最後になるのか、とひとつひとつの行為に思いながらの日々。

この3日間ほどは昼夜を分かたずトイレに頻繁に立つ。
支えると倒れやすくなるようなので、椅子や壁を支えに自力で動いてもらう。
ケアのありようが問われる。
浮腫んでパンパンに膨らんだ両脚をあげるのも自分で、とおねがいする。
ひょいとあげられるときもあれば、手でもちあげないとあげられないときもある。
せめてもの浮腫対策にと、たっぷり時間をかけて両脚のマッサージ(圧)。足の指の下に私の足の指を入れてリズミカルに持ち上げては落としてやると「気持ちいい」といって喜ぶ。こんなのが気持ちいいんだ……という発見。
他人にはそのくらいしかできないし、しないでいいのだろう。

夕方、ふたたび黒い液体を大量に吐く。
「遺言書を書く」と言って書く。遺言書は書き間違えるとだめらしいからもういいよ、と何度か止めたが、「絶対書く」と机にしがみつくので、書き終えるまで見届ける。黒く塗り潰したあとがいくつも残る遺言書。使えないかもだが本人の思いとして。

ものを食べなくなって数日。それが昨夜、いただいたメロンを「食べる?」と聞くと「食べる」と言うので少し出したら、「もっと」と言うので驚き喜び、さらに数切れ出したら平らげた。どんなに美味しかっただろうか!

明け方、みたび黒い液体を大量に吐く。
トイレの場所を何度か見失う。
水分がどんどん失われていく。入れるより出すほうがだんぜん多い。
枯れはじめたということか。

夜が明ける。
「体の中、どうなってる?」と聞くので、「あなたにしかわからないかなあ。ピアノ弾く?」と聞くと「うん」と言う。
でも動かない。

2020年8月4日火曜日

essay 20200802b 美しいおと



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aに続いてすぐ弾き始めた曲。
とても美しくて、しかも後半は同じ音の繰り返しになるのに、ずっと聞いていたい、もっと鍵盤を押してほしいと思った。一音一音がしぼりだすようにだされているからだろうか。音が出ているあいだはたしかに生きているからだろうか。

essay 20200802a やってみる



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水城がパソコンを操作できないので、私が代わりにやることに。
電子ピアノからオーディオインターフェースを経由してMacbookにつなげ、Logic Proで収録する。
音を編集することは無理だが、とりあえず音をいじらずにwavファイルにバウンス、それをYoutubeにアップする。
そんな些細なことの方法もわからなくて、友人に泣きついて教えてもらう。
やれ音が出ない、やれカットがわからない、やれミックスができない……
収録作業はこれまですべて水城がやってきた。
オーディオブックを収録するために何度か収録作業の講座もやってもらったが、ついぞ私が覚えることはなかった。

やらないからできない。やってみればそのうちできるようになる。
そんなことを人に言ったり言われたりして、ようやく事ほど左様に単純だと納得するまで何年かかっただろう。
ただやればいいだけなのに。
やらない理由をさがすのは未来への恐れといいつつ、それは未来でもなんでもない、過去の痛みが“ストーリーお化け”になって後ろ髪を引っ張っているだけだ。
同時に「責任の回避」をやっている。悪の凡庸さ……

なんてことはさておき、8月2日のこの演奏、bと2曲つづけて弾いていて、その切れ目はほとんどなかったので全体で長い一曲だと思っていたのに、あとで2曲であること、曲の切れ目はここ、との明確な指摘があり、音への意識はかなりクリアだなとおどろいた。

3回、トイレの行き来の際に倒れた。うち2回は力が入らず崩れ落ちるように座り込んでしまった。
85歳の認知症の舅を介護していた頃の記憶がリアルに蘇る。こんなふうに痩せてごつごつして骨の重さがこたえた。180センチ超えの舅と比べれば、水城はまだ抱えられるけれど。そして浮腫。低反発枕はもう使わないだろう。

2020年8月3日月曜日

essay 20200728 神は跳ねる



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この演奏は、仲間たちとともにオーガナイズした2017年NVC国際集中合宿(IIT)の、初日=マーシャル・ローゼンバーグの誕生日に生まれたちせちゃん(2歳)の曲をといって即興で弾いたもので、あとで「神は跳ねる」というタイトルを水城がつけた。
2歳の活発な女の子が、猫をおいかけたり、散歩で見つけたセミのぬけがらを見せに来たり、唇をすぼめながら手作りジンジャーエールを飲んだりしているようすを思い浮かべてみてください。
2歳児は神、というよりきっと神は2歳児みたいなのではないか、無防備で正直でやりたいことしかやらないで、そこに「在る」。

この翌日、7月29日水曜日、待望のMacbook Proが到着。「届いたよ!」とすぐに開けて渡したときの満面の笑み。
(記名支援者の方にお送りした報告メールには写真を掲載させていただいた)
しかし……同じ29日、麻薬の量が2割増量された。
痛みは緩和されたが、譫妄が甚だしくなった。体力もがくんと落ちた。麻薬のせいなのか、それとも他の要因があるのか。
水城は29、30日と新Macの設定に余念がなかったが、「うまくいかない」という。設定途中でうとうとしてしまったり、画面の文字が読めなかったりしたようだ。新しいオーディオインターフェースをつなげようとするが、何をどうすればいいのかわからない。急遽私が音楽家の友人にヘルプを出して画面をみせながら二時間かけてなんとか設定完了。さっそく試し録りを、とやってみるが、「わからない」といってギブアップ。
「新しいMacのことを考えるとめっちゃワクワクする」と待ちきれないほどだったのに、理解が追いつかなくなっていた。
痛みの緩和と創作のためのクリアな理解力と、どちらをとるのか。迷わず後者で、そう伝えていたはずだったのだが、医療の常識は前者だったようだ。ぎりぎり痛みとのバランスをとりながらクリアでいたい、というのは無茶なのぞみだったのか。
いま、文章は書けない。
それでも、なんとかピアノだけは、「わからない」と言いながらもピアノの前に座ってしばらく静かに話していると、「弾く」といって弾き始めた。昨日(8月2日)のことだ。今日もなんとか弾けた。
「『わからない』ならとにかくやってみればいいんだよ」とピアノの前に連れていった。からだがきっとおしえてくれると信じて。からだは応じてくれた。
いつまで応じてくれるだろうか。

2020年7月28日火曜日

essay 20200727 耳を澄まして

ふと思いついて、ピアノの即興演奏収録の後に、別の音をかぶせてみたくなった。
ピアノの生収録と、実験的にいろいろな音源を作って試してみるのとは、同じマシン(MacBook Pro)を使っている。
生演奏の上に別の音源を生演奏でかぶせるのはそれほど難しいことではない。
ただし、そこにあるのはもともとは生演奏なので、楽譜もないし、リズムのガイドのようなものもない。
収録されたものに耳を澄まし、あたかもそこに一緒に演奏している人間がいるように感じながら音を合わせていく。

その逆をやることもある。

昨日はまずまず上手くいった。
自分対自分のセッションだ。
うまくいけばとても楽しい。




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痛みに耐え続ける毎日がつづく。
ただただ生き延びるだけでせいいっぱい。
ピアノの前までたどりついても、何もできずただはぁはぁと息をして、ベッドに戻る。
それでもまだなんとか自力で動けるのが、なによりのお祝い。

昨日は訪問看護師さんに久々に洗髪してもらった。
風呂場に行けないので二階の洗面所で洗ってもらうため、お湯を用意し、水で薄めて温度調整しながら、蓋に穴をあけて簡易シャワーにしたペットボトルを使う。
体温調節がもとから苦手だったが、いまはわずかな温度差に敏感で、洗髪用のお湯も、たぶん40度を超えるくらいでもう「熱い」と声をあげ、38度ぐらいで「冷たい」と言う。
最近の東京は暑すぎることもないがそれでも蒸し暑さはあるのに、「寒い」といってフリースを着る。
汗もほとんどかかない。
そういえば、がんになってから体臭がとても薄くなった。
清浄になっていくのだろうか……


2020年7月26日日曜日

essay 20200726 増えるレスキュー

がんの慢性的な痛みをおさえるために、上腕上部に常時皮下注射を入れてある。
そこからは痛み止めの医療用麻薬(モルヒネ)が注入されているのだが、その作用がときどき追いつかなくなることがある。
どうしても痛みが強くなったとき、レスキューとよばれる、追加の麻薬を丸いカプセルのボタンを指で押して手動で注入する。
一時間ぶんぐらいを余分に先行して打つことになるわけだが、体も次第に慣れてきて、最初は一日数回だったのが、4〜5時間に一回、3〜4時間に一回、2時間に一回、と次第に間隔が狭まっていく。そうするとレスキューの意味がなくなるので、ベースの量を増やすことになる。
私が注入している量はどのくらいかよくわからないが、相当な分量を体に入れることになると、体を動かすのもしんどいし、頭の働きも鈍くなっていく。
頭がクリアで、体もあるていどキレが良く、という具合になるといいのだが、なかなかそうはいかない。
今日も痛みのために歯を食いしばって起きながら、ベッドの中でこれを書いている。
ピアノと、それにつけるエッセイは、なんとしても私の表現活動の先端として確保していきたい。




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「書いている」とは、今日の場合は口述筆記を指す。
しばらく音声入力が主だったが、ファイルが行方不明になったりするので、最近は口述筆記の頻度が上がってきた。
かな入力でバチバチ高速で打ちまくっていた水城が。

ピアノは昨日、五歩、いや、今や十歩の距離をたどりついて、数分間息をととのえて、ようやく弾けたもの。
先日、人が来たときに、「ふつう爪先で踏むペダルを、浮腫がひどくて踏めないので、かかとで踏む。
鍵盤に手を置いても左右に自由に動かせないので、置いたところで弾く」のだと言っていた。

そのままを発表するのではなく、いったんLogic Proでの編集を通す。
音を整えている部分も多少ある。だからおちついて聞こえているかもしれない。
生で弾いているようすは、もうすこし大変そうだ。

2020年7月25日土曜日

絵画「非暴力の世界」


今日も雨。
今年初採りのみずみずしいゴーヤを、畑からちぎって持ってきてくれた。
その炒めたものをいただいたが、サクサクと歯応えが良くて、まぁおいしいこと。

朝からわだかまっている腹部の痛みと付き合い続けている。
ひと呼吸ごとに痛みを観察する。
呼吸からの返事はない。



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体調が悪い日が続いている。
昨日は嘔吐の量と色にかなり驚き、医師と看護師、薬剤師が駆けつけ……という事態になってそれなりの覚悟をした。
今日は朝からお通じもあり、だいぶようすは良い。しかしレスキューの量が倍増しているせいか、ぼんやりして過ごしている時間が多い。
ゴーヤをくれた友人と周辺の飲食店の話題になり、水城と三月はあそこで焼肉食べた、四月もあそこで量少なめでもフルコース食べた、というのを思い出して、隔世の感があった。
退院後は一度も一階には下りていない。

絵画「眼鏡」


ホスピスで描いた葉書くらいのサイズの水彩画です。
古い老眼鏡で、蔓に熱でビニールコーティングしてありますが、所々ハゲかけてちぎれかかっています。
その古い感じがなんとなく味を出しているのです。

送り先は既に決まっています。



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この絵もある方へハガキとして出したものだが、誤字が増えてきた。
もともと誤字脱字はある人だが、どんな誤字かで状態が推し量れる気がする。

2020年7月24日金曜日

essay 20200724 お調子もの

友が見舞いに訪ねてきて、おいしいものやらお花をくれたり、マッサージをしてくれる。
私は調子に乗って、限度を越えて喜び勇んでパクパク。
翌日は調子を崩して動けなくなる。

今日は大変だった。
朝起きた時から指一本あげられないほど辛くて、医者を呼んでもらった。
その前に嘔吐感がこみ上げてきて、胃の中のものを全部戻してしまった。
便秘もひどくて、ここ何日間かお通じもない。
手当てしてもらってもうまくいかない。
安静にしてなんとか回復を図るのだが、いても立ってもいられないような苦痛に苛まれていた。それでもなんとかこうやってピアノを演奏して、みなさんにお届けすることができた。
体調の限界の中でなにができるのか、今後の課題になっていくかもしれない。




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痛みの受容体が増えているので麻薬を増やそう……とのこと。早くも。
医療用麻薬には上限がないそうだが、それは(増えていく)受容体とくっつくからで、気持ちよくなったりまでは行かない(から増えても大丈夫?とのこと)。
夜中にトイレに立ってころんだ。
昨日は過呼吸が頻繁におこった。話しかけたりお経朗読をしてもらったりして落ち着かせる。いつなるかわからないのでちょっとでも離れるのが不安だ。
今朝の嘔吐はかなりの量で、色もどす黒い緑色。
レスキュー(麻薬の追加)の頻度を増やすように医師に言われた。
生き生きと活動するとすぐそのしっぺ返しがくる。
毎日アップダウン激しすぎ……と思いかけて、アップ?とハタと立ち止まる。
一歩進んで二歩下がる。
衰えは日々少しずつ進み、ときどきガクンと階段の段差のように落ちる。
一歩でも進めれば……と思うようになる。
まだ大丈夫、まだ大丈夫、と思う。

ひんやりとした風が肌にたどりついて毛穴をそばだたせる。

絵画「絵の具」


病室で何か絵を書こうと思って、実に楽しい色合いのものを探していたら、水彩のパレットそのものがカラフルで楽しそうに見えてきた。そりゃそうだね。

この絵も行き先が決まっています。
喜んでもらってくれると嬉しいな。



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この数日でどんどん画調が変わっている。
最近は抽象なのか幻想なのか、不思議な絵になってきて、このような具象はすでになつかしい。
水城のなかで、なにが起こっているのだろうか。

2020年7月23日木曜日

essay 20200723 「カメレオンの目」2

女が甜茶を運んできた。
その仕草にかいがいしさはなく、むしろ気だるさに満ちた、見ようによっては億劫そうなものだった。
彼女がなぜそこまで自分の面倒を見てくれるのか、彼は知らなかった。

北からの戦線が迫ってきている。
耳障りなシーリングファンの音が、彼を苛立たせる。

女の目的が金ではないことだけは確かだった。
国からの送金はもう数か月途絶えている。

ひと抱え以上ある巨大な金魚鉢の向こうに、極楽鳥花の花が上をむいて咲いている。
女はこの花が好きらしい。
自分は少なくとも、女にとってこの極楽鳥花以上の存在理由を持っているのだろうか。




From editor


「カメレオンの目」で本当に編集者としての役割を負うことになった。
こんなふうに作者にべったりはりついて、文章チェックや提案や質問や校閲にかかわる話ができるのは理想的なのか、地獄的(?)なのか。とはいえ私も覚悟を決めることにして、1を編集者モードで読み直して修正。

まさかこんなふうにこんな小説が始まるとは思ってもみなかった。とても楽しみだ。
時代はいずれ明らかになるだろうが、私が1を読んで想像していたのとは違ったので、いきなり予想を裏切る設定にちょっと興奮する。

「実はこういう小説を読みたかったのだ」(水城デビュー作の帯に筒井康隆氏が書いた評より)


▼水城ゆうの支援サイト、応援よろしくおねがいします

絵画「花」

新しくアクリル水彩と言う画材を試してみたら、自分では絶対に描かないような画調の絵ができてしまった。
まあ、これはこれで私の命のかけらに違いない。

どなたにあげることも決まってないので、欲しい方がいらしたら差し上げます。


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「夜釣り」もそうだが、これまで彼が描いたなかでは見たことのないような画風の絵が出てくるのがおもしろい。
新しい画材にはしゃいでいるかんじ(実際には静かなものですが)、何にかわからないけどありがたいきもち。

(追記)この絵の行先は決まりました。

2020年7月22日水曜日

絵画「夜釣り」


ミニキャンバスに水彩鉛筆というちょっと変わった組み合わせの画材で描きました。
タイトルは「夜釣り」。

そういえば長らく釣りに行ってないなぁ。
これは既に差し上げる方が決まっています。


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昨日も小さなカンヴァスが次々と届いて、階段往復で私にとってはじゅうぶんな運動になった。
届いたばかりのカンヴァスで初めて描いた絵。
描いてからしばらく置いておいたら、どんどん発色が変わると言う。
これはなんだろうねえ……と眺めていたら、「夜釣り」という語が出た。
そう言われると、釣り人が水面を前に暗い中で座っているように見えてきた。

essay 20200722 「カメレオンの目」1

天井のノイズが耳に障る。
奥の部屋から漂ってくる香《こう》のにおいは、女が器用に素手のままで火を消して回っているので、やがて薄れて消えていくことだろう。

女がこちらにやってきて、ベトナムなまりの強い中国語で、
「お粥食べるか」
と聞く。
食欲はまったくない。
「少し」
と彼は答える。

この女の世話がなければ、自分の命がいくらもないことを彼は知っている。
嘘と不誠実にかこまれた人生のどん詰まりを、彼は漂っている。





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今日の演奏は文章とリンクしているそうです(これまではまったく無関係です(笑)、念のため)。

水城は絵を描きピアノを弾き音声入力で短文を書く、と三面六臂の活躍ぶりに見えるが、それ以外はずっと頭を垂れて折れ曲がった状態で座っている。痛みで体が伸ばせずこの姿勢をもう半年以上続けているのだ、寝ても覚めても。
まるで落ち込んで固まっている人のようだ。
本人はその姿勢がいちばん痛みをやりすごせるそうなのだが、呼吸は制限されるだろうし、いくら「良い姿勢」はないといっても、健康な人がこの姿勢でいると勝手にうつうつとしてくるのではないかと思える姿勢なのだから、心配になる。
でも、なにか言ったりしない。待つ。

2020年7月21日火曜日

essay 20200721 やりたかったこと

かなり落ちこんでしまった。
昨夜、介護ベッドの置いてある二階の部屋に、1階からピアノを運んでセッティングしてもらった。
弾くのは何日ぶりだろう。
退院した日だから、5日ぶりだろうか。

衰えるのは早く、回復するのは時間がかかると聞いた。
確かにその通りだと思った。
まったく思ったように指が動かないのだ。

しかし、ふと思い出した。
思ったように自在に演奏するのではなく、自分の内側から出てくる音を触りながらまだ聞いたことのない自分のことを発見していく作業をやりたいのだった、と。
いずれ肉体は衰えていく。
これまでできたことが、いつかできなくなってしまう日が訪れる。
私の場合、それはおそらく思ったより近い日だろう。

あと何日ピアノを演奏できるだろうか。
許されるなら、その日が来るまでただただ無心にピアノを弾き続ける、それが私の最も喜びとするところだ。




From editor


書こうと思いついたことはたくさんあるのに、日々スリリングで流れていってしまう。

ベッドの向きを変えた。ベッドがさえぎっていた窓からの光が奥まで届くようになり、ピアノを入れたにもかかわらず部屋は広く感じられる。
窓にむいて絵を描き、五歩ほどでピアノにたどりついて弾ける環境をつくった。
この環境ができるだけ長く生かされますように。

今日は本当に久々におだやかな一日。痛みは絶えないが、こうして演奏もアップできた。絵も描いた。小さな小さなオムレツも食べられた。アロマオイルで足をマッサージされて安心した。絵筆を洗おうとして洗面所へたどりついたらなぜか過呼吸になって焦ったけど音読療法で立ち直れた、いただいて大喜びしたマイクロ胡蝶蘭が三日目にして早くも折れてしまってすごくがっかりしたけど「ドライフラワーにするとかわいいんだ、ドライフラワー用のシリカゲルを買わなきゃ」、嘆きは命を慈しむお祝いになった。

  * * *

こんなふうに、とてもとてもささやかなことを喜び慈しんで日を送っている。
とはいえ、ほんのわずかなショックも大きく響き、自分の無防備さのゲージが下がっている(不信や警戒心が上がっている)のに気づく。
どうやら体が常時緊張しているようで、ものすごく疲れる。きっと視野も狭いだろう。
それでも外に出れば、道をまるで初めて見るかのように歩くことができ、かすかな風に肌を喜ばせることができる。どうにかこうにかここまで来た、人より歩みはものすごく遅いだろうけれど、そのぶんしっかり味わえた。できることは本当に少なく、それをただやるだけ。

2020年7月20日月曜日

1号サイズの絵

拙い手慰みですが、応援してくださる方に差し上げています。
アクリルを使ったスケッチです。スケッチといっても、抽象画で、何かを書いたわけではありません。






From editor


退院翌日から、Amazonから届く荷物が増えた。
絵の具、筆、簡易なパレット、紙、……。
水城が自分で注文したというので、おどろいた。

昔はハガキ大(1号)のワトソン紙に、レンブラントの固形絵の具やステッドラーの水彩色鉛筆を使って、よく絵を描いていた。
ただ描きたいように、上手下手も気にせず描くので、感心していた。世田谷時代には下北沢で個展もやった。個展期間中には朗読ライブも開催して、たくさんの方に来ていただいた。福井のほうではギャラリーで販売もしていたようだ。
Apple pencilが登場してからは、写真をiPadのアプリでトレースして描くようになった。それらはハガキに印刷してイベントで配ったり販売したりもした。

そしていま、また紙に絵の具で描くようになったのには理由があった。
モニターをみるのがつらいのだそうだ。スマホもタブレットも同様だ。「動く」画面がしんどいのだそうだ。
紙は動かないので見ることができる。

もうひとつ。
麻薬を減らせたとはいえ、痛みがなくなったわけではない。
基本的にぼーっとしたりうとうとしたりが常で、たまに譫妄がおこったりもする。
そんな状態で意識を保つのに、手を動かして絵を描くことが彼にはあうのだと言う。

弾きたいもの、書きたいものがあるから、それができる状態をなるべく長くつくるためのトレーニングが必要らしい。
もはや時間が限られているのに、やりたいことのための準備に時間をついやす……
そんなふうに考えるともどかしくもあるが、そしてさらにもどかしいことにその準備は絵を描くことだけではないのだが、水城にとって必要な時間なのだと信じる。

やりたいことをやりたいのだと、もうがむしゃらにやるのだと切望する人を見て、こちらはつい何かしてやりたくなってしまう。それは何のためにもならなかった。むしろ害悪ですらあった。
ただ泣きながら、でもそれを見せないで(だって相手とのつながりの役には立たないから。でも自分は表現したいから自分にだけ見せてやるということだ)、手を出さずに見守る。それが最善だとわかっているのだけど、とどまれない自分がいる。
(と書いていて、あっ、「巨人の星」の明子姉ちゃんがやってたことじゃん!と思い当たってしまった。すごいわーあの若さで……)

  * * *

面会者といるときはたいていクリアなときで、以前と変わらない表情も見られるので、つい過去とおなじ扱いをしたくなるのはわかるが、回復したり元気になったというわけではない。あいかわらず病巣はあり、転移も増えているのだ。
それを知ってもなお、他人は、目の前の人に過去を重ねるのだ、ということを痛感している。
そして、目の前のありのままを見ていても、体内の状態はわからず、その人が本当にどんな状態なのかは、他人には……そして本人にもわからないのだ。
わからないのならわからないままで、本当に気持ちのままに生きられるのならいいのに。


2020年7月17日金曜日

ホスピスを退院しました

水城、本日退院しました。
吐き気や痛みの強まる時間などは相変わらずあり、体力は激減、息切れも頻度は高く、浮腫もひどい状態です。
しかし痛みはだいぶコントロールできていて、以前よりは総量を減らすことができました。
クリアでいられる時間も増えました。
創作意欲も高まり、さっそく48色水彩色鉛筆を所望、花のスケッチをしていました。
こんなクリアな笑顔は久しぶりです。

「水城ゆうの表現活動支援プロジェクト」へのご参加、ありがとうございます! 安心が体調の安定につながっていると思います。心から感謝申し上げます。
http://mizukiyu.mystrikingly.com/

2020年7月16日木曜日

essay 20200716 退院決まる

明日、退院することになった。

病院では大変多くの人たちのお世話になった。
治療のためのお医者さんはもちろんのこと、看護婦さん達にはつきっきりでお世話になった。
入院中に必要な様々な物をMariには毎日持ってきたり持って帰ったりしてもらったりしたが、そういう「モノ」だけではなく、心の支えもはるばる行ったり来たり、労を厭わず運んでくれたことには感謝でいっぱいだ。

病院のベッドの上で音楽や文章の制作を続けられたのも、彼女がいたからこそだろう。
ベッドの上の届く位置に機材を並べて、ラップトップコンピューターでちょちょいと編集するのは、ひょっとして、端から見るととても楽な光景かもしれない。
実際には全然そんな事は無い。

おもちゃに毛が生えたようなプラスチックの鍵盤は大変扱いにくいし、膨大な量の音源やエフェクトを詰め込んだコンピューターソフトもやすやすと使いこなせるというものでもない。

そんな環境も今日で一旦終わりだ。
病院でもせっせと自分の仕事ができた。
私の表現活動の普及のためのサイトも立ち上がった。
退院するにあたって、いま私は、大きな幸せを感じている。
皆さん、本当にありがとう。




From editor


小さなキーボードでこんな曲が作れるんだ、と驚かせてくれるが、やっぱり大変だったのか……(笑)。
パソコンもストレスを感じるスペックらしい。
新しいMacbook Proが欲しいな、と言うので、みんなからの支援金で買う?と言うと、そんなことしていいのかなと言う。
あなたが表現活動を続けられるための支援って書いてあるじゃん!と励ます。
新しいMacがあったら……そう思ったら、すごくウキウキしてきたそうだ。
最高のクスリではないか。

Macbook Pro、ほんとに買ってあげたいな……
その前に入院費の精算だ。
帰宅してからが、きっとまた大変なのだ。
常時つづくモルヒネの皮下注射、訪問診療や訪問看護の回数も増える、薬代も、介助用品も。いろいろ管がつながっているし、体力が激減したので、車椅子での散歩も風呂も一苦労だろう。
でも、最大の願いである「クリアでいられる時間を増やして創作をしたい」という願いに応えてもらったこの入院の成果を生かしていく! 必ず。

  * * *

昨日のつづき。

水城の最大の才能は、観察力だろう。本人にもその自負はあった。
目の前の人がいまなにをしているのかを観察し、その人の身体の最小限の動きの提案で、その人の能力を、見ている他者はもちろん本人にもわかるレベルで引き出す。
しかし、水城の能力に依存した方法はその人を水城に依存させてしまう危険がある。

そこで、誰でもやれる方法での訓練を積み重ねていくことで、唯一無二のその人だけの表現を引き出していく、さまざまな「エチュード」を考案した。
水城がアイディアを出し、私がやってみて、それを水城が見て新たなアイディアを加え、私が整えていく、の繰り返し。
現代朗読や音読療法は、そうして生まれたいくつかのエチュードを「みんなで」やることが訓練の中心になっている。
さらには、みんなが自分でエチュードを考えだしていく。

現代朗読はNVCの精華といえるのではないか。
NVCを学んでもなかなか在れない「ありのまま」を、テキストと生身の身体さえあればできる方法で彫り出していくのが現代朗読だ。
自分軸で生きていく、そしておたがいが助け合って生きていく、そんな社会をつくろうという、社会変革のアートなのだ。

ああ、はるばる来たものだと、いま、改めて思う。


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2020年7月15日水曜日

essay 20200715 たくさんの花に囲まれて

退院のめどがたって気づいたことがある。
病室には色が少ない。
病室の無色化を最も進めているのは、お見舞いの花だ。

家には絶えず色々な花があった。
訪問する友達によって変えられるだけでなく、日々時間によって変化する。
たとえ同じ花を毎日、時間がわりで描いたとしても楽しいだろう。

ふと気づく。
花に限らず様々なことが、様々な人によって私の生活に贈与されている。

今回は私のために金銭的なことを含め、大掛かりなサポート体制ができた。
これ自体私の友人の貢献によるものだし、それに賛同してくれた多くの人がいることにも驚く。
通りいっぺんの感謝と言う言葉では表しきれないほどありがたく、力づけられるものだ。
これほどまでに多くの友人たちとのつながりを感じたことがあったろうか。

いま私は病床にいるが、たくさんの花々に囲まれているような気分だ。
この花々に囲まれて、つぼみからはどんな音楽が生まれてくるのか。
どんな言葉が生まれてくるのか。
私自身も楽しみで好奇心いっぱいである。




From editor


水城が福井から東京にやってきて約20年。
それまでも商業小説家、ジャズピアニスト、ピアノ教師、パソコン通信のシスオペ(懐かしい呼び名w)、ラジオ局の放送作家、テレビ番組の司会者、小説講座講師、……とさまざまな個人活動をしてきた人だったが、東京にきてから以後の活動はそれまでとは少し次元が変わった。
演出や指導などの実践をとおして、現代朗読や音読療法の理論や手法を体系化し、現代アートとマインドフルネスを融合した境地を追求し、共感的コミュニケーション(NVC)の表現であり練習法でもある共感手帳術や共感文章塾を開き……
すでにあるものを問い直し、再編したりオリジナリティを加え、彼のまわりにいる人たちが理解したり受け取れるかたちにして渡していった。
とくに現代朗読は、私(素人代表)を実験台にして、誰でもできる=誰もがありのままのその人で表現することの尊さを、手法から表現にいたるまで一貫させた成果だと思う。

昨日のブログのFacebookへのシェアに、ある人が私たちの関係についてコメントしてくれた言葉が響いている。
人前でよく意見していたことから、私たちの「仲の悪さ」を見てられないと言われたことさえあったので、「阿ることなく、自分の考えを述べあえる自立した」「通奏低音のように信頼が途切れることなく流れてい」る関係として見てもらえたことは、なによりの祝福だった。
特にNVCに関しては意見が合わず(笑)よく議論もしたが、私のいまたどりついているNVCの地平は、現代朗読なくしてはたどりつけなかったものだ。
ありがとう、水城さん。


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2020年7月14日火曜日

essay 20200714 宝物製造機

移動祝祭日というヘミングウェイの小説がある。
若き日々のヘミングウェイのパリでの日々を題材にした小説だ。

内容はともかく、タイトルが面白いと思った。
そう、人々はどんな悲惨な毎日を過ごしていようとも、見方によってはそれは祝祭であるともいえる。
そんな見方を獲得した時、人は宝物製造機を手に入れたといえよう。
血縁でもないのに、出会い、共に過ごすようになって26年。
そんな人とのつながりもまた、宝物といえよう。

一見何でもない一日を、ここに過ごしている人がいる。
生きていてよかった。
また来年のこの日がやってくるともわからない。
神様に許されたその日が来るまで、またコツコツと正直に生きていく。



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美化はすまいと思うけれど、やっぱり振り返ればかけがえのない日々。
なのに一日一日、なんとおろそかにしてきてしまっただろう。
途中でそれに気がついて、今ここにいてかけがえのなさを愛でようと努めるようになってもなお、時間の重量感に押し流されていく。
それでも、今日を迎えることができた。26周年おめでとう。


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essay 20200713 吐く

どうして今このタイミングなのか。
どうしてどうして今朝ではなく、もう日も暮れようというこの夕刻の時間帯なのか。

思い切り吐いた。
といっても、何日も固形物のご飯はほとんど食べていないので、胃の内容物はほぼ液体だ。

液体ですら動いていない消化器系。

今朝は調子よかった。
こちらの病院のおいしいと評判の(ほとんど流動食ではあるが)昼ごはんは、完食とまではいかないが、全種類をおいしくいただいた。
その後薬が効いてうとうとしていた。
いつの間にか吐き気が生まれていて、吐き気止めをもらおうか、思い切って無理に吐いてしまうか、それとも安静にしてやり過ごすことができないかどうか、様子を見ていた。

中途半端に迷っていたら、急に吐き気がやってきて、戻してしまった。
薬で薬を抑える事はなるべくやりたくないので、こういう場合の何か良い民間療法は無いだろうか。

今はちょっとすっきりして、これを書けるほど落ち着いている。

※アップ時に別のファイルと取り違えていました! 7/14 21:00に差し替えました。
Youtube画面の日付が7.12になっていますが、7.13の音源です。



From editor


(上記は文章も音楽も昨日の制作です)

文章だけを見ると、いまの状況はまったくわからないのだ、と気がついた。
元気だった頃の姿を無意識に重ねているのだろう。もしくは、望む姿を。

ブログは私がこうして介入しているから、そう思う人は少ないように思うが、メールやメッセージでは、まったくわからない。
毎日本人を見ている私でさえも、嘔吐についての短いメッセージを久々に受けたとき、一瞬「ふつうに」読んでいたことに気づいて、ぎょっとした。

NVCのトレーナーたちから、「文章(メールなど)では共感は難しい」と言われてきた。水城はそれを乗り越えようとしていたし、私も自己共感し相手に共感し自己表現する文章を精一杯書いてきたつもりだったが、これは一方的な期待(という暴力)にすぎなかったのか、と殴られたような気分になった。
彼の具合の悪さは、彼が「具合が悪い」と書かない限りわからないだろう。でもそれでいったい何がわかったというのだろう? 何もわからないのだ、何も。

  * * *

メールもメッセージも手紙も、本人は今はほとんど読んでいない。あれだけ毎日ネット発信していた人だから、状況を「理解」していても感覚としてはピンとこない人がほとんどだと思う。実際、いま何ができて何ができないかは、毎日見ている私にも細かくはわからない。
  • 文字を見るのが大変らしいので、送ったのに既読にならないとか返事がないという人はひとまず諦めてください。どうしてもという用事は、こちらからご連絡ください。
パソコン操作も、メニューなどの文字が小さくて読めないので、操作が不安になっている。
それが高じると、やる気が削がれていく。
人とのあたたかなつながりが、そんなきもちを支え、いのちの細い糸をつなぐ……と思うのだが……

ホスピス病棟は本来、24時間面会OK、患者が望むように過ごせるように守られた場所だ。
しかし東京都のコロナ対策要請で、そんな生活は厳しく制限されることになった。
病院からはCOVID-19に配慮しながらも精一杯親切に扱われていると感じていたが、「安全のため」「どうしようもありません」といった言葉で自由はほぼ奪われた。
私がそれを伝える看護師の言葉に砕かれたきもちをふるえながら拾い集めようと沈黙していると、さらに「もうしわけないんですけど」と“クールな声”で“追い討ちをかけられ”る(“”内は私のジャッジ)。さらにさらに切ないのは、それが水城の前でおこなわれていて、水城が「しかたないね」と私に声をかけてくることだ。
おいおいおいおいおい! これはないよ……
面会終了の頃に部屋に来た看護師さんは、申し訳なさそうな顔をしながら「気持ちとしてはいいって言ってあげたいんですけど……ごめんなさい……」と言った。これには感謝をもって応じられるのだが。

一部麻痺したようになって、病室でうとうとする水城の横で寝落ちしてしまった。体がどろりとした沼に浸かっているようなかんじで、せっかくデータを受け取ったのに、昨日のうちにアップできなかった……。
今もまだその感覚が四肢にどっぷり残っている。今はこれに孤絶感と絶望感という名をつけておく。これから先、もっとその名にふさわしい感覚がやってくるのではという恐れを抱きつつ。


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2020年7月12日日曜日

essay 20200712 ヨット乗り

妄想の人生シリーズその2。

私は学生時代、ヨット部だった。
その後ヨットの仕事にはつかなかったが、小説家になったときに、ヨットの雑誌から、ヨットの小説を書くよう依頼があった。
南の島の写真を見て、妄想をめぐらし、海や船にまつわる短編を書く仕事だ。
実際にそれは小説として結実したわけだが(水色文庫収録)、同時に自分にどのような人生があり得るかという妄想を、今もときどきするのが楽しい。

私は貧乏なヨット乗りで、自分の船を持っていないが、ときどき大金持ちのヨット乗りから依頼されて、レース用のヨットを海をわたって回航する仕事を依頼されることがある。
たいてい学生アルバイトの男とふたりペアになって、南太平洋を東から西へ、西から東へと船をあやつって移動させる。
船の上はもちろんその学生とふたりきりで、たいていはシフトのためにお互い顔を合わせたり会話をすることはない。
島に寄港すると、船を桟橋に停泊させ、われわれは地元の酒場へ酒を飲みに行く。
漁師たちとばか話をしたり、旅行中の金持ちと世界情勢について議論をしたりする。
島での補給がすむとわれわれは、次の補給の島へと向かって再び船を出発させる。
結婚もせず、私はそんな日々を過ごしている。

そんな楽しい妄想をしながら、私はふと我に返る。
この男、年老いたらどうするんだろうな。




From editor


水城の「海とヨット」のシリーズは軽妙でお洒落な、商業小説家らしい作品群と言っていいと思う。それでいて不可思議なテイストがあって、そこが個性なのだろう。
私と知り合う前、水城はそんな小説家らしい小説家だったらしい。
「天空の島ラピュタ」公開の年、SF冒険小説で徳間書店からデビューし(デビューにまつわるエピソードは、小説家を育てる気概を持った昭和の編集者が、住所さえわからない投稿者の出身地をたどって連絡をとるところからはじまる、漫画原作になりそうなシンデレラストーリーだ。クライマックスは筒井康隆氏が編集部に置いてあったその刊行前の小説を読んで「俺が帯を書く」と言う場面?)、パソコン通信で「小説工房」を主宰し、当時ネットをやっているプロの小説家はまだ少なかったので、当時ライター兼エディターだった私が取材を申し込んだのが、最初の出会いである(メールの文体から私のことを男かもと思っていたらしい)。
その後、水城はノベルスやジュブナイルを少し書いて、エンターテインメント系から離れていった。そして朗読のためのテキストを書くようになり、本当に書きたいことを書きたいように書く、そしてそれを声にしてもらうことに喜びを感じる作家になった。
もっとも、著作収入は1/100以下になったはずだ。

水色文庫」にあるのは朗読に適した文字数の掌編小説が中心だ。
ぜひ声にして、Youtubeなどにアップして、知らせてほしい。
そのうち水城作品の朗読シリーズをまとめたYoutube再生リストかチャンネルを作りたいものだ。


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2020年7月11日土曜日

essay 20200711 温室

子どものころ、さまざまなものになることを夢見た。
そのひとつに、熱帯植物の研究者になることがあった。
熱帯植物とは蘭の一種で、高温多湿地帯のジャングルの中で他の植物に寄生する珍しい種なのだ。
大きな空中根をひろげ、硬い葉っぱと稀にしか咲かない美しい花をつける。
私の住居はジャングルの中のじめじめした高台にあり、室内の湿度は百パーセント。気温は三十度以上。
そういうなかで、エアコンもなく、顕微鏡を覗き込んで、ひたすら蘭の花の分類をするのだ。
そういう生活はいまでも夢見ていて、ともすれば自宅に温室を建てたいという願望がある。
大きな温室を建て、そこに机や椅子を持ち込み、汗だくになりながらものを書く。
湿度のためにコンピューターは使えず、原稿は手書きだ。
しかし紙の原稿用紙は汗のためにいつもぐったりと濡れている。
私も額から汗を吹き出しながら、半分裸のようなかっこうで、執筆する。
ばかげた妄想だが、そういうことを考えているときはいまでもとても楽しい。
もちろん実際にはそういう人生は送らなかったわけだけれども、もうひとつの人生の可能性として、今の人生のかたわらに配置して楽しんでいる。



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水城の作品に「温室」というのがあって、世田谷時代によく朗読した。
植物の名前が文章の中に織り込まれ、どんどんおかしくなっていく。
二人朗読や四人朗読などにもなったし、施設のイベントで本物の大きな温室のなかで歩き回りながらの群読パフォーマンスをやったりもした。
この作品でたくさん学び、たくさん遊んだ。
楽しかったなあ。
水城の業績はたくさんあるが、現代朗読を確立したことは、その最大のものと言ってもいいのではないか。
あまり知られてないが、もっと知られていいものだと思う。

2020年7月10日金曜日

essay 20200710 入院

緊張、変化、期待、希望。
引っ越し、模様替えなど、環境が変わるとき、さまざまな変化が訪れる。
ピアノの稽古をしていて、ひとつの曲にOKをだし次の曲に移ると言う時も、同じような気持ちの変化が訪れる。

自由に曲を弾いていて、たまたま子どもの時に稽古していた練習曲のような曲ができた。
練習曲ではないのだが、弾きながら面白い気持ちになった。

自宅での療養からホスピスでの療養に引っ越しした。
苦しさ、不安から、安心、信頼へと気持ちが変化する。
病室からは濃い桜の緑も何も見えている。
数日ぶりに顔を出した太陽が青空から照り付けている。



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「ホスピスに入った」というと動揺する方が多いが、一応「痛みのコントロールのため」の入院で、期間は一週間ほどといわれている。

病院だと静かで清潔でいいですね、とも言われるが、ご存知の方はご存知のとおり、病院というところはホスピスといえど耳を澄ませばけっこうなざわつき(人の声、動きの音、いびきやうめき声、モーター音、等々)がある。
しかし水城にとって、たくさんの人がいる病院の夜は「ひとりでさびしい」時間であり、ノイズともいえる人のいびきの音は「人の存在を感じてほっとする」のだった。

——先週から痛みが強まっていて、かねてよりホスピスからも勧められていた痛みコントロールのための入院を、月曜に申し込んだ。ベッドが空くまで一週間ほど待つかもと言われていて、遠方から親族が来る予定があったためちょうどいいと言っていたのが、火水と頓服薬(レスキュー)が激増、それも飲んだ意識(記憶)がないという事態になり、木曜の朝は朦朧として混乱行動が生じたため、本人の要請で病院に連絡。急遽、一般病棟に入ってもらって空き次第ホスピス病棟へ移動する、ということになった。
病院への移動には、音読トレーナーで牧師の葉っぱさんに全面的にお世話になった。ありがとう!

COVID-19の影響で面会も禁止。晴れ間が出ても、これまでのように外に散歩に行くどころか病棟内のうろつきも禁止。ラウンジも閉鎖。通常以上に不自由な環境ながら、24時間態勢の看護が水城に与えている安心感はとても大きい。
CTの結果はそれなりに厳しいものではあったが、麻薬も貼り薬+常時皮下注射になり、痛みも10のうち7以上だったのが4ぐらいまで落ち着いたという。今は副作用でほぼずっとうとうとしているが、落ち着いてくればクリアでいる時間も持てるはずだとのことで、水城がなによりもなによりも望んだ、演奏と執筆のためのクリアな時間への希望が見えてきて、ほんのり明るい雰囲気が漂う。
たっぷりのサポートを受けて、共感酸素がじゅうぶんに供給されて、自律的な生活ができるようになりますように!

今日の配信は、入院直前の昨日の朝に弾いたもの。混乱へのショック、病院の快い対応への安心、そして予断を許さない環境の激変への不安……がないまぜになったひとときだった。

2020年7月8日水曜日

essay 20200708 沈んだ世界

今年は長雨が続いている。
「今年は」というより、「今年も」といったほうがいいだろうか。ベッドに寝ている時間が多い私の体の中にも水がたまり、あちこちに水たまりができてくるようだ。
今年も日本の南には激甚災害指定がだされている。日本の夏は熱帯地方の夏になってしまった。

J・G・バラードと言うSF作家の好きな私は、特に好きな彼の『沈んだ世界』のあちこちの場面を、ベットに沈みながら思い浮かべている。暑く、重く、湿っぽい音を作ってみたい。




From editor


「創作意欲がつぎつぎわきおこっているのに、痛くてできないのがくやしい」
くやしい、くやしい、つらい。
痛みは他人にはどうしてもわからない。痛みは当人だけのものだ。
他人は見守るしかできない……のではなく、見守るだけにとどまりつづけることができるか。
わからないことを悲しむのではなく、といって諦めるのでもなく。

「どうしてもやりたいこと」がさらに明確になって、そこへ向かうだけ、というシンプルさにたどりついたが、そう一筋縄にもいかない事情もあり、予断を許さない。

2020年7月7日火曜日

essay 20200707 触れることの力

本格的に施術された事はほとんどなかったが、今日は友人の高橋朋子さんがアロマを使ったマッサージをしてくれると言うので、心待ちにしていた。

自宅で療養するようになってから様々な差し入れをいただく。
中にはアロマテラピー関係のものもある。
素人でも気楽に使えるマッサージ用のオイルもあって、たまにMariにお願いして手足や背中をマッサージしてもらう。
専門家と言うわけではないが、オイルを塗りこんでもらうと、リラックスして、痛みが落ちつく感じがある。

それをFacebookで読んだ朋子さんがわざわざ国立まで来てくれることになった。

朋子さんは今は一旦落ち着いてフリーになっているのだが、もともとはプロのアロマテラピストとして大変人気の治療院をやっていた。

ところで今日の私はいつもより比較的調子が悪く、痛みのベースを高く感じていた。
頓服薬を飲んでからマッサージをしてもらうかどうしようか迷ったが、そのままやってもらうことにした。
すると不思議なことに、痛みが落ち着いてきて、薬が不要なまま落ち着いてマッサージを受けることができた。

アロマテラピーの技術もあるのだろうが、それ以上に友人による思いやりのこもった丁寧な施術が私の心身をリラックスさせていくのが分かった。
痛みだけでなく、いつも悩まされているお通じの問題もあっけなく解決したのにはびっくりした。
改めて医療技術について考えてしまう時間だった。

ゆったりと心のこもったマッサージを受け、これ以上ない幸せな時間をすごさせてもらった。
朋子さん、今日は本当にありがとう。
また来てね。




From editor


先日、アロママッサージを好むようになったという話をしたら、たくさんのアロマ情報をいただいた。ありがとうございます。
そのなかでさっそくわざわざマッサージをしに来てくださり、「できることがあってよかった」と言ってくれた朋子さん。
与えあい、受け取りあっているんだ、と教えてくれた。

榊原忠美さんをはじめとする名古屋の劇団クセックACTのみなさんが、カンパをつのって現金書留を送ってくれた。ありがたい。
クラファンやろうとかカンパを募ろうと言ってくれる人たちもいる。ありがたい。
こちらからもたくさんたくさんあげたいものがあるよ。

朋子さんのアロママッサージのおかげか、今夜はめずらしく食卓の椅子にみずからやってきて、「共感手帳術の仲間たち」とモニター越しにあいさつ。
すごい、すごいなあ。香りもさることながら、やはり触れることの力だと思う。

今日はお風呂もはいれたし、ピアノも弾けた。
一曲目はけっこう長めに弾いたのに、「これは練習」としてボツにする余裕もあった。
お医者さんとちゃんと話せたし、お医者さんも(たぶん)受け取ってくれた。
痛みはあるけど、良い日だった。
よかった!!

2020年7月5日日曜日

essay 20200705 障壁

私に音楽を表現させまいとする障壁はいろいろある。
技術的なことを含む肉体的な限界。
病気の痛みもそれに含まれる。

先日も書いたように、ベッドから起き上がってピアノのところまで行き、演奏をして曲として完成させる。
こういった一連の中核作業も労力がかかるが、それ以外にも様々な障壁は私を音楽演奏から遠ざけようとする。
いちいち書かないが、むしろそちらの方が大きいと言えるかもしれない。

大きくて重い鍵盤だって、操作するにはかなりのストレスがかかる。
いよいよ体力がなくなったら、鍵盤を操作する以外の方法を考えなければならないかもしれない。

と言うより、今思いついたのだが、鍵盤を操作する以外の方法でも音楽を作ることができる。
私は何にこだわっているのだろう。
私は音楽を演奏したくて、私のベッドの周りにはその道具が揃っている。

ちょっと面白くなってきた。




From editor


薄氷を踏むような毎日。
「もう自宅では無理かも」
ということばまで出た今日。
痛みが強くてどうにもならない。
ストレスがたまり、痛みが強まる。
そして、ストレスは痛みだけじゃない。
どうしたらいいかわからない。
ピアノも、毎日は弾けない。
なんとかピアノのところへたどりついて、短いのを1曲、なんとか2曲が精一杯。

でも、ちいさな希望をみつける。
ちいさな「できたこと」を祝う。
いただきものの平飼い卵とオリゴ糖で今朝つくったプリンをひとつ、食べられた。

2020年7月4日土曜日

essay 20200704 ピアノを弾く能力

なぜ私はピアノが弾けるのだろうか?
ピアノを弾く能力があるからだ。
能力がなくなったとき私はピアノを弾くことができなくなる。
その時私はただ、ピアノを弾かなくなるだけだ。

今日はピアノ弾くことができた。
ただし私ができる範囲内で。
自分を必要以上に大きく見せようとしないで。
ただただ、自分の内側の声に耳をすませ、それとつたないながらも繋がろうという努力をしながら。

今日もじめじめした天気が続いている。




From editor


水城、今週は不調が続いている。
食欲はほぼなく、小さなプリンとエンシュアH、リンゴジュースを一本ずつ、それもなんとかかんとか入れるかんじ。
でも昨日、酸素吸入しながらなんとかピアノを弾くことができた。
弾き終わって、「指が動かないので、ゆっくりのテンポの曲しか弾けない」と言った。

今朝になって、もっと体を動かしていく、と宣言した。
ピアノの前ではつけるが、酸素吸入のチューブなしで階段を上り下りした。

  * * *

多くの人が「よかれと思って」自分の正しさを押し付けてくる。
「〜するといいよ」「あなたは〜な人だから」等々。
それは、相手がほしい言葉ではなく、あなたが言いたい言葉。
そして、相手がほしい言葉なんて、実のところないのかもしれない。
でも、なにか言いたい。あなたがどれだけ相手のことを思っているか、わかってほしくて。
言えば言うほど、相手は遠ざかっていくのに。
言葉でのコミュニケーションって、せつない。

私もそうやって人を損なってきたのだ、と痛い。が、そうしたくなる思いも、その痛みも、本当はどうしたかったのかも、自覚があり、かつそれにこだわらずにいられる自覚もあり、すると浮かんでくるのはほほえみなのだった。まだ少し苦味は混じっているけれど。

言葉は往々にして自分を裏切るけれど、音は如実だ。
かつては、水城の音に嘘を聞い(た気がし)て不満を述べることもあった。
いまは、その必要がないこと、かつそれにこだわる意味もないことの自覚から、ただフラットにおだやかに聴けるのが、本当にありがたく、うれしい。

とにもかくにもいま、うそがないことが、私はうれしくてたまらない。

2020年7月1日水曜日

essay 20200701 あとなんにち

あと何日ピアノが弾けるだろう?

ベッドの中で体を何箇か所か動かしてみる。
以前のように力強くというわけにはいかないけれど、体はまだ動く。
先ほど飲んだ薬のせいで腹部の痛みは少しおさまっている。

両肘を吐きながら慎重に体を起こしていく。
途端に腹部の痛みは強くなり、呼吸が苦しくなる。
どういうわけだか腹部の痛みと酸欠のような息苦しさは連動しているようだ。

ピアノを演奏するための録音の設定をすでに済ませているラップトップパソコンを片手に持って、階下へと降りていく。
強まる腹部の痛みをこらえ、しっかりと手すりをつかみ、ピアノのところまで歩く。
息苦しさを少しでも緩和するために、酸素吸入器をセットしパソコンをピアノにつなぐ。
痛みと息苦しさはかなり強まっているが、しばらく椅子にへたりこんで息を整える。
しばらく鍵盤をにらみつけてから、おもむろに録音ボタンを押し、なにもかんがえずに演奏を始める。

どっちみち即興演奏なので、鍵盤を見る必要はないが、パソコンやデジタルピアノの操作系のボタンは見る必要がある。
しかし、最近は文字を読むだけの視力がほとんどないので、苦労する。

終わって呼吸を整えながら、今日もピアノが弾けた、と思う。



From editor


7月になった。7月にたどりついた。
本当に苦しい一歩一歩がつづく。
月曜は嘔吐し、点滴でなんとか吐き気を抑えた。
火曜は休むことしかできなかった。
水曜はなんとか風呂に入ることができた。
明日は……せめて食べることができれば、明後日につながるはずだ。
毎日、ひとつずつ。
1ミリ、うごかす。

2020年6月29日月曜日

essay 20200629 つくりたかった場が現実に

オンラインとリアルミーティングのミックスした朗読ゼミを開催した。
私が介護ベッドで寝たり座ったりしているその脇で、みんなは通常の朗読ゼミを自発的に開いてくれた。

生惠さんははるばる名古屋から新幹線で来てくれた。
リアルでおたがい初めて会う人もいる。
みんながいろいろおいしいものを差し入れてくれた。

ゼミの後半ではそれぞれ読みたいものを持ち寄って、私にそれぞれ聞かせてくれた。

10年以上前から参加してくれている矢澤ちゃんとふなっちが語ってくれたゼミの感想が嬉しかった。
——お互いの気づきの伝え合いにしても、なにげないコミュニケーションにしても、社会的評価を基準にしたものではなく、おたがいの顔が見える思いやりをもったコミュニケーションがベースになっている。それが自然にこの場で実践されている。

言われてみればたしかにそのとおりだ。
今の現代朗読ゼミは、共感的コミュニケーションが自然にベースに定着している。
私もこの場にいることが、安心できる。
長年かけてそういう場に育ててきたことを、あらためて古参のゼミ生の口から聞いて、確信できた。
昨日もおたがいに朗読を聞きあったり、なにげない美味しいものの話をしたり、そういったコミュニケーションの場が、本来はゼミという勉強の場であるはずなのに、どれほど楽しそうなことか。
またみんなに会えることを、心から待ち望んでいる。




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昨日はそんなふうにとても楽しい一日でした。
今日は朝から吐き気があると言いつつも演奏をし、散歩にも行きましたが、午後になって嘔吐し、止まらないので、点滴をお願いしました。
看護師さんに点滴をしてもらいながらも最初のうちはまだ吐いて、食べたり飲んだりできると吐くものも多くなる、という悲しい図式を見ました。
ごくごくわずかながらも食事を用意できることのありがたさを思い、台所に立つことを愛しく思っています。

2020年6月28日日曜日

久々のリアル現代朗読ゼミ

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今日のessayはおやすみです。

自粛解除もあって、久々にリアル参加OKの現代朗読ゼミをおこないました。
オンライン参加の人たちと一緒に、現代朗読ルーティンワークをやり、エチュードは久々のリアルならではの「お経朗読」を。
歩く瞑想にお経朗読を組み合わせると、練習方法としては最強の部類になります(Mari基準)。
後半の一人読みでは、ベッドにいる水城さんからダイナミックな指導があり、目の前で微細な変化が起こるのを見られるのはリアルならではの楽しみでした。

ゼミ終了後はこれまた久々のみんなでのランチ。
ユウキさんがビーツやキャロットラペを手作りして持ってきてくれ、他の人たちがバケットなどを買ってきてくれて、手作りサンドイッチをわいわいと。オンライン参加のかなえさんからはエリカのチョコレート♡が届き、亜希子さんからはクッキー、名古屋からかけつけたいくえさんからは両口屋是清のお菓子、とプレゼントでテーブルの上はあふれんばかり。
水城も久々の生ハムやカマンベールチーズを味わい、喜んでいました。
つい無農薬野菜や薬草などに偏っていましたが、本人は肉や揚げ物が大好きで、体調も良くなるようなので、ただいまタンパク質増量月間です。
ランチ終了ごろ、女優で「放浪記」「こころ」など長編オーディオブックを録った仲間である岩崎聡子がかけつけ、また賑やかになりました。

水城は終始ベッドでしたが、みんなの笑い声を聞きながら、ユウキさんといくえさんにマッサージをしてもらっていました。
ひとりひとりが、名残を惜しみながら帰って行きました。
今日の水城は痛みもいつもよりは強かったようで、疲れもしたと思いますが、しあわせだったと思います。

←昨日散歩中の水城

2020年6月27日土曜日

essay 20200627 奇跡

絶望的につながりを絶たれた人と、再びつながりを取り戻すための奇跡のような対話を、日々経験している。
「奇跡」というような言葉は軽々しく使いたくないが、私にとってはそうとしかいいようのないまばゆい体験だった。

私はただ最初、相手から責められ、攻撃され、ののしられ、生きた心地もないような思いをしていた。
そんな私に手を差し伸べ、寄り添ってくれる人がいた。
ただただ無言で私に共感し、私もその共感をただ橋渡しするだけかのように相手に向けていた。
すると不思議なことに外に向けられていた相手の怒りや攻撃も、やがて自分自身への共感に変わり、一見私が何もしていないように見える中で不思議なことに対話の質が変わり、攻撃は思いやりへと変わった。

私は泣いていた。
私への深いつながりと、そこで起こった奇跡のようなできごとに驚いて。
私の困難な関係に関わってくれている全ての人に、心から感謝したい。
私は今、限りある未来への希望を抱いている。



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😊


🙌 共感トランプ

2020年6月26日金曜日

essay 20200626 必要

子供の頃は給食袋というのがあって、決まった日に親から現金をもらって学校に持っていった。
なんらかの事情でそれを払えない子どもがいた。

人生の最終盤になって直面するのも、結構お金の問題だったりする。
高額医療や差額ベッドの問題など。
自分にとって何が必要なんだろうか、ということに直面すると同時に、逆に自分はどのように必要とされているのだろうか、と言う問題が突きつけられるような気にもなる。

せめて朗らかにすごせたらいいと思う。
しかし、気詰まりなのは、痛み。
痛みと気詰まりなく過ごせたら良いのにと思うのだが、なかなかそうもいかない。
これはなかなかの至難の業。




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毎日が奇跡の連続で、それでいて静かな生活が続く。
NVCがなかったら、どうやってこの難局を超えていけるのか想像もつかない。
ときどき休息が必要だなと思うし、朝起きられなかったりもするけれど、なんだかじわじわと体の内側からの変化が表面に出始めているような、そんな気もする。
明日はどんな日になるだろう。

(去年見た、サーフィンでPTSDを治療するという動画で、医師が「明日の波のことを考えるとき、もう死ぬことは考えてない」と言っていて、激しく首肯した。今ここに意識をもちながら明日のことを考える、人間はそんなすごいことだってできるのだ)

2020年6月25日木曜日

essay 20200625 音楽の聞き方

昨日は友人がやってきて音楽の話ができた。
友人は私の音楽の話と、残り時間について話をしながら、私のために泣いてくれた。

ある人間がそれをなぜ行ったのか、と言う事はなかなか他の人に教えることができない。
ましてや本人ですそれをなぜ自分が行ったかを明確に説明することは難しい。
たとえそれがどんな所業であれ、その時それを行っている本人にとってはそれはベストのことなのだろう。
後になって人からいろいろ批判されたり、本人すら後悔したり、自分の行いを打ち消してしまいたくなったりする事はしばしばある。

ある音楽を聞いたとき、それを素晴らしいと感じることがある。
そして、なぜこの音楽がこれほど素晴らしいのだろうと知りたくなることがある。
しかしその時すでに自分自身はその音楽をすばらしいとすでに「感じて」いるのであり、それ以上なにかを分析的に聞く必要は無いのではないか、もうすでに何かを十分に感じているのだから。

海津賢くんが、最近の私のピアノ演奏を聴くにあたって、そんな話をしてくれた。

私はただここに生きていて、何かを感じるままにただ純粋に音を奏でる。
それはそのままあなたに届き(いい時代だ)、あなたはただそれを受け取る。
様々なイメージが伝わるかもしれないし、伝わらないかもしれない。
そこに何かが生まれ、何かが伝わり、何かを感じてもらうことができたら、それは私にとっての祝祭の時間となる。

体に聞いてみる。
今日は演奏ができそうかな?
少しできそうだ、と私が答えている。



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隠されていたものが暴かれると、嘘やごまかしが消えて、軽くなる。

芭蕉もそうだったように、「軽み」が到達点だと今の私は思っている。

2020年6月24日水曜日

essay 20200624 受け取っている

昨夜はオンラインの現代朗読ゼミだった。
ひどい体調不良だったり、出られても途中うとうととしてしまったり、心残りのある状態が続いていたのだが、昨夜は最初から最後まで皆さんとゆっくりお付き合いできた。
もちろん、快調と言うわけではなかったのだが、私の参加をゼミ生たちも喜んでくれて、そのことを逆に私は大変ありがたくうれしかった。

自分がそこにいることを誰かが喜んでくれる。こんなにうれしいことはない。
特に人になにかして差し上げられることがどんどんなくなっていくことを実感しているようなときは、それがとても貴重な時間となる。

逆に皆さんからいただくものは日に日にどんどん増えていく。
この文章も、いただいた飲み物を飲みながら書いている。
酒粕で作った甘酒だが、甘さが優しくて、ひと口ごとに体に染み渡るような気がする。
せつ子さん、いつもいつもありがとう。

ちょっと飲みにくいけれど、わざわざ自分の手で摘んだ薬草を積んで届けてくれる人もいる。
かねごん、ありがとう。

私への小言だって私への思いがなければできないことで、ありがたく受け取っている。
私にできるのは、できるだけ体調に留意し、誠実に正直に、真っ暗な野原を手探りではい進んでいくことだろう。
どこにゴールがあるのか、それは私にもわからない。



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「毎日なにもしてないのに疲れるのは年だからだろうか」と言ったら、「何もしてなくないからだよ!」と言われた。そりゃそうだ。
でも、とくに何かをしている感じがしない。その手応えのなさが、生活なのだろう。
不要なことをしていない、ということかもしれない。
(……と思いたい(笑))
水城もきっと、自分は何もしていないと思っているのではなかろうか。
でも、休むこと、治すこと、動くこと、水城には毎日やることがいっぱいだ。
それらすべてが今はこの演奏と短文に集約されていく。
昨日から酸素吸入の処方が追加になり、チューブを鼻に入れた姿はどこから見ても病人の態だが、それが「動く」を助けてくれることを切に願う。

2020年6月23日火曜日

essay20200623 生きていいということ

音楽について何か書こうとするとき、あるいは演奏しようとピアノの前に座った時、必ず思い浮かぶものがある。
20年来同じ機種のピアノを弾き続けているのだが、そのエコノミータイプのデジタルピアノの端っこに小さなガラスのコップに植え替えられた花束が置いてある。
いつかだれかにもらったものだ。
いまこの瞬間は私のピアノの上には存在しないけれど、弾こうとすると必ず目の前にそれが浮かんでくる。あたかもまるでそこにいまあるかのように。

私の虚偽の人生が私の音楽をもそうしてしまったことは、自分自身がいちばんよく知っている。
贈答用に作られた大量生産の切り花も、自分自身それを知っているのだろうか。
そんなはずはない。

私の本や文章の中にも、嘘偽りのないものは紛れ込んでいる。ただ、それをどうやって正直に丁寧に取り出せば良いのかわからないだけだ。

これまでに何度も何度もピアノが弾けなくなり、実際にやめてしまったこともあるけれど、私の古ぼけたデジタルピアノの上にはずっと小さな花束が載っていた。
自分に不誠実で、嘘偽りのある音楽を作っていたときも、その中に本当の美しい音が潜んでいることをずっと見ていてくれた人が、たったひとりある。
私の古いデジタルピアノの上に乗っている小さな花束。
私をここまで連れてきてくれた。

小さな花束には名前が付いている。
まり。

私がピアノを弾くこと、文章を書くこと、生きていること、それらを許されていることにいつもいつも気づかせてくれた。君がいなければ私はここにいない。




2020年6月22日月曜日

essay 20200621 ありのまま、変化

何もかも思い通りにいくとは行かないけれども、自分をありのままに開いて生活していると、物事は思いがけない方向に向かっていくこともある。
ただただありがたい。
私たちはただありのままに生かすことを許され、またその正直さの中に自分の喜びがあり、許しも楽しみもまたそこにあるのだろう。

雨もまたそこに降り続ける。
日もまたそこに照りつける。
痛みもまたそこに生まれ、しかし永遠に続く事はない。



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今日の最高気温は21度、寒い日がつづく。
水城は雪国出身ながら(だから?)寒いのが超絶苦手なうえ、冷え性で、今は感覚が過敏なこともあり、調子が悪いようだ。
そういえば昔ゼミ生たちで、けっこう高価な足を温めるグッズを贈ったが、めんどくさいと言って滅多につけてくれなかった。今は、人にいただいたお腹の温めグッズを寒い時は毎日頻繁に使って、ありがたいなあと言う。からだの声が聞こえるようになって良かったと思う。

2020年6月21日日曜日

essay 20200620 夏至の光景

夏至。
雨上がり。快晴。
日曜日のせいか、車の通りが少ない。
いつも大学通りで遊んでいるハシボソガラスの姿は今日はなし。

面白いことを発見。
聞いてもらいたいこと、読んでもらいたいことが頭の中に溜まってくると、外に出かけたくなる。
いつもいつも出かけられる余裕があるとは限らない。天気もいつも良いとは限らない。
出かけていてもいつもすらすら書けるといいんだけど。

日差しは強いけれど、気温は低くて湿り気を帯びている。
子ども連れの家族が多く散歩している。
みんな気軽に口述筆記している。
んなわけないか。


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ようやくピアノの前にたどり着いたのに、痛みがひどくて弾けない。
しばらく休んで様子を見る。
「いまのタミーちゃんはどんな色、どんな形? 大きさはどのくらい?」
タミーちゃんは水城の痛みの名前だ。
黄土色だったり濃い茶色だったり、オレンジ色だったり。それが薄いピンクになると相当痛いのだそうだ。
丹田あたりでぴくぴくしていたり、ぐーっと硬く小さくなったり。輪郭がぼんやりすることも。
水城はいま、嫌いで逃げ回っていたタミーちゃんと仲良くなろうとがんばっている。タミーちゃんが水城に扉を開いてくれるように。
ずいぶん長く逃げ回ってしまったので相当拗ねているだろうけれど、水城がたどり着くのをタミーちゃんがどうか待っていてくれますように。

2020年6月20日土曜日

essay 20200619 こんなにいい天気なのに

病気になって、今日も一日、クリアに晴れ渡った良い天気になるだろうことがわかる。
身体には痛みがたかまっている。
気持ちも重く、無理矢理奮い立たせようとしている気がして、それはもちろん自分の本心ではない。
周りを見回してみれば自分に誠実、正直に生きている人ばかりいるよ。
こんなにいい天気なのに、どうやれば楽になるのかばかりを考えている。

昨日は花農園に勤め始めた友人から、とても大きな花束が届いた。
迫力があって、きれいであるばかりか、存在感がある。
花は切られてなお、今を精一杯咲き誇っている。
淀んだ苦しみの中で、正直に生きることができるのだろうか。

今日もまた車椅子にのせてもらい、散歩に連れて行ってもらうのがささやかな楽しみだ。


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自分に正直であること。
それが解放への道なのではないかと思いました。
解放されたい、でも解放できるのは自分だけ。
自分に正直であるかどうかがわかるのは自分だけ。
無防備であること、正直であることが、やっぱりなにより大事なんだなあと思います。

その探求を支えてもらう準備もできている、今できっと良かったのだろうと思います。
もうちょっと気づくのが早いと良かったかなあと思わないでもないですが。

2020年6月19日金曜日

essay 20200618 友と過ごす

差し入れにお願いしたモンブランケーキは、子供の頃のそれのようにしっかりしっかりした甘さがある。
洋菓子や和菓子にまつわるダーさんの楽しい思い出話を聞きながら、友達が見舞いに来てくれたことに私はうれしくて仕方がない。
それなのに体調がイマイチで、介護ベッドの上でうとうとしてしまう。
もっと話したいのに。

時間がもったいなくて、15分間だけ昼寝することにして、その後みんなで散歩に出ることになった。
パチンパチンとほっぺたを叩いて無理やりに目を覚まし、散歩に出かける。
涼しくて過ごしやすい。
それよりぽつりぽつりと小雨が降っている。
小雨だって楽しくてしかたががない。
散歩というよりも遠足の気分。

帰ってきてまたしばらくうとうしてしまった。
ダーさんは野々宮と何やら難しい話をして帰っていった。
来てくれてありがとう。昨日という日を新しく生きることができた。


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COVID-19拡大もあり、人と会うことがほとんどなかったが、5月下旬から訪問診療・看護が始まり介護保険も利用するようになって、頻繁に人が出入りするようになった。
何もしていないつもりでも、人がくればどんどん時間が過ぎていく。

島田さんと水城はなんだか妙に似ていて、彼の話を聞いていると水城の状況とシンクロしていることもよくあって、昨日も驚くことしきり。
水城がうとうとしだして、ダーさんとふたり、「難しい話」(0か100しかない、扉は自分では開けることはできない、人に自由意志はない、等仏教に関する話題か、それとも他のか)をして、ダーさんは帰って行った。帰り際に水城に「じゃあ行ってきます」と言っていたのが可笑しかった。
どこにいようが、今が基点ならば、いつでも「行ってきます」ではあるね。

2020年6月18日木曜日

essay 20200617 ピアノのもとへ

階段の手すりに片手でつかまって、二階から一階のピアノの置いてある部屋まで降りていく。
手すりにつかまっていない方の手には、ピアノ収録用のソフトが入っているラップトップを持っている。

痛み止めがあまり効いていないときには、この移動はなかなか厳しい。
そして慎重派でもない自分が、慎重に手すりにつかまってバランスを崩さないように一歩一歩階段を降りていく。
痛みは呼吸と連動しているようで、一方進むために酸素欠乏のようになる。一方進むために息苦しくなって動きを止め、両手でどこかにつかまって呼吸を整える。そして少し動けるようになってからまたまたピアノに向かって歩く。

ピアノの前にラップトップを置き、オーディオインターフェースと接続し電源を入れる。
録音用のファイルを開き、セッティングを呼び出す。

昨日は椅子を変えた。
かなり低い椅子だったのでピアノ全体の高さも低くしなければならなかった。ピアノスタンドごとひっくり返し、危うく怪我をするところだった。こういう些細なことに気をつけないと、私のやりたい事はそこで永久に終わってしまう。

息を整え、頭の中を真っ白にしてから、録音ボタンを押し、おもむろに鍵盤に指を乗せる。
ただただ自分に正直に、偽りなく、醜い自分も、みっともない自分も、格好つけず、大きく見せようとせず、ただただ誠実に、まっすぐに表現する。
もちろんうまくいくとは限らない。うまくいかない方が多いくらいだ。でも私にできることは、うまくやろうとか上手に聞かせようと言うことではなく、ただただ自分がありのままにやれることをやるだけだ。
それで許されないと言うなら、それはそれでやむを得ないことだ。


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ピアノは私の足の上に落ちたのです。
それで水城さんの足はことなきを得ました。
なぜそのことは書かれないのだろう(笑)。

2020年6月17日水曜日

essay 20200616 車いすで散歩

まだ身体が普通に動く半年前までしばしば息抜きに行っていた喫茶店に、久しぶりに車いすで連れて行ってもらった。
車いすで近所まで散歩に連れて行ってもらうのはここ何日かの日課になっている。
体調がきつい時もそうでない時も、なるべく頑張って連れて行ってもらうようにしている。
蒸し暑い日もあれば、爽やかな日もある。
今日は日差しは強いが、気温も高くなく、風が気持ちよくて散歩には理想的だ。

車いすで行くのはもちろん初めてだ。
エレベーターも完備していて、バリアフリーの店だ。
ほとんど飲めなかったけれど、ロイヤルミルクティーの香りが贅沢だ。
お腹に強い痛みも出ていたので、長居はできなかったけれど、また行けるといいなぁ。

駅のロータリーの緑地帯の日陰のところで車いすを止め、行き交う人々をぼんやりと眺めているのも楽しい。
車いすではなく、自分の足で歩いていけるようになることが目標だ。
梅雨はまだ終わりそうにない。



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風がとてもとてもきもちよくて、いつまでも吹かれていたいと思う。
土の匂い、草や木の匂いをのせた空気のはためきは、少し湿っていて、肌のあたりも柔らかい。
日が当たるとじりっとして、陰に入るとひんやりする、その交互の感触、
車椅子のタイヤが、木の根っこが伸びて波打つ道路のタイルを乗り越えていく振動、
鳥の声。
生きていたいと思う。

応援ありがとう

水城を応援くださりありがとうございます。

昨日は贈り物がたてつづけでした。
「水城雄と仲間たち」名義で現代朗読ゼミ生やワークショップ参加者のみなさんたちから千羽鶴(いつの間に!)が届き、
三人の方からお花が届いて、ベッドの足もとはアレンジメントであふれました。
地元の方たちからも、白いあじさいと手作りのにんじんポタージュとパラダイス酵母、美生柑とフルーツトマトを届けていただきました。
ここにお名前は記しませんが、お心受け取りました。

昨夜は久々に、一度しか目覚めずに長く寝られたそうです。

毎日車椅子で散歩に出ています。
今朝は数ヶ月ぶりに、昨年朝の散歩がてら通っていた喫茶店に行きました。
ふだんおかゆやジュレなどが中心の食生活ですが、久々にトーストや紅茶を口にしました。
日差しは強くとも、風が実に心地よく、こんな日が続いてほしいと願わずにはいられません。

2020年6月16日火曜日

essay 20200615 問われている

その瞬間瞬間、正直で居続けられるのはとても難しい。
少なくとも、私にとってもとても困難を伴う。

小さな小さな不正直の積み重ねが大きな不正直、不誠実を作り出す。
自分ひとりではもうどうにもすることができない大きな塊となって、私は誰かに助けを請う。

あられもないみっともない姿となって私もすぐにひざまずく。
そこで問われるのもまた、どこまで正直で居続けられるかどうかということ。

蒸し暑い一日が終わり、不連続にやってきたのは、すごしやすい気温の、静かな風のある日。
空は薄い雲に覆われている。



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嵐の余波はまだまだおさまらない。美しい夕焼けを見たのに、彼がそこで終わりにしなかった。そこになんらかの意図・意味があるのではと穿ちたくなるのは当然だ。
数十年の澱が、見て見ぬふりをしてきた痛みが、死に際して頭上に降りかかってきたのだからしかたがない……のだけれど、呆れ、叫び、身をよじるのが当人だけで済まないのが酷すぎる。
絶望の前に、不正直もまた死に至る病なのではと疑う。
水城に正直さの言葉以外の表現手段があって、本当に良かった。この短い演奏が水城の生き方のリハビリであり、生き延びるための自己採点の試験のように見える。

2020年6月15日月曜日

essay 20200614 不思議だなぁ

皆さんから寄せられたピアノ演奏の感想を読んでいてふと目をあげると、もうずいぶん長いことそこにいけてあるランの花が目に入った。
ダーさんこと島田啓介さんから贈ってもらったものだ。
もうずいぶん長持ちしている。

目に入ったちょうどそのときも、ダーさんが書いてくれたピアノ演奏の感想を読んでいたので、不思議なシンクロを感じる。

こころの奥で起こっているたくさんの不思議なこと、世界で起こっている無数の不思議なこと。
宮沢賢治みたいに言えば、そんな不思議な世界の交流電燈の中で、また不思議な現象としてピアノの演奏が生まれ、うまくいけば皆さんのもとに届けられる。

不思議だなぁ。
フシギだなぁ。
ずっと一日、この同じ場所にいても、怒ったり、哀しんだり、喜んだり。
不思議だな。


From editor


昨日は嵐のような、そして振り返れば凄まじくも素晴らしい一日でした。
ありえないことがおこり、関係性の修復が生まれ、つながりが立ち上がり、まさに compassionを生きた一日でした。
それは一人はもちろん、二人でも困難で、実際は六人いて、その六人が誰一人欠けても生まれなかった流れでした。

その人たちに見守られながら、水城は演奏しました。
誰かのためにではなく自分が弾きたいから、といって立ち上がるまでにはそれなりの時間を要しました。
緊張に満ちた演奏前。
演奏後は、涙と、愛の表現がありました。

人の人生にこれほどまでに緊張と愛(とおそらくは赦し)が行き交った一日があるとは、ふつう想像もできないだろうというほどの一日でした。いつか語れる日がくるのでしょうか……

この演奏の前後で大きな変化があったことだけは事実として、書き残しておきます。

6/16追記:20200613〜15のタイトルでアップしていたものを、実際の演奏日にあわせて20200612〜14に変更しました。

2020年6月14日日曜日

essay 20200613 麻痺に溺れないために

目が覚める。
朝なのか昼なのか、真夜中なのか、よくわからない。

真っ先にチェックするのは、思考がクリアかと言うことだ。
頭がクリアかどうかはすぐにわかる。何か物事を考えていても、あらぬ方向に考えが流出していく。放浪する。
これは病気でなくてもわかることだ。

最近気づいたのは、思考がクリアと言う部分の中に論理的思考と感覚的思考があると言うことだった。
いや、そういうふうに2つに分けるのもおかしいことかもしれない。私たちの脳は身体と一体となって絶えず働いている。それが統合されて平和に働いている状態を私はいつも望んでいる。しかしそういう時間はどんどん短くなっている。
それは仕方のないことだ。痛み止めの薬を大量に飲んでいる。薬を飲んでいてもずっと残っている疼痛が、感覚を鈍くさせている。

目が覚めてまず思うことは、何について考えたいのかな、どんなことを感じているのかな、と言うことだ。まさに生きていることそのものに対する感受性を立てていくことだ。

目の前の、介護ベッドの足もとに置いてある花瓶には、大きな花束と小さな花束がそれぞれ入っている。
それをくれた人のことを思う。その人のことを思い出すことができる。その人も多分私のことを思い出して私に花をくれたのだ。その人と話をしたいと思う。その人が今何を感じ何を思いやっているのか、ゆっくり話をしてみたい。
今日たった今の私の脳にあることはそのことだ。

昨日の夜中に録音したピアノ演奏を少し編集して、ブログにアップしてみよう。
その人が聞いてくれるだろうか。

 

From editor


今日も弾きたいと思う。それを聞いて、村山槐多が亡くなる直前に書いた「いのり」という詩を思い出す。

 生きて居れば空が見られ木がみられ
 画が描ける
 あすもあの写生をつづけられる。

  * * *

ひと月前の誕生日以来、みなさんがときおり花を贈ってくれます。
ベッド(の足もと)にはいつも花があります。
常に座位なので、足もとの花はいつも目に入るのです。

水城は昨年から、下腹部の痛みのために体を伸ばして寝ることができません。
座った状態で眠るうえ、痛みでまとまった時間を眠ることができませんでした。オキシコンチンの量がどんどん増えていきました。
5月下旬からはフェントステープという貼り薬が加わり、それから夜に(それなりに)眠ることができるようになったと言います。
食欲はさほどないのでエンシュアやおかゆ中心の食事です。合間に、楽しみとカロリーのためにプリンやゼリーを摂っています。
それが昨夜、アスパラの豚肉巻きを半本食べました。こんな食べ物は何ヶ月ぶりかというぐらいだったと思います。なにより食べてみようと思えたことに驚きと喜びがありました。
この仕事——演奏と短文が、力を与えてくれたと思いたい。

6/16追記:20200613〜15のタイトルでアップしていたものを、実際の演奏日にあわせて20200612〜14に変更しました。

2020年6月13日土曜日

essay 20200612 ピアノを弾く

半年ぶりくらいだろうか。鍵盤は冷たくて、予想していたのとは違ってややざらっとしている。

全然弾けなくなっているのではないかと思っていたのに、ゆっくりながらではあるけれども演奏ができたことがうれしい。やたらと涙が出る。

ほぼ明かりを消した夜の部屋のなかで、ふたりのオーディエンスが聞いてくれている。ふたりがスマホで私の半年ぶりの演奏を録音してくれようとして焦っているのが伝わってくる。

私は暗闇を味わい、肌寒さを味わい、体の痛みを味わい、自分の無力さを味わい、絶望と希望を同時に味わいながらただ弾きつづける。なにが本当の私のことなんだろう、なにが本当の私なんだろう。

私はまた再びここから進んでいけるのだろうか。
明日もまた弾けるのだろうか。

演奏を終えて暗がりのなかでやせ細った指としわくちゃの掌をみる。
結局ふたりは、録画にも録音にも失敗したらしい(ここに発表できたのは録音に成功した今日の演奏で、そのときのものではない)。
ありがとう、おふたりさん。

 

From editor


水城の「自分に正直に生きたい」という切望を満たすリクエストはなんだろう、と問うたところ、
「ピアノが弾きたい」
と言いました。
ニーズにつながったら、それで気分を良くして終えるのではなく、今ここでできるリクエストで自分なりにニーズを大切にしたという「実践」がなにより肝要です。そこで、
「ではピアノのところへ今すぐ行こう!」
とベッドから起き上がることをうながしました。
彼はしばらく躊躇していました。自分は実際に弾けるのだろうか、もし弾けなかったらどうしよう、という恐れがあったといいます。
それを確かめるには、やってみるしかないのです。
確かめないでいれば、その恐れはずっとあり続けるのです。
そして彼はベッドから立ち上がり、自分の足で階段を踏み、ピアノの場所へ行きました。
弾く者も聴く者も、涙を流しながらの演奏でした。
録音には失敗したのですが。

それから凄まじい3日間を経て、彼は自分が本当にやりたい仕事の第一歩として、文章と演奏を再開すると決めました。
そのためにできるだけ楽にできる方法を考え、サポート体制をつくりました。
文章をMariが誤字脱字等をチェックして転載し、収録した演奏を動画コンテンツに仕立ててYoutubeにアップしていきます。
とにかく一歩、一歩。

6/16追記:20200613〜15のタイトルでアップしていたものを、実際の演奏日にあわせて20200612〜14に変更しました。

2020年5月11日月曜日

小夏という果物、かわいいのなんのって

ゼミ生のかなえさんから小夏という柑橘系の果実をいただいた。
名前だけ聞いて食べたことあると思っていたのに、じつは見るのも食べるのも初めて。
なんてかわいいんだろう。そしておいしい。
香りも柑橘類特有のフレッシュさといっしょに、上品で柔らかい甘さもあって、ほぐされそう。
見ているだけど元気になる。

今日は暖かくて、かたつむりペースでゆっくりと身体の声を聞きながらすごしてみよう。
かなえさん、ほんとにありがとう!

2020年5月2日土曜日

連休中もフリーテキストはフリーのまま(笑)

食欲低下と奮闘中。
そのいっぽうで一方で、毎日、オンラインイベントに多くの方とコンタクトできていて、楽しくすごさせていただいてます。
ほんとにありがたい。

私の朗読用フリーテキスト「水色文庫」にも毎日のように「読ませていただきました」「読ませてください」という連絡が到着して(その到着は必要ないんですよ)、うれしさ連続です。
テキストだけでなく、動画も見ていただく人が増えてきているようで、うれしいです。

今日もこんなメールが……
「城ゆうさん、こんにちは! YouTubeの対談も拝見しております!思いあたったり、勉強になったりと楽しいです。コラボでも、一人でも、水城ゆうさんが、淡々と話している様子が心地よく、好きです♪ずっと聞いていられます」

なんてうれしいことをおっしゃっていただけるんでしょうね。
どうぞどうぞ、私の作品を楽しんで読んでくださいね。

紙本の『共感的コミュニケーション』もどさっとまとまって注文をいただいたりもしてます。
そういえば、もうすぐ私の誕生日なんですよ。
お祝いの日々が立てつづけにやってきてます。
なんとか体調をととのえてがんばっていきましょ〜!

2020年4月30日木曜日

(Manabi JAPAN)水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。「穀雨」

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で配信中の「水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。」の最新更新のお知らせです。

太陰暦の時代、春夏秋冬それぞれを6つに分けて24等分し、その区切りと区切られた期間の季節を表すために作られた二十四節気。七十二候はそれをさらに3つの項に細分して季節の移ろいを表したものです。些細な兆しからいつしか劇的な変化を遂げていく日本の四季を、水城ゆうがピアノで表現します。

今回は「穀雨」の項です。
書き下ろしのショートエッセイも掲載されています。

アクセスはこちら

2020年4月26日日曜日

車のなかから高速移動でオンラインイベントを開催

今日はこれから午前中に、北陸の実家から北陸自動車道経由で名古屋まで走る。
木曜日からコロナウイルス関連で有給休暇が取れていた息子が帰省していて、名古屋まで運転してくれるというので、私は助手席でラップトップを開いて、ミーティングサービスzoomを利用してオンラインで現代朗読ゼミをホストする予定だ。

いつもは10時スタートで国立・春野亭から開催しているのだが、このところリアル参加者はおことわりしていてオンラインのみで開催しているので、ネットがつながりさえすればどこからでもやれる。
ありがたいことだ。
しかし、移動中の車からホストするというのはあまりないし、高速道路の風景ではあるが濃春の移り変わりゆく景色のなかでオンラインゼミをやるのはあまりないと思うので、ちょっと楽しみ。

今日はいわゆる「本ゼミ」と呼ばれる、いつも春野亭でおこなっていた私が主催の基礎トレーニングを中心とした現代朗読の練習会をオンラインに移行したものだが、本ゼミ以外にも「サブゼミ」として朗読家の野々宮卯妙が朗読表現の技術的な側面に現代朗読のアプローチで切りこんだトレーニングや、現代朗読としてのテキストの読解法など緻密な練習法などもおこなっていて、オンラインゼミは意外なほどに充実してきている。
さらにまだまだオンラインでやれることも多くありそうで、今後が楽しみでもある。

名古屋で息子と別れたあとは、ひとりで中央道経由で東京・国立まで運転してもどるのだが、その途中も小説・文章塾である「ひよめき塾」もおこなうことになっている。
もちろん安全運転第一を心がけたいが、眠気防止にはこれ以上ないほどおもしろい作品がいつも集まってくるので、今日も楽しみだ。

オンラインといえば、昨日は伊藤勇一郎くんが作った現代朗読のワークショップとスタジオパフォーマンスの映画「Sing a Poem」の関係者試写会をオンラインでおこなった。
たくさんの方が参加してくれて、また豊かな感想をシェアしてくれて、(私の体調がいまいちだったのが残念だったが)幸福な時間だった。
本編試写会は5月5日夜にも予定されていて、こちらはどなたも参加できるので、みなさんにもぜひご覧いただきたいと思っている。

上映会の参加申し込みはこちらからどうぞ。

2020年4月20日月曜日

VLOG 2020.4.20 東海北陸縦貫道、九頭竜湖、山桜



2020年4月19日(日)。

新型コロナウイルスの感染騒ぎが収束しないなか、東京・国立から北陸・越前奥越地方の実家まで車で移動しました。
中央道から東海北陸縦断道で白鳥まで。
白鳥からは高速道路未開通だけど工事中の一般道を、九頭竜湖、和泉村のまだ早春の風景を残した風景のなか、ドライブ。
いつもなら日曜日とあって行楽ドライブでいっぱいだけど、さすがに行楽客はまばらでした。

2020年4月14日火曜日

表現よみ・渡辺知明さんとの対談(水城ゆうロングインタビュー Vol.5)表現よみと現代朗読



朗読を「文芸」としての芸術表現にまで高めようという運動を長年つづけてこられたグループ「表現よみ」の代表である渡辺知明さんと、表現よみについて、あるいは現代朗読について、そしていまの日本が置かれている朗読の状況について、それぞれ独自のアプローチをおこなっている立場から突っ込んだお話をさせていただきました。



専門的な話も含みますが、朗読表現、語り表現とはなにかについて、刺激的な対談になったのではないかと思います。



話 talk : 渡辺知明 WATANABE Tomoaki

    水城ゆう MIZUKI Yuu

    野々宮卯妙 NONOMIYA Utae

    平野加奈江 HIRANO Kanae



制作 produce : アイ文庫 iBunko

編集 edit : ジューシーラボ Juicy Lab.



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2020年4月10日金曜日

春野亭日乗 4月9日(木)感染リスク、非常事態宣言

もうすっかり散ってしまったけれど、国立駅前の大学通りの桜並木のようすを見るためにキックボードに乗ってほんのちょっぴり散歩に出るほかほとんど家から一歩も出ない何日かを送っている。
新型コロナウイルスに対する非常事態宣言が出たということもあるが、そもそも感染リスクは私の場合、高い。

末期ガンによるかなり極端な免疫低下があって、もしいま感染したら重症化はまぬがれないだろう。
重症と診断されても空きベッドがないという状況が現実化しはじめていて、そのばあい、人工呼吸器が使えないことによる死が待っている可能性が少なくない。

日本の場合、罹患者がどのくらいいるのか、そもそも検査体勢が貧弱なので統計予測がまったくできていない。
先進国のなかでは極端にICUのベッド数が少ないという事実もあって、もし重症患者がいちどきにやってきても受け入れられない(それを医療崩壊という)現実がある。
すこし前なら私も重症化したとしてもICUで治療を受けられたかもしれないが、いまはどうなんだろう。

日々感染者数が増加しつづけているのを見ると、空きベッドがすべて埋まってしまっていて、現実に軽症患者(といっても人工呼吸が必要ないという程度の「軽症」)が自宅や国が借り上げたビジネスホテルにどんどん吐きだされているようだ。
政治的な思惑や立場を抜きにして、まちがいなく日本のコロナ対策は極端に後手に回っていることは明らかだ。
患者側の目から見ればそれは危機的な体感覚として迫っている。
つまり、いま感染するわけにはいかない。

出かけたときにちょっと注意深くしているとわかることだが、私たちはいろいろな場所やものに無意識に触りつづけている。
そしてその手でまた自分の身体や顔、口、目、鼻、耳などを頻繁に触る。
これを完全にシャットアウトするのは、ほぼ不可能といってもいいくらいだ。
きちんとトイレで手洗いをしたとしても、その手で蛇口に触る、ペーパーに触る、ドアノブに触る、カバンを持つ。
カバンはそもそも床や、他人が座ったり触ったりしている椅子や机に置いている。
ケータイ電話を置くのは、他人が触ったりケータイを置いたりしていたテーブルの上だ。

食事をしても、買物をしても、他人が触ったものを自分が触らないようにはできない。
宅急便が届けられたときも、その荷物、サインのペン、伝票、対面での至近距離の呼気交換、配達人が触ったドア、足跡、さまざまな感染リスクが一瞬にして生まれる。

完全に感染リスクをゼロにするのは不可能といっていいだろう。
せめてマスク、手洗いの励行、がんばって使い捨ての手袋、手指の消毒薬の携行をこころがけくらいだ。
それ以上に現実的な対策といえば、健康管理をしっかりとやって、免疫力の低下をまぬかない生活をこころがけるくらいだが、そもそも持病で免疫低下がデフォルトになっている私のような人間はどうすればいいんだろう。

対面での講座やレッスンはすべてオンラインに切りかえた。
インターネットがあってほんとによかったと思う。
いや、ほんとに。

逆に、オンラインでできることはなんだろうとかんがえてみると、まだまだいろいろなことができることもわかってきて、楽しい面がないわけではない。
試してみたいことがいくつか出てきた。
いくつか機材が必要になったが、それもネットで注文して、宅配便で玄関まで届けてもらえる。
流通にかかわるリスキーな仕事をしてくれているみなさんに、心から感謝する。

このようにずっと引きこもっているとはいえ、実際にはかなりアクティブな生活をしている。
現代朗読ゼミはオンラインに移行してこれまで以上に活発に開催している。
しばらく休止していた野々宮卯妙による「読解」ゼミも再開した。
文章講座であるひよめき塾はこれまでどおり開催している。
共感手帳術の講座も新規参加者もふくめて継続的に開催している。

これらに加えて、私が執筆した『マインドフル練習帳』を使ったマインドフルの練習会を週に3〜4回のペースでスタートした。
1回の時間が約30分と短いのだが、リピーターも新規参加者も熱心に参加してくれていて、とてもやりがいがあるし、楽しい。

このようにオンラインのミーティングシステムを使ったイベントや勉強会をとてもアクティブに継続していて、毎日けっこう忙しかったりする。


ところで、この文章はひさしぶりに近所の行きつけの喫茶店で書いている。
何日ぶりだろうか。
不特定多数の客が出入りする店は、感染リスクが高いことはいうまでもないが、店もできるだけの対策を打っているようだし、私もそれなりの対策をこころがけて来ている。

どういう案配なのか、ここに来て、いつもの席にすわって、ラップトップをひらいて文章を書きはじめると、集中がもどってきて、さくさくと書きすすむ。
ここ何日かの不安からものを書くことにもまったく集中できずにいたのだが、それがもどってきた。
ちょっとしたことで執筆への集中がもどってくる。

執筆に集中するにはなにが必要なんだろうと、いまいちど洗いなおしてみたい。
そしてやはり文筆家であるところの私自身の仕事を、きちんと系統立てて積みあげておきたいと思っている。
そのなかには小説もふくまれている。

2020年4月7日火曜日

(Manabi JAPAN)水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。「清明」

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で配信中の「水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。」の最新更新のお知らせです。

太陰暦の時代、春夏秋冬それぞれを6つに分けて24等分し、その区切りと区切られた期間の季節を表すために作られた二十四節気。七十二候はそれをさらに3つの項に細分して季節の移ろいを表したものです。些細な兆しからいつしか劇的な変化を遂げていく日本の四季を、水城ゆうがピアノで表現します。

今回は「清明」の項です。
書き下ろしのショートエッセイも掲載されています。

アクセスはこちら

2020年3月31日火曜日

ラストメッセージ(6)キックボードで半世紀前にタイムスリップ

(English at the bottom)

〔末期ガンをサーフするⅢ〕

数日前にボイスパフォーマーの徳久ウイリアムくんとMariの3人でお昼ご飯を食べに行こうということになって、近所の店まで歩いて行った。
距離にして300メートルもないくらいの、ごく近所のイタリアンレストランだった。
そんな近距離にも関わらず、このところ痛み止めの薬の効きめが悪くなっていた私にとっては、歩いて行くにはかなり遠く感じられる距離だった。

杖をついて、というより杖に体重を預けてぶらさがるようにしてよろよろと歩く。
かなりのお年寄りの姿だ。

ひさしぶりに会った徳久くんも、私の急な変化にびっくりしたようだった。
私も情けない思いがある。
そのとき思いついたのが、キックボードだった。
このあたりでも子どもがよくキックボードを蹴りながらすいすいと移動している姿を見かける。
私も子どものころはそれでよく遊んでいた。

10年くらい前にキックボードがはやったことがあって、大人もずいぶん乗っている姿を見かけたものだが、最近はすたれたのかめったに見ない。
それでもネットで検索してみると、大人用のキックボードはいまでもいろいろ売られているようだ。

徳久くんとMariも「キックボードはいいんじゃない?」という意見になって、ご飯のあと時間があったのでさっそく3人で自転車屋に行ってみることになった。

府中の自転車屋には置いてなく、立川の自転車屋には子ども用のもの1種類しかなかったが、試乗できた。

キックボードに乗るのはたぶん、50年(半世紀)ぶりくらいだが、乗った瞬間に身体がおぼえている感覚が一瞬にしてよみがえってきた。
思いだしたというより、私の身体が半世紀前にタイムスリップしたような感覚だった。
なんの不自由もなくすいすいと乗れる。
もともとそう難しい乗り物ではないけれど、この乗り物を扱うための運動神経系が瞬時に活性化する感じは、びっくりしつつも気持ちいいものだった。

この店では購入せず、家に帰ってからネットであれこれ検索して、イギリス製の「フレンジースクーター」を通信販売で注文した。

それが今日の午後、届いた。
組み立てて乗ってみると、これこれ、この感じ。
すいすいと乗れて気持ちがいい。

そのままちょうど薬を処方してもらう必要があった近所の病院まで乗っていく。
杖をついてよたよたと5分くらいかかって行っていたのだが、今日はあっというまに30秒くらいで到着してしまった。
これなら、病院にかぎらず、近所のコンビニや本屋や喫茶店などにも気楽に出かけられる(新型コロナウイルスには気をつけなければならないが)。
そして薬は医療用麻薬のオキシコンチンを15ミリグラムから20ミリグラムに増量して処方してもらった。

痛みがなくなり、移動も気楽になって、快適な時間が増えるといいのだが。


A few days ago, voice performer Tokuhisa William, Mari and I went out for lunch and walked to a nearby restaurant.
It was a very close Italian restaurant, less than 300 meters away.
Despite the short distance, for me, the effectiveness of my painkillers has been getting worse, so it was a pretty long distance to walk.

I staggered with my cane, or rather with my weight on it.
I look quite old.

Tokuhisa, whom I hadn't seen for a long time, seemed surprised at my sudden change.
I also feel sorry.
Then he thought of a kickboard.
Then I thought of a kickboard.
I often see children moving smoothly by kicking a board around here.
I used to play with it when I was a child.

There was a Kickboard fad about 10 years ago, and I saw a lot of adults on it, but it's rare to see it go out of fashion these days.
Still, a search on the Internet shows that there are still plenty of adult scooters available.

Tokuhisa and Mari agreed, "How about a kickboard?" and as we had time after dinner, the 3 of us decided to go to the bicycle shop.

Bicycle shops in Fuchu didn't sell them, and those in Tachikawa had only one type for children, but I was able to test drive it.

It's probably the first time I’ve been on a kickboard in 50 years (half-century), but the moment I get on it, the feeling that my body remembers comes back in an instant.
It was more like my body slipped half a century ago.
I can ride smoothly without any inconvenience.
It's not exactly a difficult ride, but the feeling that the motor nervous system is instantly activated to handle it was amazing and refreshing.

I didn't buy it at this store, but after I got home, I searched this and that on the Internet and ordered "French scooter" made in England by mail order.

It arrived this afternoon.
When I put it together and got on, it was like this, this, this.
It feels good to ride smoothly.

Just like that, I go to the nearby hospital where I needed to get prescribed medicine.
It took me about 5 minutes to wobble with my cane, but today I arrived in about 30 seconds.
With this, you can easily go not only to the hospital, but also to nearby convenience stores, bookstores and coffee shops (We have to be careful of new coronaviruses.).
The drug was prescribed with an increased dose of the medical drug oxycontin, from 15 to 20 milligrams.

I hope the pain will go away, I'll be able to travel more easily, and I'll have more comfortable time.

2020年3月30日月曜日

新刊『私という現象 末期ガンをサーフするⅡ』(Kindle)

新刊『事象の地平線 末期ガンをサーフする』が、アマゾンの電子書籍・Kindleで配信スタートしました。

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食道ガンのステージⅣ(末期ガン)で余命数か月とされた著者が、幸福な終末の日々を送る現在にいたる道すじや経験と、いま現在の日々を記録した長い自己紹介(プロフィール)としての随筆。ブログ連載を経て、書籍化にあたって大幅に加筆修正したものをあらたにリリースしました。
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