2020年6月29日月曜日

essay 20200629 つくりたかった場が現実に

オンラインとリアルミーティングのミックスした朗読ゼミを開催した。
私が介護ベッドで寝たり座ったりしているその脇で、みんなは通常の朗読ゼミを自発的に開いてくれた。

生惠さんははるばる名古屋から新幹線で来てくれた。
リアルでおたがい初めて会う人もいる。
みんながいろいろおいしいものを差し入れてくれた。

ゼミの後半ではそれぞれ読みたいものを持ち寄って、私にそれぞれ聞かせてくれた。

10年以上前から参加してくれている矢澤ちゃんとふなっちが語ってくれたゼミの感想が嬉しかった。
——お互いの気づきの伝え合いにしても、なにげないコミュニケーションにしても、社会的評価を基準にしたものではなく、おたがいの顔が見える思いやりをもったコミュニケーションがベースになっている。それが自然にこの場で実践されている。

言われてみればたしかにそのとおりだ。
今の現代朗読ゼミは、共感的コミュニケーションが自然にベースに定着している。
私もこの場にいることが、安心できる。
長年かけてそういう場に育ててきたことを、あらためて古参のゼミ生の口から聞いて、確信できた。
昨日もおたがいに朗読を聞きあったり、なにげない美味しいものの話をしたり、そういったコミュニケーションの場が、本来はゼミという勉強の場であるはずなのに、どれほど楽しそうなことか。
またみんなに会えることを、心から待ち望んでいる。




From editor


昨日はそんなふうにとても楽しい一日でした。
今日は朝から吐き気があると言いつつも演奏をし、散歩にも行きましたが、午後になって嘔吐し、止まらないので、点滴をお願いしました。
看護師さんに点滴をしてもらいながらも最初のうちはまだ吐いて、食べたり飲んだりできると吐くものも多くなる、という悲しい図式を見ました。
ごくごくわずかながらも食事を用意できることのありがたさを思い、台所に立つことを愛しく思っています。