2020年6月24日水曜日

essay 20200624 受け取っている

昨夜はオンラインの現代朗読ゼミだった。
ひどい体調不良だったり、出られても途中うとうととしてしまったり、心残りのある状態が続いていたのだが、昨夜は最初から最後まで皆さんとゆっくりお付き合いできた。
もちろん、快調と言うわけではなかったのだが、私の参加をゼミ生たちも喜んでくれて、そのことを逆に私は大変ありがたくうれしかった。

自分がそこにいることを誰かが喜んでくれる。こんなにうれしいことはない。
特に人になにかして差し上げられることがどんどんなくなっていくことを実感しているようなときは、それがとても貴重な時間となる。

逆に皆さんからいただくものは日に日にどんどん増えていく。
この文章も、いただいた飲み物を飲みながら書いている。
酒粕で作った甘酒だが、甘さが優しくて、ひと口ごとに体に染み渡るような気がする。
せつ子さん、いつもいつもありがとう。

ちょっと飲みにくいけれど、わざわざ自分の手で摘んだ薬草を積んで届けてくれる人もいる。
かねごん、ありがとう。

私への小言だって私への思いがなければできないことで、ありがたく受け取っている。
私にできるのは、できるだけ体調に留意し、誠実に正直に、真っ暗な野原を手探りではい進んでいくことだろう。
どこにゴールがあるのか、それは私にもわからない。



From editor


「毎日なにもしてないのに疲れるのは年だからだろうか」と言ったら、「何もしてなくないからだよ!」と言われた。そりゃそうだ。
でも、とくに何かをしている感じがしない。その手応えのなさが、生活なのだろう。
不要なことをしていない、ということかもしれない。
(……と思いたい(笑))
水城もきっと、自分は何もしていないと思っているのではなかろうか。
でも、休むこと、治すこと、動くこと、水城には毎日やることがいっぱいだ。
それらすべてが今はこの演奏と短文に集約されていく。
昨日から酸素吸入の処方が追加になり、チューブを鼻に入れた姿はどこから見ても病人の態だが、それが「動く」を助けてくれることを切に願う。