2020年6月13日土曜日

essay 20200612 ピアノを弾く

半年ぶりくらいだろうか。鍵盤は冷たくて、予想していたのとは違ってややざらっとしている。

全然弾けなくなっているのではないかと思っていたのに、ゆっくりながらではあるけれども演奏ができたことがうれしい。やたらと涙が出る。

ほぼ明かりを消した夜の部屋のなかで、ふたりのオーディエンスが聞いてくれている。ふたりがスマホで私の半年ぶりの演奏を録音してくれようとして焦っているのが伝わってくる。

私は暗闇を味わい、肌寒さを味わい、体の痛みを味わい、自分の無力さを味わい、絶望と希望を同時に味わいながらただ弾きつづける。なにが本当の私のことなんだろう、なにが本当の私なんだろう。

私はまた再びここから進んでいけるのだろうか。
明日もまた弾けるのだろうか。

演奏を終えて暗がりのなかでやせ細った指としわくちゃの掌をみる。
結局ふたりは、録画にも録音にも失敗したらしい(ここに発表できたのは録音に成功した今日の演奏で、そのときのものではない)。
ありがとう、おふたりさん。

 

From editor


水城の「自分に正直に生きたい」という切望を満たすリクエストはなんだろう、と問うたところ、
「ピアノが弾きたい」
と言いました。
ニーズにつながったら、それで気分を良くして終えるのではなく、今ここでできるリクエストで自分なりにニーズを大切にしたという「実践」がなにより肝要です。そこで、
「ではピアノのところへ今すぐ行こう!」
とベッドから起き上がることをうながしました。
彼はしばらく躊躇していました。自分は実際に弾けるのだろうか、もし弾けなかったらどうしよう、という恐れがあったといいます。
それを確かめるには、やってみるしかないのです。
確かめないでいれば、その恐れはずっとあり続けるのです。
そして彼はベッドから立ち上がり、自分の足で階段を踏み、ピアノの場所へ行きました。
弾く者も聴く者も、涙を流しながらの演奏でした。
録音には失敗したのですが。

それから凄まじい3日間を経て、彼は自分が本当にやりたい仕事の第一歩として、文章と演奏を再開すると決めました。
そのためにできるだけ楽にできる方法を考え、サポート体制をつくりました。
文章をMariが誤字脱字等をチェックして転載し、収録した演奏を動画コンテンツに仕立ててYoutubeにアップしていきます。
とにかく一歩、一歩。

6/16追記:20200613〜15のタイトルでアップしていたものを、実際の演奏日にあわせて20200612〜14に変更しました。