2020年7月14日火曜日

essay 20200713 吐く

どうして今このタイミングなのか。
どうしてどうして今朝ではなく、もう日も暮れようというこの夕刻の時間帯なのか。

思い切り吐いた。
といっても、何日も固形物のご飯はほとんど食べていないので、胃の内容物はほぼ液体だ。

液体ですら動いていない消化器系。

今朝は調子よかった。
こちらの病院のおいしいと評判の(ほとんど流動食ではあるが)昼ごはんは、完食とまではいかないが、全種類をおいしくいただいた。
その後薬が効いてうとうとしていた。
いつの間にか吐き気が生まれていて、吐き気止めをもらおうか、思い切って無理に吐いてしまうか、それとも安静にしてやり過ごすことができないかどうか、様子を見ていた。

中途半端に迷っていたら、急に吐き気がやってきて、戻してしまった。
薬で薬を抑える事はなるべくやりたくないので、こういう場合の何か良い民間療法は無いだろうか。

今はちょっとすっきりして、これを書けるほど落ち着いている。

※アップ時に別のファイルと取り違えていました! 7/14 21:00に差し替えました。
Youtube画面の日付が7.12になっていますが、7.13の音源です。



From editor


(上記は文章も音楽も昨日の制作です)

文章だけを見ると、いまの状況はまったくわからないのだ、と気がついた。
元気だった頃の姿を無意識に重ねているのだろう。もしくは、望む姿を。

ブログは私がこうして介入しているから、そう思う人は少ないように思うが、メールやメッセージでは、まったくわからない。
毎日本人を見ている私でさえも、嘔吐についての短いメッセージを久々に受けたとき、一瞬「ふつうに」読んでいたことに気づいて、ぎょっとした。

NVCのトレーナーたちから、「文章(メールなど)では共感は難しい」と言われてきた。水城はそれを乗り越えようとしていたし、私も自己共感し相手に共感し自己表現する文章を精一杯書いてきたつもりだったが、これは一方的な期待(という暴力)にすぎなかったのか、と殴られたような気分になった。
彼の具合の悪さは、彼が「具合が悪い」と書かない限りわからないだろう。でもそれでいったい何がわかったというのだろう? 何もわからないのだ、何も。

  * * *

メールもメッセージも手紙も、本人は今はほとんど読んでいない。あれだけ毎日ネット発信していた人だから、状況を「理解」していても感覚としてはピンとこない人がほとんどだと思う。実際、いま何ができて何ができないかは、毎日見ている私にも細かくはわからない。
  • 文字を見るのが大変らしいので、送ったのに既読にならないとか返事がないという人はひとまず諦めてください。どうしてもという用事は、こちらからご連絡ください。
パソコン操作も、メニューなどの文字が小さくて読めないので、操作が不安になっている。
それが高じると、やる気が削がれていく。
人とのあたたかなつながりが、そんなきもちを支え、いのちの細い糸をつなぐ……と思うのだが……

ホスピス病棟は本来、24時間面会OK、患者が望むように過ごせるように守られた場所だ。
しかし東京都のコロナ対策要請で、そんな生活は厳しく制限されることになった。
病院からはCOVID-19に配慮しながらも精一杯親切に扱われていると感じていたが、「安全のため」「どうしようもありません」といった言葉で自由はほぼ奪われた。
私がそれを伝える看護師の言葉に砕かれたきもちをふるえながら拾い集めようと沈黙していると、さらに「もうしわけないんですけど」と“クールな声”で“追い討ちをかけられ”る(“”内は私のジャッジ)。さらにさらに切ないのは、それが水城の前でおこなわれていて、水城が「しかたないね」と私に声をかけてくることだ。
おいおいおいおいおい! これはないよ……
面会終了の頃に部屋に来た看護師さんは、申し訳なさそうな顔をしながら「気持ちとしてはいいって言ってあげたいんですけど……ごめんなさい……」と言った。これには感謝をもって応じられるのだが。

一部麻痺したようになって、病室でうとうとする水城の横で寝落ちしてしまった。体がどろりとした沼に浸かっているようなかんじで、せっかくデータを受け取ったのに、昨日のうちにアップできなかった……。
今もまだその感覚が四肢にどっぷり残っている。今はこれに孤絶感と絶望感という名をつけておく。これから先、もっとその名にふさわしい感覚がやってくるのではという恐れを抱きつつ。


▼水城ゆうの支援サイトを作っていただきました!