肺炎が全快していなくてやや心配だったのだが、無事に演奏を終えることができた。
このコンサートは、毎回、演奏時間はちょうど1時間。
だいたい10曲くらい演奏する。
マイクが用意されているので、曲と曲のあいだにちょっとだけトークしながらではあるけれど、1時間つづけてピアノを演奏するというのはちょっとした体力勝負。
今回は咳と腰痛が気がかりだった。
腰痛はよく効く痛み止めをあらかじめ飲んで対処。
咳はマスクをしていればほとんど出ないが、まだ咳こむこともある。
マスクをしたまま演奏はできないので(できないことはないだろうが)、演奏の最中に咳こまないか心配だったが、不思議なことに演奏中はまったく咳が出なかった。
どういうことなんだろう。
トークのときはちょっと出そうになった。
今回は私の中学校のときの担任だった先生が夫妻で来られることになっていた。
前回のコンサートのときに、それが地元の新聞に割合大きな記事に出て、それを読んだ先生から連絡があったのだ。
長年やっているこのコンサートのことを知らなかったけれど(大変失礼しました)、今回聴きに行くし、せっかくだからみんなで歌える曲も弾いてくれ、歌詞カードは用意するから、ということになっていた。
事務局のはからいで、コンサートの冒頭で先生にご挨拶をいただいた。
はからいもご挨拶もありがたいことである。
そのあと演奏。
即興からはいって、そのままいつものように季節の唱歌から。
「赤とんぼ」「旅愁」「里の秋」「ロンドンデリーの歌」など。
毎回かならず聴きに来てくれる人、初めて来てくれた人、たまたまコンサートに出くわした人や通りすがりの人など、用意された席が満席になっている。
先生のほかに、同級生も来てくれた。
小学校からの同級生だ。
最初、だれだかわからなかった。
しばらくしたら、記憶の底から名前が浮かびあがってきた。
お花や差し入れをたくさんいただく。
恐縮する。
私とおなじようにガンと付き合っている人もいる。
いつも来てくれて、ネットでもやりとりしている方が、私と血のつながったまたいとこを連れてきてくれた。
あまり付き合いのない母方の縁戚で、母や祖母と同様、手先が器用で、縫い物などの手作業が得意、暖かい親近感をおぼえる。
最後に先生が用意してくれた歌詞カードをみなさんに配って、いっしょに歌をうたう。
これまでにないことだった。
終わってから、前回も取材してくれた地元の新聞の記者の女の子(と呼びたくなる若い女性)にまた取材してもらった。
名残りおしくもみなさんとお別れしたあとは、先生夫妻と同級生といっしょにカフェでコーヒーをいただきながらお話しした。
もう85歳になられる先生から私の身体のことを気遣ってもらって、とてもありがたくも恐縮する。
今回のこのコンサートが無事に終わってよかった。
私にとってひとつの区切りと思っていた。
次回また、という声をみなさんからいただきながら、その予定はまだいれていない。
3か月後にまたここに帰ってこれるのかどうか、演奏ができる状態なのかどうか、私としてもそれは希望していることではあるけれど、この先どうなるか、どうなっているかは、神様のみぞ知る。
■アルバイトでバーテンダーになる
教材の配達のアルバイトをしていたときに、おなじアルバイトをしていたちょっと年齢が上の学生とジャズの話になった。
お互いにジャズが好きだということで、
「いい店があるんで飲みに行く?」
と誘われた。
ちょうど20歳くらいのときだ。
ひょこひょこと付いて行ったのが、祇園にある〈バードランド〉というジャズバーだった。
カウンターが10席、奥にグランドピアノ、ピアノのまわりにも6席がある。
カウンターの背後には見たこともない世界の酒がずらりとならんでいて、モダンジャズが流れていた。
その前に白いバーコートを着たマスターとバーテンダーの若者が立って、てきぱきとカクテルを作ったりして立ち働いていた。
私の知らない世界だった。
ちょうどバーテンダーのアルバイトを募集していて、それは配達のバイトよりも時給がだいぶよかったのと、客がいないときは店のピアノを好きなように弾いていいという条件が魅力的で、すぐに私はそこで働くことになった。
夕方4時半に店にはいって、掃除や仕込み、買い出しなどの準備をする。
着替えて6時開店、夜中の2時まで営業。
客が引けてから片付けて、午前3時くらいに上がり。
営業時間が遅い店だったので、0時をすぎると近所の店で仕事を終えた水商売関係の人たちがやってきた。
そのなかにはバンドマンもいた。
また、毎晩、午後8時になるとピアニストがやってきて、1ステージ30分の演奏を30分の休憩をはさんで4回やる。
そのピアニストの仲間もやってきた。
学生でまだ若いアルバイトバーテンだった私は、客からも関係者からもかわいがられた。
私がピアノがすこし弾けるとわかると、いろいろ教えてくれたりした。
といっても、弟子にするとかそういうのではない。
ジャズっぽく聞こえるコツとか、リズムの取りかたとか、断片的なテクニックをちょこちょこと教えてもらった。
そうやって私はアルバイトバーテンダーからすこしずつバンドマンの世界へと引きよせられていった。