2019年11月25日月曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(13))

昨日は吉祥寺の老舗ライブハウス〈曼荼羅〉でのオープンマイクに、ゼミ生たちと参加してきた。
曼荼羅のオープンマイクは何度か参加したことがあるのだが、今日はゼミ生のかなえさんが初参加、そしてライブ初体験だった。

かなえさんは今年の8月くらいから現代朗読ゼミに参加していて、毎回とても熱心に通ってきているほか、個人レッスンにもときどきやってくる。
その甲斐あって、めきめきと現代朗読の手法を身につけ、いきいきとした朗読表現ができるようになりつつある。

さらにいきいきさを表現するには、ライブパフォーマンスほどいい練習の場はない。
ライブというのは、自分自身もふくめてなにが起こるかわからない、予測できない、偶有性に満ちた時間の連続だ。
あらかじめなにかを準備したり、たくらんだりしても、うまくいかない。
自分を開き、予測できない場で本来の能力を発揮できる訓練が必要になる。

それは私にとってもおなじことで、いまこの瞬間を生き、表現するということにほかならない。
年齢、性別、健康状態、すべて関係ない。
その人の「いま」があらわれるし、また自分自身もそれを楽しめるかどうかということだ。

かなえさんの朗読といっしょに、私もピアノの即興演奏で共演した。
私も楽しかったし、なによりかなえさん自身が楽しんでおられるのだ伝わってきて、うれしかった。

もうひと組の野々宮卯妙とゼミ生ユウキのデュオ朗読もおもしろかった。
ふたりで異なる詩を同時進行で朗読するという、コンテンポラリーな演出のパフォーマンスだった。
これも現代朗読という手法の成果で、私はステージにいなかったが、私のテキストと演出を彼女らが体現しているのを感じて、とても満たされた気持ちでうれしく聴いていた。

6月にステージⅣの食道ガンが見つかって、11月の末にまだこのようないきいきとした活動の現場にいられるということが、私にはとても大切であり、またありがたいことでもある。

■生まれて初めて小説を書きあげる

原稿用紙を前にして、まず書いてみようと思ったのは中学のときからハマったSF小説だった。
どうせ書くなら、自分が読みたいと思っているようなものを書いてみたかった。
そのころ私は、SFはいったん卒業して、翻訳もののミステリーや冒険小説をたくさん読んでいた。
SFに冒険小説の要素を合体させたらどうだろう。

あらすじをかんがえはじめた。
骨子は冒険小説だが、舞台となるのは宇宙だ。
地球以外の惑星の話がいい。
特殊な環境の惑星がいい。

フランク・ハーバートの『デューン砂の惑星』という大長編SFがあって、夢中になって読んだことがある。
砂丘惑星の話だ。
ならば、陸地がひとつもない海洋惑星の話はどうだろう。

舞台設定とストーリー、登場人物のあらましが決まると、原稿用紙に向かって一気に書きはじめた。
そのころ、SF小説は娯楽文学として隆盛をほこっていて、SF専門の雑誌もいくつかあった。
それらには新人賞があって、たいてい短編小説を定期的に募集していた。
私もそれに応募しようと書きはじめた。

しかし、書き進めるにしたがって、規定の枚数にはとてもおさまらず、どんどん長くなってしまった。
たいてい新人賞の短編の規定枚数は、原稿用紙50枚とか、多くても100枚までだった。
私は100枚をはるかに超えて、200枚以上になっていった。

なにしろヒマである。
一日中書きすすめて、たぶん1週間くらいで200枚くらい書きすすめてしまった。
近所の文房具屋に頻繁に行っては、コクヨの原稿用紙を買いたした。

完成したとき、小説は230枚くらいになっていた。
どの応募規定にも合わなかった。
しかたがないので、新人賞に応募するのはやめて、編集部に直接投稿することにした。
話の内容から、なんとなく早川書房の『SFマガジン』ではないなと思った。
徳間書店の『SFアドベンチャー』がよさそうだ、誌名も誌名だし。

というわけで、編集部宛に原稿を送りつけた。
新人賞の規定にならって、原稿の末尾に簡単な自分の経歴と住所、連絡先を書いておいた。

それっきり、私はその原稿のことを忘れてしまったのだ。