2019年11月8日金曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(3))

■ピアノを習う

ところで、中学生の私は読書しかしてなかったわけではない。音楽も好きで、しかし小学3年のときから習いはじめたピアノは、中学入学と同時にやめてしまっていた。

両親——とくに父は音楽好きで、当時は珍しい電気蓄音機を持っていたくらいだ。
田舎町にも楽器屋があって、ブラスバンドや音楽の時間に使うさまざまな楽器を売っていたが、当時はピアノを購入する家が増えはじめていた。
ヤマハやカワイ、スズキなどのメーカーが音楽教室を全国的に展開し、ピアノを個人家庭に売りこみはじめていたのだ。

音楽好きの両親がそれを見逃すはずはなく、四歳になったばかりの私の妹が近所の音楽教室に通うことになった。
通いはじめてしばらくすると、私の家にアップライトのピアノがやってきた。

私が三年生になる直前に、
「ピアノを習いたいか?」
と聞かれて、妹とおなじ音楽教室ではなく、ピアノの個人レッスンに通うことになった。
ただし条件があって、それは毎日、かならず最低30分は練習すること。
最初のころはそれでも楽しかった。
昔ながらの、バイエルやハノンを使ったレッスンで、楽譜はすぐに読めるようになって、レッスンはどんどん進んだ。
毎日の練習が成果をあげ、一年足らずのうちにバイエルは全部終わってしまって、四年生になる前にはブルグミュラーの組曲に取りかかった。

バイエル練習曲とはちがって、ブルグミュラーはいまでも弾いて楽しいようなちゃんと音楽になっている曲集で、だんだん難しくなっていったがこれもどんどん進んだ。
半年ほどでブルグミュラーも終え、チェルニー練習曲やソナチネ曲集を弾くようになっていた。

■ピアノを習うのをやめる

年に一回、ピアノ教室の発表会が市民会館のホールであった。
三年生のときはプログラムの最初のほうで小さな子どもたちにまじって発表したが、五年生になるころには中学生の女の子にまじってプログラムの後ろのほうでモーツァルトのソナタを弾いた。
ピアノ教室は私以外のほぼ全員が女の子で、かなり目立ったことだろう。
子どものころはそんなふうに目立つこともかえっておもしろく、喜んで教室に通っていた。

が、六年生になるとなんとなく心境に変化がおとずれた。
当時の田舎社会の風潮というのもあったかもしれない、男の子がひとり、女の子にまじってピアノレッスンに通っていることを時々揶揄されるようになり、私もなんとなく恥ずかしさを感じはじめていた。

そう感じはじめるとにわかにピアノレッスンに行きたくなくなり、練習もやらなくなってしまった。
中学にはいるのと入れ替わりに、ピアノレッスンをやめさせてくれと、泣かんばかりに両親に頼んで、なんとかやめさせてもらった。
そのころにはベートーベンのソナタやドビュッシーの難曲なども弾きこなすようになっていたので、私がピアノをやめることはかなり残念だったろうと思う。

このあとが不思議だったのだが、私がいまだにこうやって自由にピアノ演奏を楽しみ、また即興ピアノで朗読など他ジャンルとの共演をするという独自のスタイルを獲得できたのは、このときにピアノレッスンをやめられたことが大きなきっかけとなっていることに間違いない。