2019年11月13日水曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(8))

北陸の実家に帰省している。
晩秋の、最後のスコンと晴れあがった日で、こういう日は経験的にあと何日もないだろうと思う。
数日前は雷が鳴って、雨が激しく降った。
普通、この時期の雷は、このあたりでは「雪起こし」といって、雪が降る前兆とされている。
が、雪は降らなかった。
気温もまだ暖かい。

今日は福井県立病院に行って長年定期的に開催してきたピアノコンサートで演奏してくる。
今月はこのコンサートと、今週末に語人・小林佐椰伽ちゃんのイベントでの語りのサポート演奏と、月末のパープルリボンコンサートがある。
これらは私の食道ガンが見つかる前から決まっていた。
ガンが見つかったとき、治療や体調の変化が読めなくて、11月のこれらのイベントに常態で参加できるのかどうかわからなかった。
なので、みなさんにはあらかじめ、健康状態が読めないこと、ひょっとして演奏ができなくなることもありうることなどを伝えた。
すべてのみなさんがそのことを理解し、受け入れてくれて、暖かく私の体調維持を祈り、はげましてくれた。

そしていま、11月になって、まだピアノが以前と同様に——ひょっとしてより前へと進みながら——演奏できそうなことがわかって、大変ありがたく、うれしく感じている。
オーストラリア在住のNVC仲間である矢澤実穂さんからは、共演する機会を作りたいと急遽帰国して、ダンスと朗読とピアノによる公演を渋谷でおこなうことにもなった。
こちらも体調が許すイベントとなるだろう。

化学療法による抗ガン剤治療を受けず、放射線照射治療を選択したことが(私にとっては)大きい。
ガンが見つかって以降も、検査や治療のための通院に時間を取られたほかは、それまでとほぼ変わりなく活動をつづけられている。
書くこと、演奏すること、みなさんと交流して伝えたり、いっしょにワークしたり、演出したり、出演したり、映像を撮ったり、編集したり、音楽を作ったり。

予想がはずれたこともある。
放射線治療の副作用が意外に大きかった。
治療中は食欲不振や体重減少、倦怠感が強く、武術の稽古をふくむ運動はほぼできなかった。
治療が終わってからは、おそらく免疫力の低下によるものだと思うが、かるい肺炎にかかって苦しかった。
それはいまもつづいているが、幸いなことに回復途上にあって、まだ完調とまではいかないが、もうしばらくすれば元にもどるのではないかと予想している。

この秋の季節、空気、太陽、雲、風景を楽しみ、コンサートで演奏し、みなさんと交流すること。
一日一日、一瞬一瞬が尊く、輝きに満ちている。
これをあなたにどれだけ伝えることができるか、私はいまそのことに関心を注いでいる

■ろくでもない学生時代

長くなってきたので、このへん——京都で下宿をはじめたころ——の話はざっくりとはしょる。
1年間浪人生活を送ったが、受験勉強はまったくせず、再受験すらまじめに取り組まなかった。
というのは、受験日に京都には珍しくかなりの積雪があり、歩いて行ける受験会場まで行くのがおっくうだったからだ。

再受験におっくうだった理由がもうひとつある。
さすがに2年めの受験では、親に泣いて頼まれたということもあって志望校一本に絞ることはせず、国立大の前に私大をいくつか受けていた。
そのなかで同志社大学の商学部に合格していて(たぶん受験科目に理系の数学があったからだ)、それで安心してしまったというのがある。

私の最大の関心は、親元を離れて京都に住みつづけられるかどうかだった。
当時付き合っていた彼女が京都に住んでいたこともある。

そんなわけで、私は同志社大学生となり、京都に住みつづけ、学校にはまったく行かずにいろいろなアルバイトをしながらライブハウスをめぐったり、琵琶湖までヨットを乗りに行ったり(貸しヨット屋でアルバイトもしていた)、女の子と遊んだり……ようするに遊び暮らしていた。
いまからかんがえても、ろくでもない学生であった。

そんななかで、その後の私の人生を大きく決定づける仕事(アルバイト)に出会うことになる。
いまの私はその仕事の経験からはじまったといっていい。