2019年11月24日日曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(12))

できるだけ安静にしてすごしているのに、肺炎の咳と息切れがいっこうに改善しないばかりか、ときにはひどく咳こむこともあって、いやな感じだ。
食事のあとに咳がひどくなることが多く、なんとなくの印象だが味の濃い食事——とくに醤油を使った料理——をとると喘息に近いような咳の発作が起こることがあって、肺炎とは関係のないアレルギー症状のようなものかとも思ったりした。
しかし、あれこれ試してみたり、観察してみても、食事との因果関係がよくわからない。

夜の食事のときに発作が起こることが多く、夜になって部屋が寒くなったり、寒い場所にいたりして、身体が冷えるとそうなるのかもしれないとも思う。
しかし、暖かくしているときでも発作が起こることがある。

医師の友人から「放射線性肺臓炎」ということばを聴いて、受診することをすすめられたので、診療放射線科の担当医に診察を申し込んでみようかとも思っている。
木曜日にもともと診察の予定が入っているのだが、金曜日と土曜日に公演の本番があるので、早めに診てもらったほうがよさそうだ。
今日は日曜日で病院の外来は休みなので、明日、週明け月曜日に早めに連絡して、行ってこよう。

■バンドマンの仕事がなくなる

1980年ごろに全国的にカラオケマシン(当時はさまざまな呼称があって、たとえばハチトラなどといった)が爆発的に普及していった。
京都も例外ではなく、最初はバンドを雇えないちいさなスナックからはじまって、しだいにクラブやバンドマンがいるような大きな店にもカラオケマシンが浸透していった。
それにつれて、人件費のかかるバンドマンはクビになっていった。
とくにペーペーの、店とのコネもない、客もついていないような若手バンドマンは、あっという間に仕事がなくなっていった。
つまり、私のようなバンドマンのことだ。

私もハコがなくなったり、単発の仕事もすくなくなっていった。
ある日、ハコではいっていた店に行ってみたら、シャッターが降りていて、閉店の張り紙がしてあった。
あちこち問い合わせてみたが、どうやらオーナーは雲隠れしてしまったようだった。
その店からは数か月分のギャラが未払いのまま取りはぐれてしまった。
かなりの痛手だった。

そんなふうにして演奏の仕事がどんどんなくなっていった私は、とたんにヒマを持てあますようになった。
バーのマスターからはバーテンダーに復帰するようにしきりに誘われたが、もともとアルバイトと割り切ってはじめた仕事だったので復帰する気にはなれなかった。
復帰していたら、いまとはまったくちがう人生を歩んでいたかもしれない。
自分でいうのもなんだが、私にはおそらく、バーテンダーとしての素質がけっこうあったようなのだ。

バンドマンというのはもともと、昼間はヒマだ。
それが夜もヒマになってしまった。
ヒマにまかせて、私は本ばかり読んでいたが、ある日ふと思いついて、小説でも書いてみるかと原稿用紙を買ってきた。
コクヨの学生用400字詰め原稿用紙だった。