2018年11月3日、夜。
国立駅の北側にあるお店というか、カフェというか、ライブスペースというか、〈アグレアブル・ミュゼ〉という場所で、FLARE m3 によるミニ公演をおこなった。
FLARE m3 というのは、ダンスの矢澤実穂、朗読の野々宮卯妙、ピアノの水城雄の三人の即興パフォーマンスユニットだ。
オーストラリア在住の実穂さんが一時帰国したのに合わせて、急遽公演をおこなうことになった。
この三人による公演は、正式には三回め、非公式のものをいれれば四回めになる。
しかし、終えてから振り返ってみると、今回の内容はこれまでとまったく質の違うものだったように思う。
アグレアブル・ミュゼは私は初めて訪れる場所だと思っていたのだが、行ってみるとくっきりとしたデジャビュ感が。
たぶん20年近く前のことだが、榊原忠美氏が全国行脚をいまでもつづけている(現在通算350回くらい?)「木を植えた人」の朗読会をここでやったことが確かにあるのだ。
そのとき、私はここのピアノを弾いた。
たしかにKAWAIのピアノだった。
それを思いだした。
急遽決まった一回きりの公演だったが、たくさんの方においでいただいてありがたかった。
18時半、19時開演というスケジュールのなか、18時に会場入り。
客席やピアノのセッティングをして、リハーサルもなしにいきなりはじまる。
私がちょっとだけ挨拶したあと、ピアノソロからスタート。
そのあとはどうなるか、まったく決まっていないし、予測もつかない。
ひとしきりの即興演奏のあと、野々宮が朗読ではいってくる。
テキストは私が何年か前に書いた「初恋」というものがたり。
いきなり質量感のある重厚な語りで、ちょっとびっくりする。
この響きは空間のせいなのか、あるいは身体の使い方のせいなのか。
ストーリーの出だしは老齢の女性のひとり語りなのだが、まるでそんなことを意味的になぞることはなく、ことばはことばとして、音は音として、そして身体がつながった人の声音として発せられてくる。
それをピアノで受ける私としては、やりやすいことこの上ない。
やりやすい、というのは楽できるという意味ではなく、緊張感と集中を傾注しやすい、という意味だ。
やがてそこに実穂さんのダンスがはいってくる。
老齢も少女も若い男性も、そして実穂さん自身も、さまざまなものが複雑に出入りするような自在な表現で、できればピアノを離れて見ていたいくらいだった。
80分弱の公演のエンディングは、語りが終わり、音とダンスが収束していき、完全な静寂がおとずれる。
長い沈黙。
お客さんも静寂のなかにたたずみ、最後まで付き合ってくれたのがうれしかった。
終演後は飲食もまじえながらみなさんとお話させていただき、知り合いも、初めてお会いした人たちとも、感想を聞かせてもらったり、質問に答えたりしたのが、楽しい時間だった。
撤収後は春野亭まで歩いてもどり、のぞみさんが料理をしてくれて打ち上げ。
ここ一か月くらい完全にアルコール断ちをしていた私も、ひさしぶりにワインをおいしくいただいた。
お祝いに満ちた一日が終わった。