ヴェネツィア・フェニーチェ劇場でおこなわれたソロコンサートのライブ録音アルバムだが、おこなわれたのは2006年7月。
なぜいまごろ? という話だが、受賞のお祝いの意味があるらしい。
賞というのは、今年、ヴェネツィア・ビエンナーレの音楽部門での金獅子賞のことだ。
これは現代音楽の作曲家であるピエール・ブーレーズやスティーヴ・ライヒも受賞している由緒ある賞で、ジャズピアニストとしては初の受賞となる。
初ではあるが、納得の受賞だと思う。
12年前の録音なので、現在のキースの音ではもちろんないのだが、現在のキースは健康を心配されていて、しばらくライブ活動は休止している。
心配だ。
高校生のころからジャズを聴きこんできたが、なぜかキース・ジャレットにはあまり関心が向かなかった。
私がジャズを聴きはじめた1970年代には、キースはすでにケルンコンサートなどで超有名プレイヤーとしての地位を確立していて、そんなところで逆になんとなく敬遠してしまったということがあるかもしれない。
あらためてキースを聴きこみはじめたのは2000年になってからだった。
2000年に私は福井の田舎から東京へと仕事場を移し、世田谷の豪徳寺の酒屋の地下室をスタジオにしていた。
地下倉庫を改造したスタジオで、完全遮音、完全遮光の環境だった。
あるとき、そこで、真っ暗ななか、キースの「メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー」というアルバムを聴いた。
ピアノの音が身体のなかにはいりこみ、染み渡り、知らず涙があふれてきた。
あとで知ったことだが、そのアルバムはキースが慢性疲労症候群で何年か活動を休止していたあと、自宅のスタジオで妻のためだけに演奏したものを収録したもので、往年のテクニカルで流暢な表現ではなく、寡黙で朴訥とした正直で無防備な音が胸を打つものだった。
それを聴いて、私自身、自分のピアノに向かう姿勢をあらためて深くかんがえさせられたりした。
以来、キースを聴きこむようになった。
とくに年齢とともに変遷していく表現には目をみはった。
病み上がり後のソロピアノの挑戦は刺激的で、完全即興でありながらも和声進行をともなかったもの(これは難しいよ!)から、調性のない現代音楽的なものまで、自分という現象を自由自在に、しかしピアノという制約の強い楽器を用いて抽象的に表現していく姿は、まさにキース・ジャレットというアーティストが唯一無二の存在であることを強く感じた。
この「ラ・フェニーチェ」は、そんな脂が乗りきった時期の演奏だ。
キースは1945年生まれなので、「ラ・フェニーチェ」は61歳のときの録音。
いまの私とおなじ年齢だ。
これを聴いて、比較しておれはだめだと落ちこむのか、刺激を受けて発奮するのか、それは私自身の選択である。
選択の自由はかぎりなく許されている。