二〇一二年公開のフランス映画。
なにげなく、どうというきっかけもなくなんとなく見はじめた映画だったが、これは拾いものだった。
いい映画だなあ。
一九八〇年代にフランスのミッテラン大統領に二年間仕えた実在の料理人であるダニエル・デルプシュさんをモデルにしているらしい。
映画ではカトリーヌ・フロという女優が演じている。
この人がまたいいんだな。
中年女性なのだが、自然体でしかしこだわりがある自信に満ちた人物を演じていて、魅力的だ。
映画は「現在」の彼女をオーストラリアのテレビ局スタッフが追いかけはじめる、というシーンからスタートしているのだが、そこは南極基地なのだ。
テレビ局は南極地方にある島の研究基地の取材に来たのだが、そこに女性の料理人がひとり働いているのを見つけ、追いかけようとする。
しかし、彼女はテレビを嫌がり、逃げまわりながらも、基地で料理する二年間の契約の最後の日をすごそうとしている。
テレビ取材を嫌がる理由を明らかにするかのように、大統領のシェフとしてエリゼ宮で働きはじめる日々へとシーンがカットバックしていく。
以後、島の基地とエリゼ宮を時間を超えて行ったりきたりしながら、物語が進んでいく。
最後のシーンで、基地の荒くれ男たちからいかに彼女が愛され、そして別れを惜しまれているのかが描写されるシーンがあって、カトリーヌ・フロという女優の魅力とそれが重なって、ちょっと胸が熱くなる。
昨今の合衆国発の娯楽映画を見慣れている身としては、最初はやや冗長に感じるが、きちんと見ているとそれも計算され、必要があってそうなっているのだということがわかってくる。
演出がじつに丁寧で、緻密なのだ。
たとえば、主人公がエリゼ宮の厨房に初めて入っていくシーン。
すでにたくさんの、ほとんどは男の料理人たちが忙しく立ち働いていて、しかし女料理人がやってくると興味しんしんで視線を注ぐ。
彼女を目線で追う男たちの演出が、画面のすみずみにまで行き渡っていて、その丁寧さが映画全体の空気を引き締めている。
南極基地とエリゼ宮を行ったり来たりする構成も、前半は冗長に感じていたのに、終わりのほうになるとちゃんとそれも必然性があってのことだとわかってくるし、むしろ南極基地での「現在」のほうに、この映画の「いいたいこと」が表現されているのだと判明する。
いい時間をプレゼントされた感じだ。
晩秋の夜にぴったりの映画だった。