2018年11月13日火曜日

目標を立てたのにやる気が出なくて取りかかれないとき

人はだれしも、やる気が出なくて困ることがしばしばある。

なにかをやりたいと思っているのに、なかなか手がつけられない。
人から頼まれたことがあるのに、ぐずぐずとあとのばしにしてしまう。
クリアしなければならない試験が迫っているのに、いっこうに勉強する気になれない。

そんなとき、なんとかやる気を出そうと、いろいろなことを試みたり、自分を奮い立たせようとする。
しかし、うまくいかないとますますあせったり、苦しくなる。

なにかをやるために「やる気」が必要だと思いこんでいると、それは大変つらいことになる。
なにごとかをやるためには、じつは「やる気」など必要なく、ただいまこの瞬間の自分の「行動/動き」が必要なだけだということに気づけば、じつに簡単になる。

ある目標があって、それを達成するためには、そこに到達するための道すじが存在する。
自分が一気にすべてのことをなしとげて、突然目標が達成するはずはない。
道すじをひとつひとつクリアしていって、最終的に目標に到達するのだ。
山登りとおなじだ。

目標はひとつひとつのステップに細分化することができる。
細分化した結果、いまこの瞬間にできることが明確になる。
というより、いまこの瞬間にできることしか人はできない(あたりまえだ)。
いまこの瞬間しかできないことが明確になっていて、ただそれを実行するだけというとき、ごちゃごちゃかんがえることは不要だし、邪魔になる。
ただおこなうだけだ。
そこには「やる気」などというあいまいな概念は介在しない。

そう、「やる気」というのは、人の「かんがえ」が作りだした抽象概念にすぎない。
ありもしない抽象概念で立ちすくんでしまうのが、人間という生き物の特徴といえよう。

目標を立てるのは、いまこの瞬間に自分がすぐに取りかかれることを洗いだすためだ。
目標がなければそれは明確にならない。

すぐに取りかかれることをたんたんとこなしているうちに、目標とはずれた場所に来てしまうことがよくある。
あるいは目標が変わってしまうことがあるかもしれない。
必要なら軌道修正すればいいし、目標が変わったことを受け入れてもいいかもしれない。
だいじなのは、いまこの瞬間、自分がなにをやるのか、なすべきかが明確になっていて、いきいきとその行動が生まれることだ。
やる気があるとかないとか、関係ない話なのだ。