2016年8月16日火曜日

なぜ書くか

人からは、
「どうしてお金にもならない文章をそんなにたくさん書くの?」
と訊かれることがあるし、私自身も、
「なぜこんなに書くんだろう」
と思うこともあります。
なぜでしょう。
あらためてかんがえてみました。

人からほめられたいからなのか。
ちがいます。

自己顕示欲なのか。
ちょっとあるかもしれない。
でも、ちがうような気がする。

私は小説家という人種ですが、みなさんが誤解しているのは、小説家は生活のために――つまりお金を稼ぐために書いている、と思われていることです。
ちがいます。
小説家という人種は、お金をもらえようがもらえまいが、書くのです。
そこがライターとはちがうところです。

ライターは依頼があって、原稿料がもらえない仕事はしません。
小説家は依頼がなくても仕事をします。
結果的に原稿料をもらえることもありますが、結果的に原稿料をもらえない小説を書くこともあります。
つまり、他人や世間とは関係なく、勝手に書いているのです。
そこには純粋に「書きたい」という欲求があります。
これを私は「純粋表現欲求」と呼んでいます。

みなさんもおぼえがないでしょうか。
子どものころ、だれにも見てもらえないかもしれない絵をひとり描いたり、だれにも聴いてもらえない歌をひとりで歌ったり、だれかのためでもない工作をしたり、お話を作ったり。
そのとき、夢中で、無上の喜びはなかったですか?
大人になると、多くの人がそれを忘れてしまいます。

人は生きてそこに存在しているということを表現したい動物です。
たとえそれがだれにも見てもらえないとしても。
石器時代の洞窟に描かれた絵は、だれかに見せて評価されることを期待して描かれたものでしょうか。
私はちがうと思います。
あれはただ純粋に、描きたい人がいて、描きたいから描かれた絵なのです。
そのことを私は直感します。
なぜなら、自分のなかにもおなじ衝動があるから。

これを書いているいまも、書きたいから書いているのです。
だれかに読んでもらってほめられることを期待しているわけではありません。
幸いなことに、私のメールマガジンやブログは多くの方に読まれています。
こうやって書いていることが多くの方に読んでいただけることを知っています。
大変ありがたいことです。
しかし、それを目的に私は書いてはいません。

私は次世代作家養成ゼミという、書き手を育成するための講座をやっていて、いまそこには大変すぐれた書き手が何人か集結しています。
そこにいるのは、純粋に書きたいという欲求を持っている人です。
書いたものを売りたい、そのことで有名になりたい、お金持ちになりたい、という人はいません(ちょっと思っているかもしれませんが、それは二の次です)。
毎日、なにかしら書かざるをえない衝動をかかえている人が、そのクオリティを究極まで向上させたいという欲望を持って、切磋琢磨する場としての次世代作家養成ゼミに参加しているのです。
なので、毎回、すごいことが起こります。
びっくりするような作品を読むことができます。

私も負けていられないのです。
みずからの純粋な表現欲求に突き動かされて書き、そして書くものが少しでも高いクオリティを持てるように成長したい。
そのために書くのです。

自力出版講座、全3回@オンライン(8.21/28/9.4)
自作の出版を、既存の出版社から独立出版へと完全移行した水城ゆうが、そのノウハウを全3回でシェアします。ネット会議システムを利用したオンライン講座なので、どなたも居ながらにして参加できます。いずれも日曜18時から2時間。